反骨の考古学者rokuji。 ハライチ岩井はコラム・エッセイ・歌・ピアノと多彩!?出演ドラマも調査!【ロンハー】

岩井勇気

反骨の考古学者rokuji

昭和初期、まだ弥生土器が稲作文化と結び付けられておらず、石器、土器、鉄器の出土の中で、原始的な取るに足らないものとされていた時代に、土器のもみ殻跡から稲作文化に結び付けた在野の研究者がいた。 結核でわずか32歳で亡くなった森本六爾。 その死の直後に彼が初めてもみ殻跡のある断片を発見した池から農耕道具や集落跡、水田跡が発見される。 彼と、彼を支えた考古学の同志であった妻の物語を、発見された手紙や記録から再現するドラマ。 面白かった。 アカデミズムから黙殺されながら信じた研究を続けた六爾と、その弟子達の粘り強い努力に感動する。 そして、六爾を演じたハライチの岩井勇気がいい。 静かで自然な演技で、意外なほどの役者ぶりを見せる。 奥さんをやった女優さんもよかった。 僕が見たのはETVの再放送だったのだが、もうやらないのだろうか。 地味だけどいい番組だったなあ。 テレビマンユニオンの制作。 パチパチ。

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で、彼のドラマがあると言うので、いつもなら9時には寝ているのに、11時からの1時間の伝記ドラマを見た次第である。 1920年旧制畝傍中学卒業後小学校の代用教員だったが、その後東京に出て1924年から29年まで考古学者の東京師範教授・三宅米吉の副手(ほとんど無給だと思う)を務めた。 この間に、若い研究者と共に考古学研究会を立ち上げ研究雑誌も発行していた。 仲間には小林行雄、杉原荘介、藤森栄一、それに妻となったミツギ夫人などがいた。 このうち小林行雄は工学部出身ながら考古学に転じ、唐古遺跡などを研究して京大教授になっている。 杉原荘介は戦後、弥生の登呂遺跡を発掘し、さらに相沢忠洋から持ち込まれた旧石器を得て岩宿遺跡を発掘した。 藤森栄一は在野考古学者として八ヶ岳山麓の遺跡を発掘し、縄文農耕論を提唱した。 縄文農耕説が正しかったことは、縄文水田の発見や三内丸山遺跡の研究で実証されている。 で、森本六爾であるが、奈良県の唐古池(農業用の溜池)の近くの代々の庄屋の生まれ、池の堤から多数出土する土器片を集めるのが子供時代の遊びだった。 東京へ出たのは、上野の博物館で全国から集まった遺物を実測するためだった。 彼が研究会を立ち上げた理由は全国のアマチュア研究者からの情報を集めるためでもあった。 そのことによって、古代人の生活の様子、文化の発展や影響関係を見ようとしたのだろう。 主として取り組んだ全国の弥生土器の編年は死後になったが、杉原と小林によって完成した。 彼の最大の業績となったのは弥生水田稲作の提唱であるが、その根拠として弥生土器についていた籾の痕や、煮炊きして焦げた土器片だった。 しかし、それを学会で発表する機会を得たものの、水田もない、農耕用具も出土しないのに何を言うかと考古学界の指導者たちから排斥されてしまった。 彼の師事した三宅米吉がすでに亡くなっていたせいもあるのだろう。 で、その数年後に夫婦ともに結核で亡くなってしまった。 しかし1年後に逆転劇が起きた。 彼の出発点ともいえる唐古の道路工事現場から、続々と弥生遺跡が発掘されだしたからである。 水田跡、農耕用具に多数の壊れていない土器などで、六爾の仮説が証明された。 六爾は当時の大学の考古学を遺物研究と批判し、その遺物がどう使われたのか、生活文化はどうだったのか、それを復元すべきとしたのであるが、大学の研究者からは空想の産物と批判されていた。 どうやら当時の考古学は仮説を立てるのを恐れていたに違いない。 ドラマでは、天孫降臨神話の時代と被るので、それと異なる文化を提示できなかったとしているが、それでは考古学会を馬鹿にしすぎだと思う。 やはり、モノがなければ研究できない。 それ以上は空想であって、学問の対象にならないと頑固に思い込んでいたのだと思う。 従って、唐古で水田遺跡が発見されれば、その研究も進むことになった。 それと弥生土器の全貌を捉えるというアプローチも思いつかなかった。 そうなると素人の協力も得なければならないし。 その膨大な情報を整理し、地域的な変異、その基盤にある共通性などを摘出して日本の中世・近世文化を再現して見せたのである。 古代がないのは伝承でも届かないからとのことだが、記紀神話や万葉集を使って折口信夫がやっていたように思う。 むろんアマチュアを信用しすぎてもいけない。 旧石器捏造事件を起こしたのはアマチュア研究者で神の手と賞賛されていた藤村新一氏だった。 玄人の大学研究者まで騙されていたのは、実態は旧石器を良く知らなかったかららしい。 毎日新聞が暴露スクープをする以前から警鐘を鳴らしていたのはヨーロッパへ留学して旧石器を研究していた人物だった。 やはりたくさん見ていれば特徴がつかめるのだとか。 日本にはアカデミズムに玄人の旧石器研究者がいなかったということである。 その状況は、森本氏の時にアカデミズムに玄人の弥生研究者がいなかったし、それにもかかわらず権威を振るっていたことに対応している。 ところでたくさん観察して観察力を身に付けることは大事なことらしい。 いま、読売「時代の証言者」に大隅良展の連載があるが、ノーベル賞を獲得したオートファジー研究の出発点は顕微鏡で細胞が自食している現場を捉えたことだったとのこと。 ということは、時代と大きさのレベルは異なるがファーブルの昆虫の観察と同じようなことをしていたことになるし、森本六爾の弥生土器の観察と研究法は同じなのである。 2020年• 08月• 09月• 10月• 11月• 12月 2019年• 2018年• 2017年• 2016年• 2015年• 2014年• 2013年• 2012年• 2011年• 2010年• 01月• 02月• 03月• 04月• 05月• 06月• 07月• 08月• 09月• 10月•

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の『反骨の考古学者 ROKUJI』を見た。 をハライチさん、妻をさんが演じていて、雰囲気があっていてなかなかよかった。 岩井さんは雰囲気と顔立ちと体格が似ていて、伊藤さんはの米子さんのしっかりしたイメージからかハマっていた。 もう離れて久しくなったので大分忘れてしまったのだけど考古学の学史に必ずでてくるの。 アカデミックな世界と離れて考古学を実践し32歳もの若さで亡くなっていたなんて知らなかった。 幕末や明治、大正ごろの人の特集やドラマを見るといつも思うんだけど、この時代の人たちの一生はなんと濃密なのかとつくづく考えてしまう。 32歳の人生の中でで遺物を200くらい実測して、雑誌を立ち上げ、結婚し、フランス留学、語学を習得し、国内の関係者に呼びかけて史料を集成し、後進を育て、もちろん常に論文も書いて、ほんとうになんというエネルギーなんだろう。 不遇というか苦しい状況の中で腐らずに成したの功績は大きかったと改めてわかったのだけど、ドラマで見ることで人生の濃さに圧倒された。 志を持ち、心から支えてくれる妻や仲間たちがいたことは幸せであると思う。 毎日ぼんやり生きている気がして、ちょっと考えてしまう。 明日も同じように仕事いって帰って気づけば数年過ぎていそうだ(というか、目の前の事だけこなしているうちに32年なんてあっという間に過ぎていった)。 周りを巻き込み命をかけるほどの高い志とか、いきなり沸いてくるわけでもないから、せめて自分自身の小さい事でも、この1年でどうなりたいか、何年先はどうありたいか、どこまでいくか、何をするか、を考えて生きていかないと勿体ないな。 umetsubuan.

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