さだまさし の 償い。 償い さだまさし 歌詞情報

さだまさしの「償い」の悲哀に満ちた実話や運転免許試験場で流す理由とは?

さだまさし の 償い

実話 [ ] この楽曲は、知人の実話を元に作られたものである。 ただし曲中では、優しく真面目な心の持ち主である交通事故の加害者「ゆうちゃん」をメインに、それを見守る同僚の気持ちを歌詞にした物になっているが、実際にはさだの知人である被害者の妻の体験と事実を元に詩が作られている(さだは、「ゆうちゃん」に該当する加害者とは会ってはいない)。 さだの知人の女性が交通事故で伴侶を亡くした。 加害者の男性は真面目な人らしく、毎月わずかずつではあるが賠償金を郵送してきていた。 事故から数年経ってもその送金は続き、知人はの師範として経済的にも自立できていること、加害者の直筆の手紙を見る都度、事故の事や亡き主人を思い出し、辛い思いをする事があり、加害者に対して「もうお金は送ってくれなくて結構です」と返事の手紙を書いた。 しかし被害者の許しの手紙を受け取ったはずの加害者は、自分の起こした罪を償い続けるために翌月以降も送金を続けた。 裁判での引用 [ ] 、のにおいて、4人の少年が泥酔した銀行員の男性から車内で足が当たったと絡 まれ口論となった末、のホームに降ろされた4人が男性からの暴行に対応する形で男性の意識がなくなるまで暴行を加え、放置し、のちにで死亡させるという事件が起きた。 後日出頭した4人の内、主犯格となった2名がに問われて逮捕され、事件の重大さから逆送され、地方裁判所の公開法廷で審理が行われることとなった。 裁判の中で2人は「申し訳なく思います」「自分という人間を根本から変えてゆきたい」などと反省の弁を述べた一方、事件自体は酔った被害者がからんできたことによるであると主張し、裁判中の淡々とした態度や発言から、真に事件に向き合い反省しているかどうか疑問を抱く態度を繰り返していた。 、において判決公判が行われ、少年2人に対して、懲役3 - 5年のの実刑判決が下された。 判決理由を述べあげた後、裁判長は被告人2人に対し「 唐突だが、君たちはさだまさしの『償い』という唄を聴いたことがあるだろうか」と切り出し、「 この歌のせめて歌詞だけでも読めば、なぜ君たちの反省の弁が人の心を打たないか分かるだろう」と説諭を行った。 裁判官が具体的に唄の題名を述べて被告を諭すことは異例のことであり、「償い説諭」はマスコミに取り上げられ話題となった。 さだまさしは新聞社の取材に対して、「法律で心を裁くには限界がある。 今回、実刑判決で決着がついたのではなく、心の部分の反省を促したのではないでしょうか」とコメントしたうえで、「この歌の若者は命がけで謝罪したんです。 人の命を奪ったことに対する誠実な謝罪こそ大切。 裁判長はそのことを2人に訴えたかったのでは」と述べた。 交通安全教育での引用 [ ] 命の尊さ、犯した罪への償いを考えさせるため、運転免許更新の際の放映ビデオ内で使われているほか、交通キャンペーンにも使用されている。 その際、曲中の加害者の犯した過ちである「過労運転等」が比較的重い罪(「無免許運転」や「酒気帯び運転」の重いほうと同じ25点)であることがあわせて説明される場合もある。 ライナーノーツでの言及 [ ] さだは著書『さだまさし 夢のかたみに』にて、この楽曲に次のような引用をしている。 アルバム『』• コンピレーションアルバム『償い〜SONGS OF LIFE』• ベストアルバム『さだまさしベスト2〜通』• ベストアルバム『さだの素〜さだまさしベスト・入門編』• シングル(製作・配布の非売品)にヤマト運輸のドライバーに配布された。 関連作品 [ ]• 絵本 - 歌詞と絵で綴るさだまさし絵本シリーズ第3弾『償い』()• 作:さだまさし、絵:• 初版発行。 交通安全教育ビデオ - 『悲しみは消えない〜飲酒運転の代償〜』挿入歌• 出演:、• 制作:交通教育協会• 随筆集 - 『さだまさし 夢のかたみに』()• 作:さだまさし• 参考文献 [ ]• courtdomino2. courts. 2019年6月16日閲覧。 『裁判官の爆笑お言葉集』、2007年、5-8頁。

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償い (さだまさし絵本シリーズ)

さだまさし の 償い

さだまさしさんの「償い」。 ご存知でしょうか? 私の母の車でいつも流れているさださんのベストアルバム「さだの素」ディスク1に収録されており、耳に残っていますが・・・あまりに哀しいストーリーで歌詞を噛みしめると毎度泣けてきます。 その「償い」は、さださんの知人の身に起こった実話だそうです。 こんな歌詞です。 「償い」歌詞 作詞・作曲 さだまさし 月末になるとゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに 必ず横町の角にある郵便局へとび込んでゆくのだった (中略) 僕だけが知っているのだ彼はここへ来る前にたった一度だけ たった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ 配達帰りの雨の夜横断歩道の人影に ブレーキが間にあわなかった彼はその日とても疲れてた (中略) それから彼は人が変わった何もかも 忘れて働いて働いて 償いきれるはずもないがせめてもと 毎月あの人に仕送りをしている さだまさしさん「償い」動画(カバー) いま再び「償い」が注目されている理由とは? いま、東京の鮫洲運転免許試験場で、免許更新や違反者講習会で、今年6月より「償い」を聞かせているとか。 運転免許の更新へいってきました。 最後はさだまさしさんの「償い」を視聴して講習終了。 『償い』は、交通事故の怖さ、命の尊さを歌ったもの。 それをわかってもらうために、今年6月から実施しています」 「反応はさまざまですが、教官が言うだけでは伝わらないこともあります。 交通事故は、被害者はもちろんですが、加害者も不幸にします。 少しでも事故を減らすのが目的です」 出典 車社会ですから、日本中に同じような哀しい経験をされた被害者、加害者の方が大勢いるはずです。 運転者にとって、いつ起こるかもしれない人身事故。 忘れた頃に起きてしまうのが事故ですから、「償い」の歌詞を心に留めるに重すぎるということはないでしょうね。 さて事故以外でも、ある裁判で「償い」が引用されたケースがありました。 【異例】裁判官による「償い説諭」 2001年、東京都で、4人の少年が40代銀行員の男性に対し、車内で足が当たったと口論の末、三軒茶屋駅のホームで暴行を加え、くも膜下出血で死亡させる事件がありました。 出典 裁判官が語りかける本当の「償い」とは 東京地裁において判決公判が行われ、主犯格少年2人に対して、懲役3-5年の不定期実刑が下されます。 裁判中、「深くお詫びします」と述べながらも、「酔っぱらって絡んできた」などの過剰防衛を訴えたりと少年たちの真に反省しているのか疑問を抱く態度に、裁判長は判決は述べます。 「あなたたちは、さだまさし氏の『償い』という歌を知っていますか?」「歌を知らなくても、歌詞だけは読みなさい。 読めば、あなたたちの言葉がなぜ心に響かなかったのか、分かるでしょう」 さださんは、この裁判を受け、新聞社の取材にこう答えました。 法律で心を裁くには限界がある。 今回、実刑判決で決着がついたのではなく、心の部分の反省を促したのではないでしょうか。

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償い 歌詞「さだまさし」ふりがな付|歌詞検索サイト【UtaTen】

さだまさし の 償い

さだまさしさんの 償いの 歌詞についての話題がまた出てきているので、 僕も日ごろ思っていることを書いてみたくなりました。 さだまさしさんが、「償い」を作ったのが1982年、 ちなみにグレープで最も有名な曲の一つで、 僕も大好きな「 精霊流し」が1972年。 「 無縁坂」が1975年、「 線香花火」が1976年です。 僕自身は率直な感想として、 さだまさしさんの歌は古いものほど好きです。 その後の小説家や芸能関係での活躍を批判するわけでは決してありません。 しかし、強い感動を与えてくれるという意味では、 時代が下るほど落ちてきているように思えます。 1979年の「 関白宣言」に至っては、 曲も楽しく、歌詞も面白いですが、 感動というのとは、ちょっと違います。 山口百恵さんが歌った「 秋桜」が1977年です。 ちょっと有名どころを書いただけですが、年代順に並べてみます。 1972年 精霊流し 1975年 無縁坂 1976年 線香花火 1977年 秋桜 1979年 関白宣言 なお、画像から、さだまさしさんの1973-1978のベストソングのCDが楽天で購入できます。 僕は、さだまさしさんは、 芸術家としては、 年代が下るにつれて円熟するというよりは 通俗に流れていってしまった気がしてなりません。 もともとが落語好きで話好きな明るい性格の方なので、 若いころは老人ぽかったのが、 だんだんと普通になり、 通俗になり、 有名になって収入も増えているので 作品の質が落ちても世間では気づかなかったのかなと考えています。 ただ、「 防人の詩」1980年は、 当時、小説家の 辻邦夫さんが 「なぜ、あの若さでここまで到達できたのか」 とうなったことを覚えていますし、 遠藤周作さんとの対談で、 さだまさしさんがキリスト役になると似合うとか話が出ていたことを覚えています。 僕の観るところ、さださんの表現力の頂点は2回あり、 それは、1972年の 精霊流しと、 1980年の 防人の詩ではないかと思っています。 そして、「 償い」は1982年です。 この歌詞をめぐっては、 裁判の判決時の裁判官の講話として、 「 さだまさしさんの 償いを聞いたことがあるか、 歌詞だけでも読みなさい」とあってから、 歌詞も直接的な表現で、わかりやすいために、 「道徳教育」の教材となってしまいました。 僕は、「 償い」の頃、 さださんの芸術家としての表現力は 下降していたと思いますし、 それは、彼の他の曲と比較しても明らかであり、 今後、時がたてば、 ますますはっきりしてくるのではないかと思っています。 何がいいたいかというと、 「償い」は、表現で重要な現実の素材からの仕上げのプロセスが、 あまりほどこされたは言い難い作品なのではないかということです。 しかし、この歌の感動の質は、 さださんの他の歌と共通の、 人間のどうしようもない情念の動きをとらえているとは思います。 また、他の歌が、死者、 もしくは死者を思う主人公が主役でいるのに対し、 「 償い」では、交通事故で死んでしまったご主人は、 脇役にすぎず、 ゆうちゃんと奥さんという生きている人たちが主人公になっています。 亡くなったご主人が脇役であるため、 残念ながら他の曲と比較しても歌の深みという点では落ちると思います。 歌の深みが落ちるにもかかわらず、 この曲が話題になるのは、 交通事故での被害者や加害者の方々が、 聞いて身につまされる思いになったり、 「罪を憎んで人を憎まず」の裁判官の心にも 響きやすかったからではないかと思います。 でも、やはり僕は、 精霊流しや 防人の詩とは比較にならないと思います。 交通事故での被害者、 加害者というのは想像以上に多いこと、 いつでも自分がそのどちらかになる高い可能性があることから、 無関心ではいられませんが、 それと芸術とは全く関係がありません。 また被害者ならこう思うだろう、 このような心の状態だろうというのは、 他人の勝手な憶測にすぎません。 加害者もそうです。 均一な感情の状態というのは、 自分自身の感情の動きを観察すればわかると思いますが、 怒りにせよ喜びにせよ、 同じレベルで感情を維持するのは困難です。 こうなったから怒っているはずだとか、 悲しんでいるはずだというのは、 あくまでも想像上のことでしかありません。 条件反射としての心の動きは、 ある程度予測できると思います。 例えば親しい人を失ったかたが、 ずっと同じ感情を保つというのは、 生物学的に考えてもあり得ず、 むしろ、それを忘れないために、 尼寺に入ったり、 被害者の会を作ったりしているのだと思います。 人は無意識に忘れることへの恐怖と戦っているのだと思います。 お墓があったり命日があったりお盆があったりするのも、 すべて同じ理由です。 忘れることは、自分のよって立つ アイデンティティを失うということなのです。 だから、僕は、 さだまさしさんの 償いの 歌詞を読んで、 このゆうちゃんの償いが終わったとか許されたとかする 議論そのものがナンセンスだと考えている次第です。 お読みいただきありがとうございました。 20181211 rewrite by okkochaan.

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