野ばら ドイツ 語。 野ばら ヴェルナー 歌詞・日本語訳と試聴

久方東雲「ゲーテ、シューベルトと野ばら」

野ばら ドイツ 語

Schubert】(ドイツ語/日本語) みなさん、こんにちは!声楽家&ブロガーのとらよし()です。 今日はシューベルトが作曲した「野ばら」の歌詞対訳と解説をお送りします。 日本では中学校の教科書にも載っている曲なので、この曲をご存知の人はとても多いと思います。 フランツ・シューベルトはクラシック音楽界では「歌曲王」と呼ばれており、有名な歌曲を数多く作曲しました。 lief er schnell, es nah zu sehn,/彼がすぐに駆け寄り間近で見れば、 sah's mit vielen Freuden. /それは喜びに満ち溢れていた。 /野に咲く小さなバラ。 Knabe sprach: "Ich breche dich,/2. "/それに、私は苦しんだりはしません。 /野に咲く小さなバラ。 Und der wilde Knabe brach/3. /野バラはただ耐えるばかり。 /野に咲く小さなバラ。 「野ばら/シューベルト」の解説 この詩のもとになった 「野ばら」は、ドイツを代表する詩人ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe,1749-1832)の作品です。 彼が1771年にドイツのシュトラスブルク(フランスとの国境沿いにある街)に滞在していた頃作詩されたものと言われています。 この頃、ゲーテは農夫の娘であるフリードリケ・ブリオンという女性に恋をしており、詩はその女性に送られました。 となってくると、もちろんこの 「野ばら」はその女性を表現しており、 子どもはゲーテ自身を表現していると考えられるでしょう。 詩の出版は1799年です。 この詩には、他にもヴェルナーやベートーヴェン、シューマン、ブラームスといった有名なクラシック作曲家が作品を作っており、この詩に付けられたメロディーは150以上と言われています。 シューベルトの歌曲の原調はト長調で作曲されており、拍子は4分の2。 ピアノ伴奏は主和音を右手と左手とで交互に奏するだけの非常にシンプルな作りになっています。 シューベルの作曲した曲の中でも初期の傑作と言えるでしょう。 日本では以下の日本語訳もよくしられており、この日本語で歌われた歌唱も多く存在するようです。 近藤朔風(こんどうさくふう)による日本語歌唱の訳 1. 童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら) 清らに咲ける その色愛(め)でつ 飽かずながむ 紅(くれない)におう 野なかの薔薇 2. 手折(たお)りて往(ゆ)かん 野なかの薔薇 手折らば手折れ 思出ぐさに 君を刺さん 紅におう 野なかの薔薇 3. 童は折りぬ 野なかの薔薇 折られてあわれ 清らの色香 いろか) 永久(とわ)にあせぬ 紅におう 野なかの薔薇 まとめ 日本では、西洋音楽が入って来た戦後の時代に外国の歌曲を日本語で歌う風習がありました。 しかしこれはなにも日本に限ったことではなく、例えばイタリアでドイツ語の歌がイタリア語で歌われたり、ドイツでイタリアオペラがドイツ語で歌われるということが頻繁にありました。 そのため、年輩の方であればこの詩は聴き馴染みがあるのではないかと思います。 シューベルトの歌曲は、シンプルな作りの中で転調をしていくことで少年とバラの心情をよく表現していることで有名です。 是非、楽しみながらこの曲を聴いてみてください!それではまた!.

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野ばら~ドイツ語のうた~:KRS451 | コウベレックス

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クリックで画像拡大。 ヒステリーの語源は子宮が病因と考えられたこと、ワクチンのは最初牛痘のものが用いられたことに拠ります 医学他自然科学系語彙はギリシア・ラテン由来の造語が多いのですが、日本語にはご覧のようにドイツ語の発音に近い形で取り入れられています。 ちなみに医者が診療結果を記入する カルテもドイツ語の Karte(カルテ)から。 ただし、これは「カード」一般の意味で、日本語でいうカルテの意味にあたるのは、 Krankenbericht(クランケンベリヒト)になります。 さらに医療従事者にとってドイツ語は単に実用性のみならず、患者に無用な情報を漏らさないための隠語の役割も果たしてきました。 また自然科学の術語について言えば、医学以外でも、 Energie(エナギー)から エネルギー、 Vektor(ヴェクトーア)から ベクトル等、やはり先進国の言語であったドイツ語からの借用語が数多く用いられています。 身近なドイツ語2. 政治・経済関連の語彙 続いては、政治・経済関係の借用語を。 クリックで画像拡大 「反対命題」を意味する アンチテーゼはヘーゲル、「賃金労働者階級」を意味する プロレタリアートはマルクスとエンゲルスという、ドイツの思想家由来の術語ですね。 「暴力」を意味する ゲバルトは元々学生運動の隠語ですが、むしろ「内ゲバ」「ゲバ棒」といった用法で馴染みがあるかと思います。 もう一つ、ニュースで折々目にするのが、スローガン等を唱和する シュプレヒコール( Sprechchor)。 一見して明らかなように、 sprechen(シュプレッヒェン/意見を言う)と Chor(コーア/合唱)の合成から成る、ドイツ語由来の表現です。 身近なドイツ語3. スキーや音楽など文化に関する語彙 その他、スキーに登山、音楽に料理、自動車にペットと、様々な場面でドイツ語由来の単語が登場します。 ドイツでウィンナー(Wiener)、オーストリアでフランクフルト(Frankfurter といえば、茹でソーセージ 例えば一般に「バイト」と簡略化されて用いられている、 アルバイト。 ドイツ語のほうの Arbeitは仕事一般、研究や制作、そこから生まれた作品等を指します。 学業も含むので、「学生の本分は Arbeit! 」なら教授の文句も出ないでしょう。 一方、日本語の アルバイトに該当するドイツ語は、英語由来の Job(ジョプ)になります。 また ウィンナーといえば、日本では子供から大人まで、たいへん人気なおかず。 たこさんウィンナー炒めなんて、おつまみにもぴったりですね。 つまりそちらでは「ウィーン風( Wiener)」とは、素材の種別よりもむしろ調理法を指す表現というわけです。 【関連記事】•

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この歌曲というコンセプトで捉えられ得る中心的な存在は、先駆的なを経て、そしてやの時代に培われたものといえるであろう。 それらは器楽伴奏がついた2部分 ( 2部形式) あるいは3部分 ( 3部形式) からなる歌曲形式を形成していることが多い。 それらを大別すれば 有節歌曲 と 通作歌曲 に分類される。 有節歌曲は詩の各節が同じ旋律で歌われる (ex. これに対して通作歌曲は詩の各節に違った旋律が付けられて構成されている。 劇性を有する長めの詩文に適している (ex. シューベルト「」)。 広義な観点で歌曲の根源を求めれば、人類の古い時代にまで限りなくさかのぼれるだろう。 ここでは上記で定義した歌曲の起源は、の ( 、 、、マイスタージンガーなどの) などに求められるだろう。 になってはの隆盛を極めるが、ここでいう狭義での歌曲には入らない。 に入って、多声的音楽とは一線を画するが生まれることにより、歌曲に近づいていく。 やを経てより熟したものへとなっていく。 歌曲はロマン派音楽の中でもである。 b. とは 「ドイツ歌曲deutsches Lied」という場合、19世紀以後にかけてドイツ語圏で培われ成立した芸術歌曲を指している。 といっても他の言語圏で発展していった歌曲とともに連携して発展していった存在である。 全ヨーロッパですぐれた歌曲がどんどん生まれていった時期であったからである。 こうした歌曲の隆盛の影響を受けたというのは早計かもしれないが、遠く広い意味で日本にも及んだ。 方法論的に容易な歌曲はより受容が早かったし、作曲・演奏ともにとっつき易かった。 さて、 ドイツ歌曲は全ヨーロッパにおける歌曲の飛躍的な動きの中でも特別な存在と言えるであろう。 時代に入って Schubert オーストリア (1797-1828)によって開かれ、始められた。 しかし、ベートーヴェンの生涯にわたる数多くの歌曲をみると、ドイツ歌曲はベートーヴェンから始まったという方が正しいかもしれない。 シューベルト以後はゲーテ、ハイネ、メーリケ、アイヘンドルフなどの詩によって歌曲が作曲されていった。 音楽史上卓越した詩と音楽の融合がみられた。 歌唱部のみならず、この時期に目を見張る楽器としての発達と演奏技術の充実が、ピアノ伴奏部書法を大きく飛躍させた。 こうして歌曲は作品としての確固たる地位を得ることになる。 この貢献者としてあげられるのは、先駆者としてのの、、である。 そしての、、、、、そして、、レーガーである。 になって、、、ヒンデミット、ヘンツェ、ライマンなどの作曲家もいるが、ドイツ歌曲としての変貌する時期に入っていくのである。 もう一つ決定的な歌曲の形態の代表例は、 連作歌曲Liederzyklus,Liederkreis であろう。 すでにベートーヴェンにその例はみられるものの (ex. 「遥かな恋人に寄せてAn die ferne geliebte」1816年作曲)、なんといってもロマン派に入ったシューベルトのこれに対する役割は大きかった。 <> Schubert オーストリア (1797-1828) は、たいへん作品数も多くその分野も広い。 主に歌曲についてのみ過大評価されることもあるが、それはふさわしい評価ではない。 なぜならシューベルトは器楽、とりわけ管弦楽曲にすぐれ、オペラ8曲についても才覚を現した作曲家であった。 これを前提にしてシューベルトの歌曲を捉えなくてはならないだろう。 彼の歌曲は、イタリア語によるものが9曲、ドイツ語によるものが576曲ある。 シューベルトは歌曲においてあらゆる形式を駆使して用いた。 その基本は 有節歌曲 と 通作歌曲 であるが、これを巧みに変化させ、つまり原作の詩によって柔軟に対応したようである。 先ずすべての歌曲が魅力に満ちた旋律を作りだし、その旋に対して当てたピアノ部に大きな役割を与えている。 歌唱部とピアノ部が一体となって表現していく音楽は、シューベルトの大きな功績であろう。 ある時は音画的な表現をする音型や非凡な転調や和声法によって、詩のもつ深い内容を描き出す。 たとえ凡庸な詩であってもそれ以上の深さを附加させたりさえしている。 中でも 連作歌曲Liederzyklus,lederkreisの存在は、一夜のコンサートのプログラムとして輝き を放つものであった。 <シューベルト「野ばらD257」> シューベルト「野ばらD257」 を知らぬ人はいない。 シューベルト 18歳 (1815年) の作品、やはりゲーテの詩による有名な歌曲「魔王D328」とも同時期で、シューベルト初期の無名時代の作品である。 2/4拍子の軽やかさと律動感のある有節歌曲である。 単純ながら子どもから大人もプロも歌う希有な芸術性の高い歌曲である。 この2小節の楽句をピアノが反復、2番と3番への間奏としている。 たいへん洒落た工夫をしているものである。 歌詞はドイツの大文豪 ゲーテGoethe ドイツ (1749-1832) のもので、たいへん洒落て文学的である。 無邪気な男の子と野ばらの対話は、われわれのファンタジーをかき立てる。 この野ばらはゲーテにとっては忘れられない少女を指すともいわれている。 シューベルトが生涯尊敬を捧げたゲーテはおもしろいことに貧しく無名のシューベルトに全く感心を示さないばかりか、ゲーテの詩に作曲したシューベルトの歌曲を全く評価しなかった。 それは生涯ゲーテが憧れ続けた Mozart オーストリア (1756-91) に対してとは正反対! 子ども時代のモーツァルトの演奏会も聴き、この世の奇跡と称賛し続けたが、モーツァルトの方は無関心でゲーテの詩に作曲したのは1曲「」)だけだった。 ついでに言えばゲーテが親しく交流した作曲家は、曾孫のような年の差のあった Mendelssohn ドイツ (1809-47) だった。 彼は大富豪、メンデルスゾーン銀行の御曹司! この辺の状況からみてもゲーテの一面が垣間みられる。 これを筆者が述べているのは批判をしているのではない。 完全な人間はいないという一例であって、負の点があったとしてもその人の愛すべき点だと思う。 親しまれた近藤朔風訳は歌うのにすぐれているが、ちょっとした劇性をもつ原文からはやや遠いかな。 ではゲーテ「野ばら」の拙訳をご覧あれ。 歌うための訳詞ではないのであしからず。 ゲーテとシューベルトの深い思いを味わう参考としてください。 追記:近藤朔風の訳詞も並記。 男の子がバラをみつけた、 ちいさな野バラを。 若々しく朝のように美しかった。 男の子は近くで見ようと走りより、 見てたいへん喜んだ。 バラよ、バラよ、赤いバラよ。 ちいさな野バラよ。 男の子がいう。 ずっとわたしを忘れないようにね。 わたしは苦しみたくない。 ちいさな野バラよ。 するとこのわんぱくはバラを折った、 ちいさな野バラを。 バラは身を守って刺し、 あげた嘆き声もむなしく、 ただ苦しむだけである。 バラよ、バラよ、赤いバラよ。 ちいさな野バラよ。 童 (わらべ)は見たり、 野なかの薔薇。 清らに咲ける、 その色愛 (め)でつ、 飽かず眺む。 紅 (くれない)におう、 野なかの薔薇。 手 (た)折りてゆかん、 野なかの薔薇。 手 (た)折らば手折れ、 思い出ぐさに、 きみを刺さん。 紅 (くれない)におう、 野なかの薔薇。 童 (わらべ)は折りぬ、 野なかの薔薇。 折られてあわれ、 清らの色香 (いろか)、 永久 (とわ)にあせぬ。 紅 (くれない)におう、 野なかの薔薇。

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