豊島区 定食。 【池袋駅】気軽さが最高!サラリーマンに人気!大きな鉄板で作る安くて美味しい家庭の味「銀や」

百年食堂

豊島区 定食

当時のメニューには定食だけでなくカツライスやカレーライス、牛丼、玉子丼と、現在のルーツになる料理が並ぶ。 肉野菜炒めが30円に対して目玉焼きが40円と、卵が当時貴重だったことも伝える。 今は食堂として親しまれるこのお店。 創業時は天ぷら屋だったという。 「この店は元々、新潟で生まれたウチのじいちゃんが天ぷら屋で始めたもの。 当時の屋号も『天ぷら伊東』だったんだ」 初代の伊東正隆さんが天ぷら伊東をはじめたのは昭和5年のこと。 「上京して最初は魚河岸で働いた」という正隆さんは、修行を経て江戸前の天ぷら作りに腕を奮っていた。 しかし昭和20年の東京大空襲で店舗は全焼。 それでも諦めることなく翌年に店舗を建て直し。 天ぷらを中心とした大衆食堂として伊東食堂に名を改めた。 その後二代目として、昭和33年に暖簾を受け継いだのは鉄男さん。 「親父も新潟の生まれで元々はパン屋をやっていた。 縁あっておふくろと結婚して、じいちゃんが体調を崩したこともあって食堂をやるようになったんだ」と、定食と仕出し弁当を中心とした食堂に本格的にモデルチェンジ。 カウンターにズラリと並ぶ新潟のワンカップ。 二代が新潟生まれということで今でも新潟と縁が深く、店内で提供される日本酒も「やっぱり新潟の地酒が多い」という。 「親父の得意な料理はスコッチエッグとかハンバーグ。 元々パン屋だから手でこねるものが得意だった」と、パン職人として培ってきた技が、当時から幅広いメニューの一翼を担っていた。 「じいちゃんの体調が回復してからは一緒に厨房に立っていた」という親子で守ってきた厨房に、現在61歳の康裕さんが三代目として店に入ったのは昭和59年のこと。 「大学に通っていたときに両親が倒れて、調理師学校に入り直したんだよ。 卒業してからは別の飲食店で働いてたんだけど、父が倒れたこともあって25歳の時に戻ったんだ」と、今日まで35年以上に渡って暖簾を守り続ける。 「毎日朝5時には店に入って仕込みや準備をしてるんだ。 土日も休みはなくて3連休があるときだけ身体を休めることができる」という毎日を過ごすからこそ、豊富な料理と共にお客さんを迎えることができる。 その中でも異色なのが『鳥羽の山』の名前を冠した料理。 西前頭13枚目を最高位とした力士の四股名だ。 「元々はウチの店の隣に実家があったのがきっかけなんだ。 店で食べるよりも当時やっていた仕出し弁当をよく食べていたね。 昔から身体が大きかったし、最初は高校にも入ったけど(師匠のスカウトを受けて)中退して出羽海部屋に入ったんだ」 当時の現役の中で「2番めに大きかった」と、恵まれた身体を持った鳥羽の山。 けいこに勤しんで幕内力士になったものの「その場所の初日を迎える前に怪我をして全休しちゃったんだ。 その後もまた頑張って再び幕下筆頭にまで上がったんだけどね」と恵まれた身体を持ちながらもケガに泣いたという。 そんな鳥羽の山を応援したい!と生まれたメニューは4種類。 木札を読む限りどう考えてもボリューム満点。 確実にデカ盛りメニューとして確固たる地位を築いている。 「この中だと、まだメニューになる前に一回だけ定食を食べたね」と話すように、初土俵を踏んだ3ヶ月後に最初に登場したのが定食。 その後、初十両昇進が見えてきた時期にカレーと丼が追加。 そして引退のタイミングで焼そばを始めたそうだ。 実はどのメニューも大食い界では知られた存在。 少しだけ注文に躊躇したが、強烈であろう実物のビジュアルが気になって、鳥羽の山カレーを注文した。 「市販のルーを3種類ほどブレンドし、そこにいくつかのスパイスを加えている」という味は、おうちカレーの気軽さを持ちながら店でしか食べられない、いわば身近な贅沢味。 サラサラのソースには柔らかく煮込まれた玉ねぎや人参が隅々まで溶け込み、豚肩ロースの弾力がアクセントになっている。 口の中で甘さとやわらかなコクが広がりつつ、ご飯と一緒に頬張ると喉元でスパイスの刺激が動き出す。 このポカポカした爽快感がやみつきになるんだと感じたのは、これだけの量に負けじとスプーンが動き続けたから。 実は焼肉とご飯の間には刻み海苔が入っていて、薬味の紅生姜のように味をクッと変化させる。 絶対的なソースのおいしさと焼肉やカツのボリュームとハーモニーが楽しいと、食べ進めているうちに自分でも驚くペースで完食。 20分弱に渡った取組みの最中は、背中の汗以上に興奮が止まらなかった。 意気揚々と鳥羽の山定食を注文すると、更に土俵感を増した大皿が登場。 鳥の照焼を筆頭に、豚焼肉、ハンバーグ、メンチカツ、そして半熟の目玉焼き。 もちろん、ごはんは大盛り。 まるで大人のお子様ランチのようだ。 甘めのタレがしっかり絡んだ鳥の照り焼きは、しなやかな弾力と豊富なエキス。 ごはんとの相性は言うまでもなく、千切りキャベツとも一緒に頬張りたい。 ハンバーグとメンチカツは、いわば二代目仕込みの技がギュッと詰まった二品。 きのこの弾力と香りが効いたソースに絡めてふんわり食感を楽しむ。 メンチカツも衣の中にお肉がぎっしり。 ソースをかけなくても地味が効いてる。 しっかり味つけされたお肉の中で、ちょっとあっさり目のおいしさが嬉しい。 もちろん、出羽の山カレーにも登場する焼肉も安心の味。 ノリで巻くようにごはんを巻けば肉巻きおにぎりのできあがり。 そんなバラエティに富んだ肉三昧のおかずを優しく包むのが目玉焼き、半熟の黄身がハンバーグや焼き肉の味と組み合わさるとまろやかに。 手作りの煮物がいい。 この味が洋食プレートの中で和食しているのが定食感をしっかりと作り上げてる。 味噌汁もしっかり味が馴染んだ、だしの効いたホッとする味。 大盛りごはんがあっという間になくなったのは言うまでもない。 「再開発が進んでから、今は『みのり』っていう店がある場所で仮店舗営業をしてた。 ビルが完成したときに『ここにテナントとして入らないか?』って話もあったんだけど、縁あって今の場所が見つかって断ったんだ」 そんな伊東食堂がかつて店を構えていた東池袋4丁目の商店街を、店内の上に描いたイラストは康裕さんの作品。 「前はウチの前の道がそのビルのところまでつながっていて、道沿いには3つの商店街があったんだよ。 今はここだけしか残ってないけどね」 町への思いが詰まった伊東食堂の暖簾。 その未来について伺うと「去年からウチの次男が店を手伝うようになったんだ」と笑顔で話す康裕さん。 「じいちゃんは息子を抱っこしてから半年後に亡くなったんだ」と、幼き日の肌越しに初代の温もりを受け取った将司さん。 29歳の四代目として経験を少しずつ重ねている。 昔も今も家族の絆が味の決まり手なのは変わらない。 時代に沿った変化し続けてきた食堂だが、この時代に生まれた未知なる敵の影響は大きいという。 「やっぱりコロナウイルスの影響は大きい。 毎年4月って会社の先輩が新入社員を連れてきたりで、店先にも行列ができるんだけどね。 飲み会も店貸し切りが当たり前だったのが、3〜4人ぐらいの集まりが、ボチボチと訪れる程度。 『こんなご時世だから帰りなよ』っていうんだけどね」と、お客さんへの優しい気配りに胸が痛くなる。 そんな食堂でも4月21日からテイクアウトを開始。 「元々ウチは仕出し弁当をやっていたからね。 日替わり弁当を2種類と、お店のメニューを全部持っていけるようにしたんだ。 鳥羽の山カレーとかはまだ難しいけどね」と頼もしい。 しかも「お店で食べる値段から100円引きにしている」と、お客さん第一の姿勢に変わりない。 「お酒も(期間限定の)酒販免許を取ったから、カップ酒や蓋付きのお酒を販売できるし、来月には量り売りも考えている」となれば、近所に住む方にとっては嬉しい限りだ。 「やっぱり目の前に地面が見える場所で商売をするのっていいよね」と、恰幅のいい身体に柔和な表情を浮かべるその姿は、やさしい街のアニキのようだった。 【お店情報】 創業年:1930年(昭和5年・取材により確認) 住所:〒170-0013 東京都豊島区東池袋5-11-10 電話番号:03-3982-8601 営業時間:11:00~14:00(L.

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第ニ話「豊島区 駒込の煮魚定食」

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当時のメニューには定食だけでなくカツライスやカレーライス、牛丼、玉子丼と、現在のルーツになる料理が並ぶ。 肉野菜炒めが30円に対して目玉焼きが40円と、卵が当時貴重だったことも伝える。 今は食堂として親しまれるこのお店。 創業時は天ぷら屋だったという。 「この店は元々、新潟で生まれたウチのじいちゃんが天ぷら屋で始めたもの。 当時の屋号も『天ぷら伊東』だったんだ」 初代の伊東正隆さんが天ぷら伊東をはじめたのは昭和5年のこと。 「上京して最初は魚河岸で働いた」という正隆さんは、修行を経て江戸前の天ぷら作りに腕を奮っていた。 しかし昭和20年の東京大空襲で店舗は全焼。 それでも諦めることなく翌年に店舗を建て直し。 天ぷらを中心とした大衆食堂として伊東食堂に名を改めた。 その後二代目として、昭和33年に暖簾を受け継いだのは鉄男さん。 「親父も新潟の生まれで元々はパン屋をやっていた。 縁あっておふくろと結婚して、じいちゃんが体調を崩したこともあって食堂をやるようになったんだ」と、定食と仕出し弁当を中心とした食堂に本格的にモデルチェンジ。 カウンターにズラリと並ぶ新潟のワンカップ。 二代が新潟生まれということで今でも新潟と縁が深く、店内で提供される日本酒も「やっぱり新潟の地酒が多い」という。 「親父の得意な料理はスコッチエッグとかハンバーグ。 元々パン屋だから手でこねるものが得意だった」と、パン職人として培ってきた技が、当時から幅広いメニューの一翼を担っていた。 「じいちゃんの体調が回復してからは一緒に厨房に立っていた」という親子で守ってきた厨房に、現在61歳の康裕さんが三代目として店に入ったのは昭和59年のこと。 「大学に通っていたときに両親が倒れて、調理師学校に入り直したんだよ。 卒業してからは別の飲食店で働いてたんだけど、父が倒れたこともあって25歳の時に戻ったんだ」と、今日まで35年以上に渡って暖簾を守り続ける。 「毎日朝5時には店に入って仕込みや準備をしてるんだ。 土日も休みはなくて3連休があるときだけ身体を休めることができる」という毎日を過ごすからこそ、豊富な料理と共にお客さんを迎えることができる。 その中でも異色なのが『鳥羽の山』の名前を冠した料理。 西前頭13枚目を最高位とした力士の四股名だ。 「元々はウチの店の隣に実家があったのがきっかけなんだ。 店で食べるよりも当時やっていた仕出し弁当をよく食べていたね。 昔から身体が大きかったし、最初は高校にも入ったけど(師匠のスカウトを受けて)中退して出羽海部屋に入ったんだ」 当時の現役の中で「2番めに大きかった」と、恵まれた身体を持った鳥羽の山。 けいこに勤しんで幕内力士になったものの「その場所の初日を迎える前に怪我をして全休しちゃったんだ。 その後もまた頑張って再び幕下筆頭にまで上がったんだけどね」と恵まれた身体を持ちながらもケガに泣いたという。 そんな鳥羽の山を応援したい!と生まれたメニューは4種類。 木札を読む限りどう考えてもボリューム満点。 確実にデカ盛りメニューとして確固たる地位を築いている。 「この中だと、まだメニューになる前に一回だけ定食を食べたね」と話すように、初土俵を踏んだ3ヶ月後に最初に登場したのが定食。 その後、初十両昇進が見えてきた時期にカレーと丼が追加。 そして引退のタイミングで焼そばを始めたそうだ。 実はどのメニューも大食い界では知られた存在。 少しだけ注文に躊躇したが、強烈であろう実物のビジュアルが気になって、鳥羽の山カレーを注文した。 「市販のルーを3種類ほどブレンドし、そこにいくつかのスパイスを加えている」という味は、おうちカレーの気軽さを持ちながら店でしか食べられない、いわば身近な贅沢味。 サラサラのソースには柔らかく煮込まれた玉ねぎや人参が隅々まで溶け込み、豚肩ロースの弾力がアクセントになっている。 口の中で甘さとやわらかなコクが広がりつつ、ご飯と一緒に頬張ると喉元でスパイスの刺激が動き出す。 このポカポカした爽快感がやみつきになるんだと感じたのは、これだけの量に負けじとスプーンが動き続けたから。 実は焼肉とご飯の間には刻み海苔が入っていて、薬味の紅生姜のように味をクッと変化させる。 絶対的なソースのおいしさと焼肉やカツのボリュームとハーモニーが楽しいと、食べ進めているうちに自分でも驚くペースで完食。 20分弱に渡った取組みの最中は、背中の汗以上に興奮が止まらなかった。 意気揚々と鳥羽の山定食を注文すると、更に土俵感を増した大皿が登場。 鳥の照焼を筆頭に、豚焼肉、ハンバーグ、メンチカツ、そして半熟の目玉焼き。 もちろん、ごはんは大盛り。 まるで大人のお子様ランチのようだ。 甘めのタレがしっかり絡んだ鳥の照り焼きは、しなやかな弾力と豊富なエキス。 ごはんとの相性は言うまでもなく、千切りキャベツとも一緒に頬張りたい。 ハンバーグとメンチカツは、いわば二代目仕込みの技がギュッと詰まった二品。 きのこの弾力と香りが効いたソースに絡めてふんわり食感を楽しむ。 メンチカツも衣の中にお肉がぎっしり。 ソースをかけなくても地味が効いてる。 しっかり味つけされたお肉の中で、ちょっとあっさり目のおいしさが嬉しい。 もちろん、出羽の山カレーにも登場する焼肉も安心の味。 ノリで巻くようにごはんを巻けば肉巻きおにぎりのできあがり。 そんなバラエティに富んだ肉三昧のおかずを優しく包むのが目玉焼き、半熟の黄身がハンバーグや焼き肉の味と組み合わさるとまろやかに。 手作りの煮物がいい。 この味が洋食プレートの中で和食しているのが定食感をしっかりと作り上げてる。 味噌汁もしっかり味が馴染んだ、だしの効いたホッとする味。 大盛りごはんがあっという間になくなったのは言うまでもない。 「再開発が進んでから、今は『みのり』っていう店がある場所で仮店舗営業をしてた。 ビルが完成したときに『ここにテナントとして入らないか?』って話もあったんだけど、縁あって今の場所が見つかって断ったんだ」 そんな伊東食堂がかつて店を構えていた東池袋4丁目の商店街を、店内の上に描いたイラストは康裕さんの作品。 「前はウチの前の道がそのビルのところまでつながっていて、道沿いには3つの商店街があったんだよ。 今はここだけしか残ってないけどね」 町への思いが詰まった伊東食堂の暖簾。 その未来について伺うと「去年からウチの次男が店を手伝うようになったんだ」と笑顔で話す康裕さん。 「じいちゃんは息子を抱っこしてから半年後に亡くなったんだ」と、幼き日の肌越しに初代の温もりを受け取った将司さん。 29歳の四代目として経験を少しずつ重ねている。 昔も今も家族の絆が味の決まり手なのは変わらない。 時代に沿った変化し続けてきた食堂だが、この時代に生まれた未知なる敵の影響は大きいという。 「やっぱりコロナウイルスの影響は大きい。 毎年4月って会社の先輩が新入社員を連れてきたりで、店先にも行列ができるんだけどね。 飲み会も店貸し切りが当たり前だったのが、3〜4人ぐらいの集まりが、ボチボチと訪れる程度。 『こんなご時世だから帰りなよ』っていうんだけどね」と、お客さんへの優しい気配りに胸が痛くなる。 そんな食堂でも4月21日からテイクアウトを開始。 「元々ウチは仕出し弁当をやっていたからね。 日替わり弁当を2種類と、お店のメニューを全部持っていけるようにしたんだ。 鳥羽の山カレーとかはまだ難しいけどね」と頼もしい。 しかも「お店で食べる値段から100円引きにしている」と、お客さん第一の姿勢に変わりない。 「お酒も(期間限定の)酒販免許を取ったから、カップ酒や蓋付きのお酒を販売できるし、来月には量り売りも考えている」となれば、近所に住む方にとっては嬉しい限りだ。 「やっぱり目の前に地面が見える場所で商売をするのっていいよね」と、恰幅のいい身体に柔和な表情を浮かべるその姿は、やさしい街のアニキのようだった。 【お店情報】 創業年:1930年(昭和5年・取材により確認) 住所:〒170-0013 東京都豊島区東池袋5-11-10 電話番号:03-3982-8601 営業時間:11:00~14:00(L.

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豊島区の秘宝、反逆の定食屋【オムカレー】キッチンABC|そこに定食屋があるかぎり。|大平一枝|cakes(ケイクス)

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第ニ話「豊島区 駒込の煮魚定食」 昔からの得意客、画廊のオーナーを訪ね、駒込にやってきた五郎は、公園で将棋を指す老人達と出会う。 いっしょになって将棋を指すうちに、父から将棋を習った子供の頃に心はワープしていく。 しかしそのうちに腹がすいてきて・・。 ふと目にとまったのは、「家庭料理 和食亭」の文字。 五郎は思わずひじきの煮ものとほうれん草の胡麻和えまで頼んでしまった。 そしてそれらの味は、これまたすべて素晴らしく、五郎を癒してくれるのだった。 第二話の孤独のグルメで紹介されたのが、こちらのお店。 お魚中心の料理が楽しめるお店です。 さて、ゴロさんが魚料理を頼む。 店長から前菜を選べるとの事。。 ゴロさんが選んだのは。。。 「シチュー!?」 「 いぶし銀のおかずがよく働くんだ 」 さて、ゴロさんが食べたカロリーです。 食べ終わってからの反省会。 煮魚にシチューの疑問を持つゴロさん。 「 いや… これが駒込流なんだろう… 」.

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