海洋文明とは。 海洋文明学科|海洋学部|東海大学

文明

海洋文明とは

アジアにおける世界的水準の研究拠点の構築を目指した 「東アジア 海文明 かいぶんめいの歴史と環境」 (日本側コーディネーター:鶴間和幸学習院大学文学部教授 2005年9月~2010年3月) のホームページです。 2日間で総勢29名の日中韓の研究者にそれぞれの専門分野からご報告いただきます。 プログラム等詳細につきましてはをご参照ください。 2009. 5 の情報を追加 2009. 5 の情報を追加 2008. 5 の情報を追加 2008. 9 の情報を追加 日本・中国大陸・朝鮮半島・台湾に囲まれた海域はそれぞれの国の立場から日本海や東シナ海、東海など様々な呼び名があります。 それは歴史的な経過の中で各々の国家によって設定されたものです。 しかし、中国の黄河や長江から発生した文明は、両大河の下流域の平原を経て、沿海部から海を伝って朝鮮半島さらには日本へと伝わりました。 さらに、その文明は相互の交流を通じて「東アジア海文明」とも言うべき高度な文明を築きあげたと言えるでしょう。 当研究交流課題ではヨーロッパ世界の地中海や北米大陸の五大湖にあたるような内海とも言える海域を「東アジア海」として設定し、そこで形成された「東アジア海文明」の特質と自然環境とのかかわりを考えたいと思います。 現在、東アジアは政治的に様々な問題を抱えてはいますが、それとは反対に経済的には一体化しようという東アジア共同体の動きもあります。 本研究交流は、各国の研究者が相互に往来し、過去の東アジア社会の追求から未来の共存のありかたを「共通の場」で考えてゆくという意味において国際的に重要かつ不可欠なプログラムと言えるでしょう。 まさに、これは未来の「東アジア海文明」を創造してゆく作業にほかなりません。

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1.哲学者の語るアトランティス文明3つの情報 3つの超文明の中でも、最も古くからその存在が噂されているのは アトランティス文明です。 アトランティス文明は、古代ギリシアの時代、著名な哲学者であった ソクラテスの弟子にして、『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』などの著書を遺したことで知られる プラトンが、『 ティマイオス』と『 クリティアス』の2つの著書でその存在に触れたことで知られています。 『ティマイオス』とは著作のタイトルであると同時に、作中に登場する人物の名前です。 一種の対話集であり、クリティアスという人物の館に集ったティマイオスやソクラテスが国家のありようについて語る中、ティマイオスの話の中にアトランティスの名前が登場します。 この対話集は続編の『クリティアス』と『 ヘルモクラテス』に引き継がれる予定でしたが、『クリティアス』が未完に終わり、『ヘルモクラテス』はその構想が残るのみとなっています。 プラトンの著作によれば、アトランティス島は アジアとリビュア(アフリカ北西部の一部)を足した程の 大陸と呼べるほどの巨大な島であったとされています。 実際にその表記どおりの陸地が存在していた場合、その大きさはオーストラリア大陸を超えることになります。 アトランティス島は自然と資源に恵まれた土地で、アトランティス人はそこに強大な都市国家を建設、精強な軍隊を持ってエジプトやギリシアへの侵攻を図ります。 アトランティスには「 オレイカルコス」と呼ばれる幻の金属が存在しました。 アトランティス人達は、この赤く輝く金属で首都を守る城壁を塗り込め、城壁はまるで赤い炎のように首都を取り囲んでいたといいます。 強大な勢力を誇ったアトランティス文明でしたが、その支配者と原住民との交配が進んだ結果、アトランティス人は堕落してしまいます。 その様子を見かねた神、ゼウスはアトランティスを滅ぼしてしまおうと思い立ちます。 『ティマイオス』から引き続いてアトランティスについて語られている『クリティアス』はここで絶筆しており、未完のままで終わっています。 プラトンの著作を見る限り、 アトランティスがどのように滅亡したのか不明ですが、おそらくは神(ゼウス)の怒りに触れ、大陸ごと、海に沈められたのでしょう。 中でも、最も信ぴょう性が高いとされる説が、地中海にある クレタ島で栄えた ミノア王国がモデルであるとする説です。 ミノア王国はソクラテスの時代から1000年から1500年前に栄えた王国であったとされますが、近接する サントリーニ島で起こった火山噴火によって、わずか一夜にしてその文明は崩壊してしまったと言われています。 2kmにわたって敷き詰められた地形が発見されました。 発見当時、この人工的な地形は明らかに人間の手になるものと思われ、これがアトランティスの痕跡であるとして大きな話題を呼びました。 ただし、この通称「 ビミニ・ロード」と呼ばれる地形はプラトンが記述したアトランティス島の位置からは明らかにアメリカ大陸によりすぎていること、また、その人工的に見える地形は「 節理」と呼ばれる石灰岩が規則正しく割れる現象(日本でも埼玉県長瀞の岩畳に見られます)と考えられることから、アトランティスの痕跡とは考えられないという見解が、現在では大勢を占めています。 2.太平洋の超古代文明ムーに関する3つの情報 大西洋に存在したアトランティスと対をなすように語られることの多い超古代文明が、太平洋に存在したとされる ムー(Mu)大陸の文明です。 絵文書には、かつて「Mu」と呼ばれた王国が大災害によって滅亡したとする記録が残されており、ブルブールはこの記述にプラトンのアトランティス文明の記述との類似性を見出したと言われます。 しかし、現在知られているムー王国は、最初にブルブールが発見したものとは異なったものになっています。 それは20世紀に入ってから創られた、新しいムー王国のイメージに依るところが大きいと言えます。 『失われたムー大陸』の記述によれば、ムー大陸は 12000年前に 太平洋上に存在した大陸でした。 このムー大陸に築き上げられた超古代文明が ムー王国です。 ムー王国は 白人が支配階層として民を支配する王国で、その人口は 6400万人であったとされています。 ムー王国の支配階層の頂点に立つのは、太陽神の化身である、帝王「ラ・ムー」でした。 栄華を極めた超古代文明ムー王国でしたが、その傲慢さによって神の怒りを買い、大陸ごと一夜にして海に没して滅亡したとされています。 イースター島に残された モアイ像はムー王国の文明の痕跡であり、樹林のないイースター島で、あのような巨石を用いた彫像を建造し運搬できたということが、ムー王国の文明がどれほど進んでいたかを示す根拠ともなっています。 この2つの古文書はムー王国の聖典とも呼べるものであり、チャーチワードはそれらの解析を経て、12000年前にムー大陸に栄えた王国の存在を知り得たのだと言います。 「 ナーカル碑文」は、チャーチワードが イギリス国軍大佐を務めていた 1862年に、任地として赴いたインドで現地の宗教学者から入手した粘土板に刻まれた絵文字による文書であるとされています。 もうひとつの出典元であるとされる「 メキシコの石板」とは、アメリカの鉱物学者 ウィリアム・ニーブンがメキシコで収集した絵文字の刻まれた石板で、この絵文字は「 ナーカル碑文」に共通するものであったと言います。 しかし、チャーチワードが示したこの2つの出典は、現物の存在が確認されていません。 ニーブンが大量の石板を収集していたことは確かですが、ムー大陸の記録が刻まれた石板がその中のどれに該当するかは分かっていません。 チャーチワードが文書の現物も、その解析方法も開示していないことから、その古文書自体が存在していなかった可能性が指摘されています。 そもそも、彼は元英国軍大佐を自称していますが、 イギリス軍の記録には該当する人物は記録されておらず、チャーチワード自身がもともと詐欺師であったとも指摘されています。 また、ムー王国の文明の根拠とされるイースター島の巨石像も、それが建築された当時はイースター島に樹林が存在しており、その木材を用いて巨石を運搬していたことが判明しているため、やはりムー王国の実在を示す根拠とは言えません。 しかし、大陸は存在しなくてもムー文明は存在していたとする仮説があります。 それは、ムー文明が陸地に依存しない 海洋国家であったとする説です。 3.アトランティスの起源となったレムリア文明に関する2つの説 アトランティスとムーの両大陸は、それよりもさらに太古の時代にあった大陸の大部分が海に沈んだ結果、残された陸地であったとする説があります。 両大陸の起源とされた巨大大陸の名を「 レムリア」といいます。 1888年に ヘレナ・P・ブラヴァツキーが、自書『 シークレット・ドクトリン』においてレムリア大陸説に触れ、大陸があったのは インド洋ではなく太平洋であった主張しました。 ブラヴァツキー夫人は、神の知識を学びより高い認識に達しようとする 近代神智学の創始者のひとりとして知られており、彼女の唱えたレムリア大陸説は神秘学を学ぶ人々を中心として支持を集めました。 レムリア大陸には、高い知性と精神性を持つ レムリア人が高度な文明を築いていたとされました。 彼らは テレパシーによるコミュニティを築く能力を持ち、その力によって宇宙人との交流もあったとされています。 高度なヒーリング能力や、多次元に移動する能力を持っていたともされ、彼らの文明は平和的で争いを好まない精神的に高レベルのものであったそうです。 高度で安定した文明を築き上げたレムリア人ですが、7万年以上におよぶ地殻変動の末、大陸の大半は海に没してしまいました。 ハワイの タヒチ島は当時のレムリア大陸の中心地であったとする説も存在します。 この仮説は大きく2つに分けられ、「 滅亡したレムリア文明の子孫がアトランティス文明を築いた」とする説と、「レムリアから派生する形でアトランティス文明が築かれた」という説です。 両文明の成立には、異星人である シリウス星人が大きく関係していたとする説もあります。 いずれにせよ、両大陸ともに現在は失われており、その根拠となるものも発見されていないため、真相は定かではありません。 まとめ 20世紀前半、 ウェーゲナーの唱えた大陸移動説が プレートテクトニクス理論として定説化すると、アトランティスやムー、レムリアの存在に関する仮説が否定され、現代では、それらの大陸は実在しなかったとする説が主流です。 しかし、ムー文明が海洋国家として存在していたとする仮説のように、これらの超古代文明が現在における文明の認識とは違うかたちで存在していた可能性が、それによって否定されるわけではありません。 いずれの日にか、これらの古代文明の実在を裏付ける新たな理論が成立する可能性も否定できないでしょう。

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www.videocon.com: 文明の海洋史観 (中公文庫): 川勝 平太: 本

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