徒然草 全文。 徒然草 (英文版)―Essays in Idleness (タトルクラシックス )

徒然草 (英文版)―Essays in Idleness (タトルクラシックス )

徒然草 全文

原文(本文) 久しく隔たりて会ひたる人の、わが方にありつること、数々に残りなく語り続くるこそ、 あひなけれ。 隔てなく慣れぬる人も、ほど経て見るは、ぬ かは。 つぎさまの人は、立ち出でても、今日ありつることとて、息もつぎあへず語り興ずるぞかし。 よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、 人も聞くにこそあれ。 よからぬ人は、たれともなく、あまたの中にて、 見ることのやうに語りなせば、みな同じく笑ひ、いと らうがはし。 をかしきことを言ひても いたく興ぜぬと、興なきことを言ひてもよく笑ふにぞ、品のほどれぬべき。 人の みざまのよしあし、 才ある人はそのことなど 定め合へるに、おのが身をひきかけて言ひ出でたる、いとわびし。 現代語訳(口語訳) 長い間離れていて(久しぶりに)会った人で、自分にあったこと(自分の話を)、さまざまに残ることなく語り続けることは、不快である。 離れることなく慣れ親しんだ人であっても、しばらくたって会うのは、気まりが悪くはないだろうか、いや気恥ずかしい。 二流の人は、ほんのちょっと出かけても、今日起こったことといって、息もつけないほどに面白がって話をするものです。 教養のある身分の高い人が話をするときは、(その場に)人が多くいても、(その中の)一人に向かって話をするので、(その他の人も)自然と耳を傾けるのです。 教養のない人は、誰に語るというわけでもなく、大勢の中に出しゃばって、(あたかも自分が)目にしているかのように(おおげさに)語り、(その場にいる)皆も同じように大いに笑うので、ひどく騒がしいです。 情緒深いことを言っても、それほどおもしろがることもなく、おもしろくないことを言ってもよく笑うというのは、(その人の)品格を推し量ることができるでしょう。 人の外見の良し悪しや、学識のある人はそのことを批評しあうのに、自分の身を引き合い口に出して言うことは、とても興ざめなものです。

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徒然草『久しく隔たりて会ひたる人の』のわかりやすい現代語訳と解説 / 古文 by 走るメロス

徒然草 全文

能をつかんとする人、「よくせざらむほどは、なまじひに人に知られじ。 うちうちよく習ひ得てさし出でたらむこそ、いと心にくからめ」と常にいふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。 いまだ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、そしり笑はるゝにも恥ぢず、つれなくて過ぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能の嗜(たしな)まざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ人に許されて、ならびなき名を得ることなり。 天下のものの上手といへども、はじめは不堪(ふかん)の聞こえもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。 けれども、その人、道の掟正しく、これを重くして放埒(ほうらつ)せざれば、世の博士にて万人の師となること、諸道かはるべからず。 これを現代語に訳すと大体こんな感じになります。 これから芸事を身に着けようとする人はとかく「ヘタクソなうちは誰にも見せたくない。 こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するがカッコいい」と言うものだけど、そういうことを言っている人が最終的にモノになった例えはひとつもない。 まだ未熟でヘタクソな頃から、上手くてベテランな人たちに混ざって、バカにされて笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張っていれば、特別な才能がなくても上達できる。 道を踏み外したり、我流に固執することもないだろう。 そのまま練習し続けていれば、そういう態度をバカにしていた人たちを遥かに超えて、達人になっていく。 人間的にも成長するし、周囲からの尊敬も得られる。 今は「天下に並ぶ者なし」と言われている人でも、最初は笑われ、けなされ、屈辱を味わった。 それでもその人が正しく学び、その道を一歩一歩進み続けてきたおかげで、多くの人がその教えを授かることができるようになった。 どんな世界でも同じである。 ーより引用 何かを新しく始めようとするのは、とても勇気のいることです。 始めたら始めたで、周りの目が気になったり、上手くできずに諦めてしまうことも…。 それでも周りに罵られようが、恥ずかしがらずに堂々とやり続けることで、人として成長し成功を収めることができる。 約700年ほど昔の人が、取りとめもなく浮かんでくることを書き綴った言葉ですが、現代の私たちにもグッとくる言葉です。

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5分でわかる徒然草!内容、読み方を分かりやすく解説!

徒然草 全文

Donald Keene's complete translation admirably presents this extraordinarily influential Japanese classic. He loves the past: every scrap of tradition is precious to him. He is haunted by transience: by the vanity of human desires and ambitions, by the inevitable approach of death. He values modesty and simplicity, even as he appreciates subtlety and formality. Sometimes he contradicts himself, as a journal keeper may so easily do, but these lapses are in themselves endearing. However, Kenko is consistent in his statement of the peculiarly Japanese aesthetic principle: beauty is intrinsically bound to its perishability. Though Kenko's argument. often consists merely in a brief statement of perceptions, he succeeded in defining with great sensibility aesthetic preferences that have been true of Japan ever seen. " 日本三大随筆の一つ『徒然草』。 ドナルド・キーン訳。 思索や雑感、逸話を多岐にわたって『つれづれなるまま』と、すずりと筆で書きとどめた仏僧、吉田兼好。 本書で語られている興味深く楽しい、教訓的な物事を描く逸話や、風習、 儀礼についての記事は、彼にとって全て書き記すべき重要なものでした。 223章から成る本書は各話の文量が多くなく、中には2、3行のみの話もありますが、 短編集であるこの1冊から兼好の魅力溢れる人柄が十分に見受けられます。 彼は、人間の欲望や野望の虚しさや不可避な死という「無常」に心を奪われました。 形式ばったものを賞賛しながらも、謙虚さや素朴さに価値を置いている彼の矛盾が親しみを感じさせますが、 兼好が語る物事には、「美とは本質的にもろいものである」という日本の美学に一貫しているところがあります。 始まりも終わりも不完全で不規則、地味なものであり、完全なるものを超える魅力なのです。 そしてドナルド・キーンは本書を、「日本の審美眼の発展において中心となる作品」だと評価し、 見事な英語訳で、その極めて重要な古典を世界に伝えています。 Kenko also known as Urabe no Kaneyoshi or Yoshida non Kaneyoshi is believed to have lived from 1283 to 1350. He became a Buddhist priest in 1324 after the death of the retired Emperor Go-Uda, whom Kenko had served. Though Buddhist though figures prominently in this book, Kenko was no secluded monk: remaining in Kyoto, he was as preoccupied with worldly gossip as he was with pious reflections. 日本文学研究の泰斗、ドナルド・キーンさんによる英訳徒然草。 本書の特徴として、我々現代人には難しい、古語や仏教語の類いを、平易な英語で置き換えている点にある。 各段の終わりには注釈も豊富に載せてあり、難解な段には解説もあって、理解の助けになる。 したがって、原文や現代語訳で読むよりも理解しやすい点は多い。 また、英語の構造として主語述語の関係がはっきりするので、 原文や現代語訳で曖昧に読んでいた箇所のあったことに気づかされることもある。 抄訳ではなく全訳で読める点も大きい。 徒然草全体の思考の流れを楽しめるからだ。 キーンさんの英語は、端正でオーソドックスなことばを使われているので、 中級の英語読者なら、比較的読みやすいと思う。 と併せて読みたい一冊。

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