幡ヶ谷 氷川 神社。 氷川神社(幡ヶ谷氷川神社) 地図

幡ヶ谷

幡ヶ谷 氷川 神社

御祭神:素盞嗚尊・奇稲田姫命 社格:旧村社 所在地:東京都渋谷区本町5-16-2 最寄駅:京王バス([宿32]新宿駅西口-佼成会聖堂普門館前・[宿33]新宿駅西口-永福町)弥生町三丁目停留所 東京メトロ丸ノ内線 中野新橋駅 都営地下鉄大江戸線 西新宿五丁目駅 URL: 御由緒:創建時期等は不明。 永禄年間(1558年~1569年)の後北条氏の文書にはその存在が既に記載されている。 別当寺は幡ヶ谷不動尊で知られる荘厳寺 現・渋谷区本町2-44-3 であった。 旧幡ヶ谷村の総鎮守、現在では本町・幡ヶ谷・笹塚地域の氏神として尊崇されている。 社殿は1945 昭和20 年の戦災で焼失し、1956 昭和31 年に再建された。 最寄りの交通機関は京王バスの弥生町三丁目停留所。 付近にそれなりに電車も走っているが、いずれも駅から10~15分程度の徒歩移動となる。 方南通りから細い路地が入り組む住宅街へ入っていった中に鎮座しているので、地図は必携。 南東方向に正参道、南西方向にも鳥居がある。 正参道の社号碑は、旧帝国海軍大将で明治神宮宮司も務めた有馬良橘氏による揮毫。 幡ヶ谷氷川神社の狛犬は1857 安政4 年製。 阿形は子に乳を与えている、ちょっと珍しい造形。 社殿左手は駐車スペースとなっているが、その奥に当地付近の小祠四社を合祀した末社殿がある。 社殿に向かって右から稲荷神社 宇賀魂神 ・厳島神社 市杵島姫命・田心姫命・瑞津姫命 ・榛名神社 火産霊神・埴山媛神 ・大鳥神社 大鳥連祖神 と並ぶ。 幡ヶ谷氷川神社 御朱印。 初穂料300円。 境内右手の社務所にてお願いできる。

次の

幡ヶ谷氷川神社|渋谷区本町の神社

幡ヶ谷 氷川 神社

総説 [ ] 祭神は、相殿の神は命、である。 神社の起源は古く、幡ヶ谷の地に住み着いた原住民がから分祀されたものと推測されるが、記録はない。 年間(~)のの文書には既に記載されている。 はであった。 神社は周囲より一段高い土地に立地されていて、境内の広さは728坪である。 参道は前の道路に面して石の鳥居と幅9尺11段の石階があり、それを上れば神殿正面につづく石畳に出る。 また神社の南西にも道路からの石の鳥居と坂道参道があり、これを上がっても石畳に出る。 神殿は(昭和20年)の戦災で一度焼失したあと、戦後の(昭和31年)に再建されたもので、本殿、祝詞殿、拝殿等をふくむ総建坪39坪余の総檜木造銅板葺神明造りである。 大祭は秋の。 現在でもその前日と大祭の日には神社でが奉納され、境内と周辺道路には多くの露店が出てにぎわう。 また幡ヶ谷地域の各地区ではお神酒所が作られ、が出て町内を巡り、太鼓を載せたが神社までを往復する。 氏子地域 [ ]• 渋谷区一丁目~六丁目• 渋谷区一丁目~三丁目• 渋谷区一丁目~三丁目 参考文献 [ ]• 『幡ヶ谷郷土誌』氷川神社社務所内「幡ヶ谷を語る会」、昭和53年() 外部リンク [ ]• この項目は、に関連した です。

次の

幡ヶ谷氷川神社(渋谷区)の御朱印と見どころ

幡ヶ谷 氷川 神社

旧幡ヶ谷村総鎮守・渋谷の住宅街に佇む古社「幡ヶ谷氷川神社」。 創建年代は不詳ながら、戦国時代の文献には登場していることから、それ以前に氷川神社を勧請し祀られていたようです。 神社周辺はかつて「地蔵川」(諸説あります)と呼ばれる神田川の支流があり(現在は暗渠化)、明治初期頃まで田畑が広がっていた地帯。 人里から離れた場所にあるというのは、古くからある神社の本来の姿です。 氾濫防止、あるいは雨乞い、いずれにせよ「素戔嗚尊」を勧請するだけの理由があったのではないでしょうか。 なお、地蔵川と云われるもととなったお地蔵さんの話(おそらく「酒飲み地蔵」)は、できればまた別の機会に。 御祭神は素戔嗚尊、相殿神に豊受比売命、奇稲田姫命。 昭和20年の戦災で焼失した後、現在の社殿は昭和31年に再建されました。 「幡ヶ谷」の地名の由来は、源義家が後三年の役からの帰途、この地で白旗を洗ったと伝えられることから。 東京西部には、源氏関連の武将と太田道灌に関する説話が本当に多く出てきます。 「源義家・後三年の役」といえば、出陣の際の「勢揃坂」が有名ですが、勢揃坂とこの地まではかつての旧道があったものと思われます。 現在でも「新宿中央公園」、つまり明治〜昭和期の「淀橋浄水場」部分を除いて、甲州街道を跨いで続いていた道をたどることができます。 毎年9月に行われる例大祭は露店も多く出てとても賑やかな雰囲気です。 御神輿や山車が出て盛大に行われています。 古くからこの地に住む方々にとっての中心的存在として、とても愛されていることが伝わる神社です。 お乳を与える狛犬像。

次の