ベルナデッタ。 金鹿17章で地獄を見た【グロンダーズの会戦】│SpicaBlog

「ベルナデッタ」か「ベルナデット」か

ベルナデッタ

ルルドの聖母出現 1858年2月11日、14歳の少女ベルナデッタ(フランス語ではBernadette ベルナデット)・スビルーがフランスのピレネー山脈の麓にある当時小さな町ルルドのはずれにあるガヴ川(正確にはGave de Pau:ポーの急流)のほとり、マサビエーユの洞窟のそばで枯れ木拾いをしているとき、一人の若い美しい女性が上の小さな洞窟の中にいるのを見ました。 その日以後、同じ年の7月16日まで18回にわたってベルナデッタは彼女に会い、ベルナデッタが日常話していたその地方の言葉で会話しました。 ベルナデッタは目の前に現れた若い貴婦人が誰であるか分かりませんでした。 しかしベルナデッタが何かを見て恍惚の状態にいるのを端から眺めていた人々は、それは聖母であると噂し始めました。 何回かの彼女との会話で、聖母に言われた所を掘ってみると泉が湧き出てきました。 またその貴婦人が罪人のために祈ること、ここに聖堂を建てるよう望んでいることを司祭に伝えるように言われました。 ベルナデッタからそのことを聞いた司祭は信じることができずその女性の名前を聞いて来るように言いました。 彼女に会う度に何度も名前を尋ねるベルナデッタに、ついに16回目の出現の時その貴婦人はピレネー地方の言葉で次のように告げました。 "Que soy era Immaculada Councepciou. " つまりそれは「私は無原罪のやどりである」という意味でした。 これを聞いた司祭は無学で字も読めない少女ベルナデッタが"Immaculada Councepciou"という言葉が何を意味するか知るはずもないので確かにそれは聖母であると確信しました。 出現の詳細はをご覧ください。 教会の公認 1854年12月8日、教皇ピオ9世はエクス・カテドラ宣言によって、「無原罪の御宿り」をローマ・カトリック教会の正式な教義と定めました。 無原罪の御やどりとは聖母マリアが原罪を受け継がずに母アンナの胎内に宿って生まれたという意味です。 この宣言がされたのは、聖母自身がベルナデッタに言われた時の4年ほど前でした。 1862年1月タルブのローランス司教は司教教書でマリアが実際にベルナデッタに現れたことを認めるとの声明を出しました。 聖ジルダール修道院 聖堂 右隅にベルナデッタの棺がある カトリック教会教皇ピオ11世は聖母出現の事実を正式に奇跡と認め彼女は1925年に福者となり、1933年12月8日に列聖(聖人にされること)されました。 ベルナデッタの証言 聖母に会ったベルナデッタは次のように証言しています。 私が見たのは、年頃16、17の貴婦人です。 私は、今までにあの方のような美しい婦人を見たことがありません。 白い着物を着て、ブルーの帯をしめ、右の腕にロザリオをかけていました。 貴婦人は罪人の改心のため祈るよう勧められました。 私は貴婦人に接した時、私のみにくい心がとても気になりました。 私はそれを正直に貴婦人に言いました。 何回も会うたびに「あなたの名前を教えて下さい。 」と頼みましたが、最後の出現の時にやっと「私は無原罪の御宿りです。 」と答えて下さいました。 聖母は私に、「この世ではなく後の世で幸せな者にしてあげます。 」と約束されました。 癒しの聖地ルルド 当時ルルドの町はずれであった洞窟のある場所は壮大な聖堂や巡礼者のための施設などが建ち大巡礼地となっています。 ベルナデッタが聖母に言われて掘った泉は、今も涸れることなく湧き出ています。 その水を飲んだ人や泉の水に浸った人の病気や怪我が治ったという証言が数々あります。 これらのことでルルドはフランス随一の癒しの聖地として全世界から年間6百万人もの巡礼者がやって来ます。

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ベルナデッタ

また、正直に忠実に生きた全ての人々は、全員を伝記に掲載するのは不可能ですが、全て聖人であるとして、「諸聖人」と呼ばれています。 ベルナデッタは、フランスの寒村ルルドで18回にわたり聖母マリアのご出現を受けたということ、その後の生き方が福音に倣って謙虚で慎ましく、そして亡くなって後その遺体が腐敗を免れたということなどから、当時の教会の権威による慎重な審査の結果、1933年12月8日に列聖されました。 つまり聖人として正式に認められた次第です。 ですから聖ベルナデッタとかルルドの聖女などと呼ばれるようになったのです。 さて、この記事でお話ししたいのは聖人についてではなく、ベルナデッタという名前のことです。 上にも書きましたが、日本のカトリック教会ではベルナデッタの名前は正式に「ベルナデッタ」です。 ところが、欧文表記からの日本語転記によるもう一つの可能性があります。 それは「ベルナデット」です。 このサイトでも紹介したミュージカル座のオリジナルミュージカル『ルルドの奇跡』では、2時間半に及ぶ作品の中で歌われる全ての曲で、主人公は「ベルナデット」と呼ばれています。 Bernadetteという綴りの発音を、日本語の耳としてどう捉えるか、これにはさほど迷いは生じません。 マリー・アントワネットも同様で、-etteで終わるフランス語の綴りは、普通は「ット」と表記されています。 むしろベルナデッタだけがなぜ「ッタ」でなければならないのかと、疑問を感じます。 イタリア語のようにBernadettaであれば説明は簡単なのですが。 ちなみに、フランスのシラク前大統領の夫人もそうですが、この聖女ではなく人名としてのBernadetteは全てベルナデットと表記されているようです。 ベルナルドとはフランス語でベルナールと読み、クレルヴォーの聖ベルナールとして知られる12世紀の神学者です。 シトー修道院という現在のトラピストに続いていくベネディクト系の修道院の若き修道士として、次第にその時代の教会や修道院のあり方に改革の光を当てていく聖人です。 フランスの誇りである聖人の名前を冠し、それに愛称としてetteを付けて呼んでいたということになります。 その上ベルナデッタの母親のルイズの姉、ベルナデッタからすれば伯母も、その名前をベルナルドといいました。 身近な名前だったということでしょう。 ヌヴェールの修道院に入って、シスターとしての名前(修道名)をもらうとき、再び聖ベルナールにちなんで「マリー・ベルナール Marie-Bernard 」と名付けてもらっています。 謎はこのあとです。 どうして「ット」が「ッタ」になったのか。 明治時代に再入国を果たしたカトリック宣教師の中にイタリア人宣教師が混じっていて、「ッタ」と発音してしまった? 当時多くの宣教師はフランスから来ていましたし、ルルドやベルナデッタの話は別の記事に書いた通り日本の信徒再発見と時代的に重なっているので、フランス人司祭たちはとても情熱をこめて紹介したに違いありません。 これは勝手な想像に過ぎませんが、「ット」ではフランス人の耳には-ettoとなってしまい、これでは母音がoで終わるので、まるで男の子かもという印象だったかも知れません。 ならば「マリア」などと同じく語尾が「ア a 」で終わる「ッタ -etta 」の方が響きがいい!…ということになっていったのでしょうか。 20年ほど前でしたか、故・小林珍雄神父が『ベルナデット』という大判の本を出版、どうして「ット」なのかとたくさん質問が寄せられたと聞いたことがあります。 その時の答えはまさしく、-etteを発音に忠実に表記すると「ット」になりますというものだったような記憶があります。

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「ベルナデッタ」か「ベルナデット」か

ベルナデッタ

パッと読むための見出し• ベルナデッタ・スビルーとは この写真は、ルルド大聖堂に行ったときに「Basilica of St. Pius X」内で撮影したものです ここにも書いてありますが、 「Sainte Bernadette」 「セイント・ベルナデッタ」 、セイント=聖人なんです。 ベルナデッタは、1879年に亡くなった後、肉体が腐っていないことでも有名ですよね。 聖ベルナデッタのご遺体は、ルルドではなく、フランスのヌヴェールの修道院に安置されています。 (私は実際に訪ねたので、ベルナデッタのご遺体を拝見させて頂きました) まずは、聖女・ベルナデッタについて ベルナデッタ・スビルーは、フランスの聖女。 (Bernadette Soubirous, 1844年1月7日 — 1879年4月16日) 南仏のルルドで聖母の出現を体験し、 後に ヌヴェールの愛徳女子修道会の修道女となる。 写真に撮られたカトリック教会の最初の聖人である。 ベルナデッタによって発見された泉の水によって不治の病の治癒例が多く見られ、教会が公認したものだけでも68例にのぼり、 ルルドはカトリック教会の最大の巡礼地の一つとなった (引用: ベルナデッタの生家とカショー こちらが、ルルドにあるベルナデッタの生家 今は、ルルドの観光名所のひとつになっていて、入場料金を払って、中に入って見物できるようになっています。 水車小屋も小さいですが、家の中に入ってみると、本当にこじんまりと、作りも小さく、ベルナデッタが寝ていたであろうベッドも展示されています。 また、ベルナデッタの両親や家族の写真の展示もあります。 ギフトショップも併設されています。 ベルナデッタの生家を実際に見て感じるよりも、 実は、もっともっと・・・壮絶で、貧しく苦難の幼少期を過ごしています。 生まれてからこの水車小屋に住んでいたのですが、 その後、さらに不幸が重なり、さらに小さく汚い場所へ家族で移っています。 「カショー」と呼ばれた牢獄跡の建物に住むことを余儀なくされた。 (引用: ルルド大聖堂から、歩いて行ける場所に、カショーはあります。 カショーも実際に中に入って、見ることが出来ます。 ここには、さまざまな言語に訳された 観光用の説明がラミネートされ置いてあります なんと! 日本語で説明を読むことが出来ます。 google map から引用させて頂きます。 ) 本当に本当に、狭くて、 ここに4人で住んでいたの??? 信じられない。 と思ってしまいます、 そして、ここで ベルナデッタの家族は、 「毎晩大きな声で、フランス語で夕の祈りを唱えていた」ということなんです。 信仰の力 信じる力 すごいですよね。 こんな状況でも、祈り続けたという事実、、、すごすぎます。 ベルナデッタの家族のあまりにも清純な様子に胸が熱くなり、というか、痛いくらいでした。 第1回目の聖母マリアの出現があったのが、1858年2月11日 そして、聖母に15回ここに来なさいと告げられ、ベルナデッタは通います。 15回目のマリア様の出現では、 「泉に行き、その水を飲み、顔を洗いなさい」ということでした。 洞窟の奥の泥土を手で掻き起すとそこに泉を見つけました。 今もお水は、次から次へ湧いています ここからお水を汲むことはできませんが、 ルルドには、誰でも水を汲める場所があります。 その人々を心から助けること以外の心づかいや心配を、決してもってはなりません」 というドゥラヴェンヌ師(フランス語版)の言葉を会則としており、貧しい家庭の女の子に初等教育を施すことと、誰からも望まれない老人を迎えることにとりわけ意を用いていた。 (引用: 私が訪れた2016年は修道院の中での写真撮影はできなくなっていました。 ただ、修道院に宿泊はできるようでした。 ヌヴェール修道院で、ベルナデッタのご遺体と対面した時は、 本当に美しくて、清楚で、清純で、、、 じーと見つめているだけで、なんだかエネルギーが体中を駆け巡って行っているようでした。 修道院の中の空気が神聖で、清らかで、、、修道院の中が別世界のような気がしました。 初めてベルナデッタのご遺体を前に、祈っている時、彼女のことが、野に咲く花、とっても清らかで可憐なエネルギーを醸し出している、ヌヴェール修道院自体も真っ白というか、清純そのものって感じを受けました。 (個人的な感想です) 修道院中は写真撮影はできないのですが、外には案内板が出ています。 スポンサーリンク ルルドの今 1858年にルルドの聖母の出現以来、カトリックの巡礼地となり、聖域の事務局によれば、 約6万人の患者や病人を含む毎年600万人の巡礼者や観光客を迎い入れています。 ベルナデッタによって発見された泉の水によって不治と思われた病が治癒する奇跡は、教会が公認したものだけでも68例にのぼっています。 ルルドの奇跡の泉へ訪れる人は後を絶ちません。 世界各国からルルドへ続々と人が今も訪れています。 ルルドに行ってみて、思うのですが、 本当に本当に、みなさん、神聖な気持ちで祈られています。 だからこそ、ルルドの磁場は今も、聖地であり続けているのだと思います。 人々が祈る力が、こんなにすごいパワーを持っているのかと行って初めて気付かされました。 ルルドの夜のろうそく行列はすごいです。 地球の大地から湧き上がってくるようなエネルギー、そしてその湧きあがってきたパワーはどんどん増幅するような感じでした、、、言葉で言い尽くせないパワーです。 聖母マリア様からのベルナデッタへのメッセージであった行列について、 今も夜のろうそく行列として行われているんですよね。 ベルナデットは、 聖堂を建てることと行列をして欲しいという、女性からのメッセージを教区の司祭であるペラマール神父に伝えた (引用: ルルド大聖堂についてこちらがおすすめ ・ ・ ・ ・ 最後に ベルナデッタについて、ルルドの奇跡について、ご紹介しました。 いかがでしたでしょうか? ベルナデッタのご遺体は、今もヌヴェールの修道院の一番前の聖域に安置されています。 彼女がそこにいることで、何かを感じたり、勇気づけられたり、共に祈ったり。 いつも共に祈り続けることを教えてくれ、彼女の生き方そのものを見せてくれ、感じさせてくれる場所。 フランスまでは、なかなか遠くて、行けないという方、 ベルナデッタの写真から、ルルド大聖堂から、何かを感じて頂ければ嬉しいです。 純真で無垢であったベルナデッタの元に、聖母マリア様は現れたのでしょう。 最後までお読みいただきましてありがとうございます。 今日も佳き日でありますように。

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