イケメン ヴァンパイア 太宰。 『イケメンヴァンパイア◆偉人たちと恋の誘惑』太宰治(CV:八代 拓)の本編ストーリーが遂に4月30日より配信!

#イケメンヴァンパイア 婚前旅行

イケメン ヴァンパイア 太宰

chapter01からはお屋敷生活の回想です。 投稿のお知らせはこちらのキャプとTwitterで行います。 1ページ目の目次から更新先にとべるようになっています。 日本庭園の端にぽつぽつと灯る橙が、地面にうっすら積もった雪を浮かび上がらせていた。 「くしゅんっ」 「寒いかな? 頬は随分、赤いようだけど」 旅館の浴衣の上から藍色の羽織を肩にかけた太宰さんが、ふと私の頬に指を伸ばす。 「急に部屋の外に出たので、お酒が回ったのかもしれません」 「そうかな。 冷たい風に当たると、酔いが覚めるというけどねぇ」 そう言いながら腕を組んでにっこりと笑う。 太宰さんの香りに混じって、日本酒の甘い匂いが漂ってきた。 「とし子さんは浴衣がよく似合うねぇ。 やっぱり、日本の女の人だ」 「…………」 目を細める太宰さんは、いつものように揶揄っているだけだ。 そうわかっているのに 勧められて飲みすぎてしまったお酒が、私の思考をふわふわと曖昧なものに変えていく。 「太宰さんは、どうしてここに来たんですか?」 「おや、迷惑だったかな」 「違います。 家族や友人は、予定通りフランス旅行から帰って来たと思っていた。 何か気になるところがあれば、自由に見てください」 「ありがとうございます。 温泉まで入らせて貰って……すごく素敵な旅館ですね。 これなら、自信を持ってお客様にお勧めできます」 「よろしくお願い致します」 「はい!」 仕事を再開し、春の温泉フェアに向けてとある温泉街へ出張に来ていた。 数軒の旅館のプランを確認し、一泊して帰る予定だ。 思ったより時間がかかり、外はすっかり暗くなっている。 取材は全て終わったし、このまま旅館で夕食をとるのも良いかもしれない。 「すみません……予約はしていないんですけど、出来れば晩ご飯もいただきたくて」 「ええ、もちろんですよ。 広間にご用意致します。 今日は他のお客様が一名いらっしゃいますが、宜しいですか?」 「はい! ありがとうございます!」 一日歩き回った足の疲れも温泉で癒されたし、食事の評判も良い宿のご飯まで食べられるなんて。 今回の出張、ラッキーかも…… そう思いながら、言われた広間へ向かう。 靴を揃えて襖をそっと引くと、中には一人の男性客がいた。 「失礼します」 広間の端で日本酒を手酌で飲んでいる男の人が振り返る。 「え……?」 「おや」 「あの……」 「奇遇だねぇ、とし子さん。 旅行かな? そういえば、あなたは一人旅が好きだったね」 「……太宰さん!?」 「あはは。 覚えてるかな」 「も、もちろんです……! というか、ついこの間までお屋敷にいたんですから、当たり前ですよ……!」 「つい、この前?」 「はい」 太宰さんはしばらく私の顔を見つめたあと、へらっと表情を崩した。 「通りで、何も変わらないはずだ」 「…………?」 「再会の記念に、一杯どうかな?」 「ええ、はい……」 こっちこっち、と。 にこにこ笑いながら手招きをする太宰さんの傍まで歩く。 お猪口にとくとくと日本酒が注がれて、慌てて太宰さんから徳利を受け取り、同じように注いだ。 「なんだか、懐かしいなぁ」 「そうですね」 自然なやり取りに、少しの切なさが胸を締め付けた。 一ヶ月の間、こうして太宰さんと何度かお酒を飲んだことを思い出す。 私はその時の淡い恋心にそっと蓋をして、日本に帰って来た。 突然の再会の後、ふわりふわりとした太宰さんのペースで話が始まり とりとめのないお喋りをしているうちに、どうして日本に来たのかを聞きそびれていた。 私はほんの少しの間、自分の中の時間を巻き戻して フランスで過ごした日々を反芻していた。 ただ、どうしてなのかなって」 こんな偶然、あるわけない。 もしかしたら、太宰さんも扉を抜けてここに来たのかな…… 「そうか。 「風邪を引いてしまうといけないから、部屋に戻ろうか」 「あ、ちょっと……!」 くるりと背を向けて歩き出す姿を追いながら、何か予感のようなものを感じて 心臓が煩く鳴り響いた。 「太宰さん……! 待ってください……!」 振り返った太宰さんは、重たげなぼた雪が吹き込む渡り廊下で、消えてしまいそうなほど儚げに笑んだ。 「それにしても、寒い日は古傷が痛むねぇ」 「傷……? 太宰さん、いつ怪我を……?」 「いつだったか、忘れてしまったよ。 おやすみ、よし江さん」 ぽつりと呟くと、また歩き出す。 気付くと、小さくなっていく背中に向かって私は駆け出していた。 あの頃と変わらないあなたに見蕩れていたのかもしれないね。 「太宰さんっ……!」 雪のように白い指先が袂を掴む。 変わらない仕草で。 「もう少し、お喋りしませんか……? せっかく、会えたので」 「そうだね。 また、あなたの部屋にお邪魔してもいいのかな?」 「……はい」 頬を染めて俯きながら、そう応えた。 あの時、一度だけ味わった血の香りが鼻腔に蘇る。 扉の存在をなくしても、俺が化け物だということを忘れてはいけないよ。 「そうだ……! 今日、取材で行った旅館で、地酒をいただいたんです。 私、あまり飲めなくて……良かったら太宰さんが飲んでください」 「おや、それは至れり尽くせりだねぇ。 21世紀はなかなか良いところだ」 「えへへ。 好きなおつまみもコンビニで買えますよ。 太宰さんは、コンビニ行きましたか?」 俺が19世紀から扉を抜け、タイムスリップしてきたと信じて疑わないんだね。 24時間、何でも買える便利なお店です」 にこにこと説明する姿は、あの頃に未来の話を聞かせてくれた時と同じだった。 「あはは。 現代っ子だなぁ。 とし子さんは」 少し笑ってそう答えると、瞳を大きく見開いて、何か新しい発見でもしたような顔をする。 「現代っ子……!」 「ん……?」 「太宰さん、日本に来てもうそんなワードまで習得したんですか?」 「……ここは故郷だからね。 言葉の流行り廃りには敏感だよ。 これでも、作家の端くれだからねぇ」 「そ、そうでした……!」 旅館の渡り廊下は雪国の風に晒されているというのに、あなたはぽっと耳を赤くする。 たよりなさげな背中を追って進んでいくと、二階の一番奥の部屋の前に来た。 少し緊張した様子で扉の鍵を開ける。 「どうぞ……」 「お邪魔するよ」 「はい」 急にかしこまってしまって、どうしたのかな。 [newpage] 部屋の鍵を開けると、太宰さんはお邪魔するよ、と。 袂に手を入れたまま、自然な様子で部屋に入った。 伯爵のお屋敷にいた頃も、こうして太宰さんが私の部屋を訪れることはあったのに…… 久しぶりに会ったせいか緊張してしまう。 小上がりになった畳のスペースには、留守にしている間に旅館の人が敷いた布団が広がっている。 新しい畳の上に敷かれたお日様の香りがする布団は、太宰さんの部屋にあったものと似ていた。 「寛いでくださいね。 今、頂いたお酒を出しますから」 窓際のテーブルと椅子を勧め、仕事道具が入っている鞄の隣にある紙袋の中を確認した。 ずっしりと重い一升瓶を抱えて太宰さんの方を見ると、 カーテンが開いたままの窓の外の景色を見ている。 降り始めはぼた雪だったそれは、今はすっかり吹雪に変わっていた。 「今夜は積もりそうですね」 「山の奥だからねぇ」 天気の話をしたいわけじゃないのに、窓の外から視線が戻せない。 話がしたいと誘ったのは私なのに。 これじゃあ、つまらなくなった太宰さんが部屋に帰ってしまうかもしれない。 そうだ……太宰さんが扉を抜けてここに来たということは 一か月を過ぎたら、またフランスへ戻るのだろうか。 あの時の私みたいに。 「お屋敷のみんなは元気ですか?」 旅館のグラスに日本酒を注ぎながら、他愛のないことを聞く。 けれど、太宰さんから返って来たのは意外な答えだった。 「みんな、変わりないよ。 と言いたいところだけどね。 何人かは屋敷を出ているから、よくわからないなぁ」 「え……!」 「おや、意外かな? 気儘な人が多いからねぇ。 驚くようなことじゃないよ」 「そ、そうですか……」 はじめ、蘇った偉人達がヴァンパイアだと知った時には物凄く驚いた。 あなたのおかげでね」 「わぁ、良かった」 小さな文太の黒くてつやつやした瞳が目に浮かぶ。 ほんの少しの間だったけれど、太宰さんが世話をさせてくれた文太は私にとっても自分のペットのようだった。 お別れは寂しかったけれど、今も元気にしていると聞いて胸があたたかくなる。 桜みたいな可愛らしい色の嘴で、ちょんちょんと餌を啄ばむ二羽の文鳥を思い出していた。 ずっと訪れてみたかったパリに一か月も滞在するなんて 普段ならわくわくするハプニングだけど…… 本当に元の世界に戻れるのか、すごく不安だった。 スマホもインターネットもない時代で、誰にも連絡できない。 もし、私が一週間経っても日本に帰らなかったら、行方不明扱いになってニュースになったり…… 家族が心配して、大騒ぎしたりするのだろうか。 お屋敷にいる人たちは蘇った偉人だった。 一度は名前を聞いたことがある、教科書に載っているような人物だ。 今日の分の洗濯物はすべて洗ったはずなのに、銅製の大きな洗面器の中には丸められた服が投げ込んである。 起きてきた誰かが、洗濯物としてだしたのかな…… 時計を見て、時間が早いことを確認してから、服を洗おうと両手で持って広げた。 「きゃあっ……!」 水に浸かっていた白いシャツは、胸のところに大きな赤い染みが出来ていた。 誰かが怪我をしたのかもしれない。 ざわざわと騒ぐ胸を押さえながらキッチンへ向かっていると、向こうから着物姿の男性が歩いてくる。 太宰さんだ。 「おや、どうしたのかな?」 「……太宰さん! あの、洗濯物が……誰かが怪我を……私、セバスチャンを探してて!」 「随分、慌てているねぇ。 困ったことがあったのかい?」 「ごめんなさい。 あの……」 「ちょっと息を大きく吸って、吐いてごらん」 穏やかに微笑んで、私の頭に手を置いた。 背を屈めてゆっくり息を吸う太宰さんにつられて、深く息を吸い込む。 そして、吐き出される息に合わせて私も息を吐いた。 昇り始めの満月のような、琥珀の瞳をじっとこちらに向け、ゆったりと笑う。 「……洗濯物に、血の付いたシャツが」 「血……?」 「赤ワインかもしれないんですけど……水に浸かっていたからよくわからなくて」 太宰さんは一瞬だけ瞳を伏せた。 それから、いつものように穏やかな表情を浮かべる。 「誰かが粗相をしたのかもしれないね」 「……? ワインを零したってことですか?」 「俺たちがよく飲んでいるルージュをね」 「ルージュ?」 「フランスでは赤という意味だよ。 もし、誰かが怪我をしたのなら、もっと騒がしくなっているだろうから」 「そう、ですよね……」 「あなたは心配性なんだね」 にこにこと見つめられて、早とちりして騒いでしまったことが恥ずかしくなる。 「驚いちゃって……騒いでごめんなさい」 「あはは。 謝ることはないよ。 「あはは、そうだったねぇ。 「だ、太宰さん……!」 「この国の挨拶だよ。 二十一世紀の日本ではどうかな?」 「……!」 言葉を失う私をよそに、何かを思い出したようにぽんと掌を打った。 「お散歩に行くかい?」 「え?」 [newpage] 太宰さんに連れられて訪れたのは、パリの中心地だった。 広い通りで馬車を降り、石畳の道を歩いていく。 大きなホテルやブティックが並ぶ通りは、道行く人で賑わっていた。 「太宰さん、どこへ行くんですか?」 「特に決めていないけれど、ぶらぶらしたくなってねぇ」 「そ、そうですか……」 すっとした顔立ちと懐かしい香りがする和服姿は、この時代のパリでは珍しい。 時折、振り返って私たちを見る人もいたけれど、太宰さんは特に気に留めることなく歩いていた。 細い小路へ入ると、そこは建物の影になっていて、表通りとは別の街のようにひっそりとしている。 この先にもお店があるのかな……? 黙々と歩く背中を追いかける。 ふと、一軒の家の前で太宰さんが立ち止まった。 「ああ、ここだよ。 ちょっと寄っていくね」 「え?」 でこぼこと積み上げられたレンガの階段の先にある扉は、簡素な板で出来ていて 赤のペンキが所々剥がれている。 お店のようには見えないけれど…… 「こんにちは」 ドアを押すと、内側についたベルがカランカランと鳴った。 中から出てきたのは、初老の男性だ。 「いらっしゃい。 先生、久しぶりじゃないか」 「そうだったかなぁ」 昼間でもお日様の光が入らない部屋の中はランプが点り、古い紙の匂いがしている。 部屋を囲む背の高い本棚には、びっしりと本が詰まっていた。 空いた壁には油彩の絵がかけられていて、床には幾重にも重ねられた額縁が置いてある。 まるで秘密の隠れ家のように、所狭しと絵画や本が並べられた空間で キョロキョロと辺りを見回してしまった。 「この人はね、俺の友人なんだよ」 太宰さんが男性を紹介するように見たあと、私に視線を戻した。 「……はじめまして」 「これは綺麗な娘さんだ。 先生も隅に置けないねぇ」 「あはは。 俺の片恋だけれどねぇ」 「え!?」 「そうなのかい?」 太宰さんの言葉に思わず噎せていると、男性は灰緑の瞳を丸く見開き、眼鏡をかけ直す。 じーっと見られて言葉に詰まる私を、太宰さんは可笑しそうに眺めていた。 とし子さんは」 「……! もう! 太宰さん、ふざけないでください」 「おやおや、喧嘩かい? まぁ、座りなさい。 今、コーヒーを淹れるよ」 木製の大きなロッキングチェアを差し出されて、そっと腰を下ろす。 「洒落た椅子だろう? 俺も気に入っているんだけど、今日はとし子さんに譲るよ」 「待ってください、ちょっと、太宰さん! 起こして……!」 膝から下をぶらぶらさせたままなんとか手を伸ばすと、笑みを浮かべていた太宰さんはやっと指先を握ってくれた。 「よいしょ、と」 「……ありがとうございます」 「コーヒーがはいったよ。 娘さんはうちに来るのは初めてだね。 好きに見てくれ」 「……?」 気が付くと、太宰さんは顎に手を当てて本棚とにらめっこするように立っていた。 「ここの家にはいろんな本が揃っているんだ。 すっと一冊の本を引き出し、頁をめくり始めた。 「太宰さん……?」 「…………」 集中してるのかな 立ったまま頁をめくり続ける太宰さんには、私の声が聞こえないようだ。 「先生はいつもこうだよ」 優しい声に振り返ると、男性はコーヒーカップにスプーンを入れ、くるくるとかき混ぜながら含み笑いを浮かべる。 「先生って……太宰さんのことですよね?」 「ああ、あなたは先生の書いたものを読んだことがあるかい?」 「…………」 走れメロスは教科書で読んだ。 けれど、恥ずかしながら私は太宰さんの作品を他に読んだことがない。 「はは。 なんせ先生は欲がないからねぇ。 出版社に持ち込めば大儲けしそうなもんを、飲みかけのコーヒーみたいにその辺に置いていくんだから」 「……あの、太宰さんが書いたものを読んだことがあるんですか?」 19世紀に太宰さんの書籍はないはずだ。 小説家だということを知っていそうな口ぶりだけど…… 本に、なってない……とか? 男性が言うように、太宰さんには欲という文字は似合わない。 出会ってほんの少ししか経っていないけれど、そんな気がした。 「私のコレクションの中に、先生の原稿も入っているよ」 「……!」 男性は嬉しそうに頬に皺を刻む。 こんなにたくさんの本を趣味で集めている人が、作家の肩書きのない太宰さんの原稿を楽しみにしていると知ってーー やっぱり彼は有名な小説家・太宰治なんだと、妙に納得した。 でも、どうして太宰さんは原稿を出版社に持っていかないんだろう?小説を書きたくて蘇ったのなら、もう一度有名になりたくないのかな? 単純な疑問が湧き上がるけれど、私みたいな素人に作家の人の心はわからないんだとすぐに考えを打ち消す。 現に、目の前の太宰さんは何かに取り憑かれたみたいに集中して本を読み漁っていた。 冷めてしまったコーヒーを喉に流し込んだ太宰さんと一緒に屋敷へ帰った。 [newpage] 屋敷へ着いたあと、夕飯の支度をするというあなたと別れて部屋へ戻る。 ただ街を歩くだけで、新鮮だったのか。 嬉しそうな顔を見られたのはよかったねぇ。 ここのところ、屋敷の住人たちはそれぞれにあなたをかまっている。 だから、寂しそうな顔をしていることは来たばかりの頃よりだいぶ減ったようだった。 今朝の洗濯物には驚いていたけれどね。 あんなことをするのは、アーサー君かな。 伯爵はあのお嬢さんに、ここに住む人たちがヴァンパイアだということを隠している。 引き出しの中にある原稿用紙を手に取る。 今日の出来事でも書き留めておこうか。 そう思い、万年筆を握った。 「太宰さん、食事を持ってきました」 トレイの上には、ビーフシチューなんて洒落た食べ物とバケット、ワイングラスに注がれたルージュが乗っている。 香りを嗅げばわかるのに、ルージュを赤ワインと信じて疑っていないようだね。 あなたは。 「そこに、置いておいて貰えるかな?」 「はい。 あ、そうだ……」 音を立てないように丁寧にトレイを置いたあとで、ポケットに手を入れてゴソゴソと探り始める。 「これ、文太にあげてもいいですか?」 紙の包みから出てきたのは乾いたパンくずだった。 「おや、とし子さんは優しいねぇ。 文太、ご飯の時間だよ」 竹ひごでできた鳥籠の戸を開けると、羽を忙しなく動かしながら小さな文太が飛び立った。 籠から出して貰えたことを喜ぶように、部屋の中を何度か回ったあとで、文机の上にあるインクの瓶の蓋にとまる。 「文太、どうぞ」 紙の包みを開いて差し出す。 けれど、文太は小首を傾げて真っ黒な目を瞬かせるだけだった。 「食べないのかな……?」 目線を落として同じように首を傾げる。 パンくずを手に取って傍に持っていってやると、小さく跳ねながら指先を辿り、掌の上に乗った。 「わあ……かわいい!」 桜色の嘴でパンくずを啄く姿を見て、あなたはぱっと明るい笑みを浮かべる。 「気に入ったようだねぇ。 よく食べているよ」 「かわいい。 文太は太宰さんからしか餌を食べないんですね」 「そんなことはないと思うけどね。 あなたもあげてみたら良いよ」 「……私があげて、怒らないかな」 相手は可愛い小動物だというのに、緊張した面持ちでじっと見据える。 それから、少しのパンくずを掌に乗せて、恐る恐る手を差し伸べた。 文太がパンくずを啄くたびに、まるで子どものようにはしゃいでいたね。 「文太は喋らないんですか?」 「どうかなぁ。 文鳥だからねぇ」 「なんだか、太宰さんに似てますね」 「あはは。 可笑しなことを言うねぇ」 目を細めて指で頭を撫でようとする。 文太はまたパタパタと羽を動かして、本棚の上へ飛んでいってしまった。 「またご飯をあげにきてもいいですか?」 「いいよ。 良かったら、あなたの部屋に連れて帰ってもいいんだよ」 「え……!」 「そんなに驚かなくても。 あなたがかまってくれたら文太も喜ぶんじゃないかな」 「でも……急に違う部屋へ連れて行ったりしたら、疲れちゃいませんか? 文太が」 「同じ屋敷の中にいるんだから、どうということはないよ。 あなたに迷惑じゃなければ、ね」 「じゃあ……お言葉に甘えて……寂しそうにしていたら、すぐに連れて来ますね。 文太、よろしくね」 寂しげな表情をしているのはあなただけど。 なんてね。 [newpage] [chapter:chapter02] 現代へ帰るまでの二週間の間、自分の部屋で文太のお世話をさせてもらうことになった私は、文鳥の飼い方を調べようと図書室に向かった。 (うーん……ここに実用書はないのかな?) 分厚い背表紙が連なる本棚には物理や哲学の本が詰まっている。 生物学の本を広げてみたけれど、よくわからない言葉で埋め尽くされていた。 そもそも、パリに文鳥は生息しているのだろうか。 アジアの鳥のイメージだけど…… 「何してんだ? 小娘」 「! レオナルドさん!」 急に声が聞こえて振り返ると、レオナルドさんはあくびをしながらどかりと椅子に座った。 だから文鳥の飼い方の本、探してるんです」 レオナルドさんはあくびを噛み殺しているのか、笑いを堪えているのか、どっちかわからない微妙な表情をする。 「そんなもん、太宰に聞きゃあいい」 「それが……」 太宰さんは適当な飼い方しか教えてくれない。 たまに籠から出してあげると喜ぶかもねぇ 生き物を飼ったことがない私は、そう言われても不安だった。 「ははっ。 太宰らしいな」 「……ですよね」 文太が部屋に来てまだ半日しか経っていないけれど、可愛らしい仕草を見ていると出来るだけ快適に過ごしてほしいと思う。 「文鳥の持ち方とか……ほら、動物によって抱っこの仕方ってあるじゃないですか」 「くっ、逃げられないように気を付けるんだな」 レオナルドさんにあしらわれて、肩を落とす。 (本当に心配なのに……) 調べることを諦めて、部屋に戻った。 すぐに小さく跳ねながら、鳥籠の入り口まで来て粟をつつき始めた。 広いところに出られて嬉しいのか、天井の近くを何周かする。 そして、ベッドの天蓋の端にとまった。 「文太? そこにいたいの?」 (しばらく出しておてもいいかな……?) 窓は締まってるし、危ないものもない。 (太宰さんの肩に乗るって言ってたけど……仲良くなったら私の肩にも乗ってくれるかな) そんなことを考えていると、扉がノックされた。 「失礼します」 カチャっと音を立てて扉が開いた。 「待って! 開けないで……!」 「……?」 「あ! 文太……っ!」 扉が開ききるよりも先に、文太は隙間から廊下へ出ていってしまう。 「おや、すみませんでした」 「セバスチャン……! どうしよう、文太が……早く追いかけなきゃ!」 「はい、私も全力で捕獲します」 二人で廊下へ飛び出し、目を凝らす。 小さな文太はあっという間にどこかへ行ってしまったのか…… 姿は見当たらなかった。 「うそ……どこに行っちゃったの」 「太宰さんの部屋でしょうか……見てきます」 「うん。 私は階段のほうを探してみるね」 高い天井に視線を走らせてから、階段を駆け下りる。 広いお屋敷の中には文太が隠れられそうな場所がいっぱいある。 飛ぶのに疲れて、壺の中かどこかで休んでいるといいんだけど…… 一階にたどり着くと、ちゅん、と声が聞えた。 「……! 文太!?」 キョロキョロと辺りを見渡すと、また近くで囀りが聞こえる。 ふと、階段の手すりを見る。 手すりの端の丸い部分を、止まり木のようにして休んでいる文太がいた。 「よかった……文太、こっちおいで。 お部屋に帰ろう」 足音を立てないよう、そっと近づく。 ポケットから紙に包んだ粟を出して見せると、文太は羽根をはばたかせて私の肩にとまった。 (わぁ……! ちゃんと来てくれた!) 「いい子だね、文太。 「待って! 扉閉めて!」 「……どうしたの?」 私の様子に驚いたフィンセントは、目をぱちくりとさせている。 「お願い! 文太が出ていっちゃうから早く! あ……!」 文太が飛び立つのを見て、テオが後ろ手で支えていた扉を急いで閉めてくれた。 「良かった……ありがとう。 ごめんね。 何で俺が入る前に閉めちゃうワケ?」 閉めた筈の扉が開き、アーサーの姿が見える。 「……文太!」 急いで外に出るけれど、飛んで行った方向も分からないほど、外は暗くなっている。 「どうしよう、急いで探さないと」 「ゴメン……文太って太宰が飼ってる小鳥だよね? 籠から逃げちゃった?」 「そうなの。 探しに行くか?」 テオが真っ暗な森を見ながらそう言ってくれた。 「うん……」 「この暗さの中、やみくもに探しても見つかる確率は低いと思うケド。 何か文太が好きな餌とか持ってる?」 「それならあるよ! これ、太宰さんに分けてもらったの」 紙の包みを見せる。 けれど、いつもあたたかい部屋で過ごしている文太が、夜の森に迷い込んでしまったと思うと、いてもたってもいられなくて。 私たちは手分けをして屋敷の周りを探し始めることにした。 日本庭園の端にぽつぽつと灯る橙が、地面にうっすら積もった雪を浮かび上がらせていた。 「くしゅんっ」 「寒いかな? 頬は随分、赤いようだけど」 旅館の浴衣の上から藍色の羽織を肩にかけた太宰さんが、ふと私の頬に指を伸ばす。 「急に部屋の外に出たので、お酒が回ったのかもしれません」 「そうかな。 冷たい風に当たると、酔いが覚めるというけどねぇ」 そう言いながら腕を組んでにっこりと笑う。 太宰さんの香りに混じって、日本酒の甘い匂いが漂ってきた。 「とし子さんは浴衣がよく似合うねぇ。 やっぱり、日本の女の人だ」 「…………」 目を細める太宰さんは、いつものように揶揄っているだけだ。 そうわかっているのに 勧められて飲みすぎてしまったお酒が、私の思考をふわふわと曖昧なものに変えていく。 「太宰さんは、どうしてここに来たんですか?」 「おや、迷惑だったかな」 「違います。 家族や友人は、予定通りフランス旅行から帰って来たと思っていた。 何か気になるところがあれば、自由に見てください」 「ありがとうございます。 温泉まで入らせて貰って……すごく素敵な旅館ですね。 これなら、自信を持ってお客様にお勧めできます」 「よろしくお願い致します」 「はい!」 仕事を再開し、春の温泉フェアに向けてとある温泉街へ出張に来ていた。 数軒の旅館のプランを確認し、一泊して帰る予定だ。 思ったより時間がかかり、外はすっかり暗くなっている。 取材は全て終わったし、このまま旅館で夕食をとるのも良いかもしれない。 「すみません……予約はしていないんですけど、出来れば晩ご飯もいただきたくて」 「ええ、もちろんですよ。 広間にご用意致します。 今日は他のお客様が一名いらっしゃいますが、宜しいですか?」 「はい! ありがとうございます!」 一日歩き回った足の疲れも温泉で癒されたし、食事の評判も良い宿のご飯まで食べられるなんて。 今回の出張、ラッキーかも…… そう思いながら、言われた広間へ向かう。 靴を揃えて襖をそっと引くと、中には一人の男性客がいた。 「失礼します」 広間の端で日本酒を手酌で飲んでいる男の人が振り返る。 「え……?」 「おや」 「あの……」 「奇遇だねぇ、とし子さん。 旅行かな? そういえば、あなたは一人旅が好きだったね」 「……太宰さん!?」 「あはは。 覚えてるかな」 「も、もちろんです……! というか、ついこの間までお屋敷にいたんですから、当たり前ですよ……!」 「つい、この前?」 「はい」 太宰さんはしばらく私の顔を見つめたあと、へらっと表情を崩した。 「通りで、何も変わらないはずだ」 「…………?」 「再会の記念に、一杯どうかな?」 「ええ、はい……」 こっちこっち、と。 にこにこ笑いながら手招きをする太宰さんの傍まで歩く。 お猪口にとくとくと日本酒が注がれて、慌てて太宰さんから徳利を受け取り、同じように注いだ。 「なんだか、懐かしいなぁ」 「そうですね」 自然なやり取りに、少しの切なさが胸を締め付けた。 一ヶ月の間、こうして太宰さんと何度かお酒を飲んだことを思い出す。 私はその時の淡い恋心にそっと蓋をして、日本に帰って来た。 突然の再会の後、ふわりふわりとした太宰さんのペースで話が始まり とりとめのないお喋りをしているうちに、どうして日本に来たのかを聞きそびれていた。 私はほんの少しの間、自分の中の時間を巻き戻して フランスで過ごした日々を反芻していた。 ただ、どうしてなのかなって」 こんな偶然、あるわけない。 もしかしたら、太宰さんも扉を抜けてここに来たのかな…… 「そうか。 「風邪を引いてしまうといけないから、部屋に戻ろうか」 「あ、ちょっと……!」 くるりと背を向けて歩き出す姿を追いながら、何か予感のようなものを感じて 心臓が煩く鳴り響いた。 「太宰さん……! 待ってください……!」 振り返った太宰さんは、重たげなぼた雪が吹き込む渡り廊下で、消えてしまいそうなほど儚げに笑んだ。 「それにしても、寒い日は古傷が痛むねぇ」 「傷……? 太宰さん、いつ怪我を……?」 「いつだったか、忘れてしまったよ。 おやすみ、よし江さん」 ぽつりと呟くと、また歩き出す。 気付くと、小さくなっていく背中に向かって私は駆け出していた。 あの頃と変わらないあなたに見蕩れていたのかもしれないね。 「太宰さんっ……!」 雪のように白い指先が袂を掴む。 変わらない仕草で。 「もう少し、お喋りしませんか……? せっかく、会えたので」 「そうだね。 また、あなたの部屋にお邪魔してもいいのかな?」 「……はい」 頬を染めて俯きながら、そう応えた。 あの時、一度だけ味わった血の香りが鼻腔に蘇る。 扉の存在をなくしても、俺が化け物だということを忘れてはいけないよ。 「そうだ……! 今日、取材で行った旅館で、地酒をいただいたんです。 私、あまり飲めなくて……良かったら太宰さんが飲んでください」 「おや、それは至れり尽くせりだねぇ。 21世紀はなかなか良いところだ」 「えへへ。 好きなおつまみもコンビニで買えますよ。 太宰さんは、コンビニ行きましたか?」 俺が19世紀から扉を抜け、タイムスリップしてきたと信じて疑わないんだね。 24時間、何でも買える便利なお店です」 にこにこと説明する姿は、あの頃に未来の話を聞かせてくれた時と同じだった。 「あはは。 現代っ子だなぁ。 とし子さんは」 少し笑ってそう答えると、瞳を大きく見開いて、何か新しい発見でもしたような顔をする。 「現代っ子……!」 「ん……?」 「太宰さん、日本に来てもうそんなワードまで習得したんですか?」 「……ここは故郷だからね。 言葉の流行り廃りには敏感だよ。 これでも、作家の端くれだからねぇ」 「そ、そうでした……!」 旅館の渡り廊下は雪国の風に晒されているというのに、あなたはぽっと耳を赤くする。 たよりなさげな背中を追って進んでいくと、二階の一番奥の部屋の前に来た。 少し緊張した様子で扉の鍵を開ける。 「どうぞ……」 「お邪魔するよ」 「はい」 急にかしこまってしまって、どうしたのかな。 [newpage] 部屋の鍵を開けると、太宰さんはお邪魔するよ、と。 袂に手を入れたまま、自然な様子で部屋に入った。 伯爵のお屋敷にいた頃も、こうして太宰さんが私の部屋を訪れることはあったのに…… 久しぶりに会ったせいか緊張してしまう。 小上がりになった畳のスペースには、留守にしている間に旅館の人が敷いた布団が広がっている。 新しい畳の上に敷かれたお日様の香りがする布団は、太宰さんの部屋にあったものと似ていた。 「寛いでくださいね。 今、頂いたお酒を出しますから」 窓際のテーブルと椅子を勧め、仕事道具が入っている鞄の隣にある紙袋の中を確認した。 ずっしりと重い一升瓶を抱えて太宰さんの方を見ると、 カーテンが開いたままの窓の外の景色を見ている。 降り始めはぼた雪だったそれは、今はすっかり吹雪に変わっていた。 「今夜は積もりそうですね」 「山の奥だからねぇ」 天気の話をしたいわけじゃないのに、窓の外から視線が戻せない。 話がしたいと誘ったのは私なのに。 これじゃあ、つまらなくなった太宰さんが部屋に帰ってしまうかもしれない。 そうだ……太宰さんが扉を抜けてここに来たということは 一か月を過ぎたら、またフランスへ戻るのだろうか。 あの時の私みたいに。 「お屋敷のみんなは元気ですか?」 旅館のグラスに日本酒を注ぎながら、他愛のないことを聞く。 けれど、太宰さんから返って来たのは意外な答えだった。 「みんな、変わりないよ。 と言いたいところだけどね。 何人かは屋敷を出ているから、よくわからないなぁ」 「え……!」 「おや、意外かな? 気儘な人が多いからねぇ。 驚くようなことじゃないよ」 「そ、そうですか……」 はじめ、蘇った偉人達がヴァンパイアだと知った時には物凄く驚いた。 あなたのおかげでね」 「わぁ、良かった」 小さな文太の黒くてつやつやした瞳が目に浮かぶ。 ほんの少しの間だったけれど、太宰さんが世話をさせてくれた文太は私にとっても自分のペットのようだった。 お別れは寂しかったけれど、今も元気にしていると聞いて胸があたたかくなる。 桜みたいな可愛らしい色の嘴で、ちょんちょんと餌を啄ばむ二羽の文鳥を思い出していた。 ずっと訪れてみたかったパリに一か月も滞在するなんて 普段ならわくわくするハプニングだけど…… 本当に元の世界に戻れるのか、すごく不安だった。 スマホもインターネットもない時代で、誰にも連絡できない。 もし、私が一週間経っても日本に帰らなかったら、行方不明扱いになってニュースになったり…… 家族が心配して、大騒ぎしたりするのだろうか。 お屋敷にいる人たちは蘇った偉人だった。 一度は名前を聞いたことがある、教科書に載っているような人物だ。 今日の分の洗濯物はすべて洗ったはずなのに、銅製の大きな洗面器の中には丸められた服が投げ込んである。 起きてきた誰かが、洗濯物としてだしたのかな…… 時計を見て、時間が早いことを確認してから、服を洗おうと両手で持って広げた。 「きゃあっ……!」 水に浸かっていた白いシャツは、胸のところに大きな赤い染みが出来ていた。 誰かが怪我をしたのかもしれない。 ざわざわと騒ぐ胸を押さえながらキッチンへ向かっていると、向こうから着物姿の男性が歩いてくる。 太宰さんだ。 「おや、どうしたのかな?」 「……太宰さん! あの、洗濯物が……誰かが怪我を……私、セバスチャンを探してて!」 「随分、慌てているねぇ。 困ったことがあったのかい?」 「ごめんなさい。 あの……」 「ちょっと息を大きく吸って、吐いてごらん」 穏やかに微笑んで、私の頭に手を置いた。 背を屈めてゆっくり息を吸う太宰さんにつられて、深く息を吸い込む。 そして、吐き出される息に合わせて私も息を吐いた。 昇り始めの満月のような、琥珀の瞳をじっとこちらに向け、ゆったりと笑う。 「……洗濯物に、血の付いたシャツが」 「血……?」 「赤ワインかもしれないんですけど……水に浸かっていたからよくわからなくて」 太宰さんは一瞬だけ瞳を伏せた。 それから、いつものように穏やかな表情を浮かべる。 「誰かが粗相をしたのかもしれないね」 「……? ワインを零したってことですか?」 「俺たちがよく飲んでいるルージュをね」 「ルージュ?」 「フランスでは赤という意味だよ。 もし、誰かが怪我をしたのなら、もっと騒がしくなっているだろうから」 「そう、ですよね……」 「あなたは心配性なんだね」 にこにこと見つめられて、早とちりして騒いでしまったことが恥ずかしくなる。 「驚いちゃって……騒いでごめんなさい」 「あはは。 謝ることはないよ。 「あはは、そうだったねぇ。 「だ、太宰さん……!」 「この国の挨拶だよ。 二十一世紀の日本ではどうかな?」 「……!」 言葉を失う私をよそに、何かを思い出したようにぽんと掌を打った。 「お散歩に行くかい?」 「え?」 [newpage] 太宰さんに連れられて訪れたのは、パリの中心地だった。 広い通りで馬車を降り、石畳の道を歩いていく。 大きなホテルやブティックが並ぶ通りは、道行く人で賑わっていた。 「太宰さん、どこへ行くんですか?」 「特に決めていないけれど、ぶらぶらしたくなってねぇ」 「そ、そうですか……」 すっとした顔立ちと懐かしい香りがする和服姿は、この時代のパリでは珍しい。 時折、振り返って私たちを見る人もいたけれど、太宰さんは特に気に留めることなく歩いていた。 細い小路へ入ると、そこは建物の影になっていて、表通りとは別の街のようにひっそりとしている。 この先にもお店があるのかな……? 黙々と歩く背中を追いかける。 ふと、一軒の家の前で太宰さんが立ち止まった。 「ああ、ここだよ。 ちょっと寄っていくね」 「え?」 でこぼこと積み上げられたレンガの階段の先にある扉は、簡素な板で出来ていて 赤のペンキが所々剥がれている。 お店のようには見えないけれど…… 「こんにちは」 ドアを押すと、内側についたベルがカランカランと鳴った。 中から出てきたのは、初老の男性だ。 「いらっしゃい。 先生、久しぶりじゃないか」 「そうだったかなぁ」 昼間でもお日様の光が入らない部屋の中はランプが点り、古い紙の匂いがしている。 部屋を囲む背の高い本棚には、びっしりと本が詰まっていた。 空いた壁には油彩の絵がかけられていて、床には幾重にも重ねられた額縁が置いてある。 まるで秘密の隠れ家のように、所狭しと絵画や本が並べられた空間で キョロキョロと辺りを見回してしまった。 「この人はね、俺の友人なんだよ」 太宰さんが男性を紹介するように見たあと、私に視線を戻した。 「……はじめまして」 「これは綺麗な娘さんだ。 先生も隅に置けないねぇ」 「あはは。 俺の片恋だけれどねぇ」 「え!?」 「そうなのかい?」 太宰さんの言葉に思わず噎せていると、男性は灰緑の瞳を丸く見開き、眼鏡をかけ直す。 じーっと見られて言葉に詰まる私を、太宰さんは可笑しそうに眺めていた。 とし子さんは」 「……! もう! 太宰さん、ふざけないでください」 「おやおや、喧嘩かい? まぁ、座りなさい。 今、コーヒーを淹れるよ」 木製の大きなロッキングチェアを差し出されて、そっと腰を下ろす。 「洒落た椅子だろう? 俺も気に入っているんだけど、今日はとし子さんに譲るよ」 「待ってください、ちょっと、太宰さん! 起こして……!」 膝から下をぶらぶらさせたままなんとか手を伸ばすと、笑みを浮かべていた太宰さんはやっと指先を握ってくれた。 「よいしょ、と」 「……ありがとうございます」 「コーヒーがはいったよ。 娘さんはうちに来るのは初めてだね。 好きに見てくれ」 「……?」 気が付くと、太宰さんは顎に手を当てて本棚とにらめっこするように立っていた。 「ここの家にはいろんな本が揃っているんだ。 すっと一冊の本を引き出し、頁をめくり始めた。 「太宰さん……?」 「…………」 集中してるのかな 立ったまま頁をめくり続ける太宰さんには、私の声が聞こえないようだ。 「先生はいつもこうだよ」 優しい声に振り返ると、男性はコーヒーカップにスプーンを入れ、くるくるとかき混ぜながら含み笑いを浮かべる。 「先生って……太宰さんのことですよね?」 「ああ、あなたは先生の書いたものを読んだことがあるかい?」 「…………」 走れメロスは教科書で読んだ。 けれど、恥ずかしながら私は太宰さんの作品を他に読んだことがない。 「はは。 なんせ先生は欲がないからねぇ。 出版社に持ち込めば大儲けしそうなもんを、飲みかけのコーヒーみたいにその辺に置いていくんだから」 「……あの、太宰さんが書いたものを読んだことがあるんですか?」 19世紀に太宰さんの書籍はないはずだ。 小説家だということを知っていそうな口ぶりだけど…… 本に、なってない……とか? 男性が言うように、太宰さんには欲という文字は似合わない。 出会ってほんの少ししか経っていないけれど、そんな気がした。 「私のコレクションの中に、先生の原稿も入っているよ」 「……!」 男性は嬉しそうに頬に皺を刻む。 こんなにたくさんの本を趣味で集めている人が、作家の肩書きのない太宰さんの原稿を楽しみにしていると知ってーー やっぱり彼は有名な小説家・太宰治なんだと、妙に納得した。 でも、どうして太宰さんは原稿を出版社に持っていかないんだろう?小説を書きたくて蘇ったのなら、もう一度有名になりたくないのかな? 単純な疑問が湧き上がるけれど、私みたいな素人に作家の人の心はわからないんだとすぐに考えを打ち消す。 現に、目の前の太宰さんは何かに取り憑かれたみたいに集中して本を読み漁っていた。 冷めてしまったコーヒーを喉に流し込んだ太宰さんと一緒に屋敷へ帰った。 [newpage] 屋敷へ着いたあと、夕飯の支度をするというあなたと別れて部屋へ戻る。 ただ街を歩くだけで、新鮮だったのか。 嬉しそうな顔を見られたのはよかったねぇ。 ここのところ、屋敷の住人たちはそれぞれにあなたをかまっている。 だから、寂しそうな顔をしていることは来たばかりの頃よりだいぶ減ったようだった。 今朝の洗濯物には驚いていたけれどね。 あんなことをするのは、アーサー君かな。 伯爵はあのお嬢さんに、ここに住む人たちがヴァンパイアだということを隠している。 引き出しの中にある原稿用紙を手に取る。 今日の出来事でも書き留めておこうか。 そう思い、万年筆を握った。 「太宰さん、食事を持ってきました」 トレイの上には、ビーフシチューなんて洒落た食べ物とバケット、ワイングラスに注がれたルージュが乗っている。 香りを嗅げばわかるのに、ルージュを赤ワインと信じて疑っていないようだね。 あなたは。 「そこに、置いておいて貰えるかな?」 「はい。 あ、そうだ……」 音を立てないように丁寧にトレイを置いたあとで、ポケットに手を入れてゴソゴソと探り始める。 「これ、文太にあげてもいいですか?」 紙の包みから出てきたのは乾いたパンくずだった。 「おや、とし子さんは優しいねぇ。 文太、ご飯の時間だよ」 竹ひごでできた鳥籠の戸を開けると、羽を忙しなく動かしながら小さな文太が飛び立った。 籠から出して貰えたことを喜ぶように、部屋の中を何度か回ったあとで、文机の上にあるインクの瓶の蓋にとまる。 「文太、どうぞ」 紙の包みを開いて差し出す。 けれど、文太は小首を傾げて真っ黒な目を瞬かせるだけだった。 「食べないのかな……?」 目線を落として同じように首を傾げる。 パンくずを手に取って傍に持っていってやると、小さく跳ねながら指先を辿り、掌の上に乗った。 「わあ……かわいい!」 桜色の嘴でパンくずを啄く姿を見て、あなたはぱっと明るい笑みを浮かべる。 「気に入ったようだねぇ。 よく食べているよ」 「かわいい。 文太は太宰さんからしか餌を食べないんですね」 「そんなことはないと思うけどね。 あなたもあげてみたら良いよ」 「……私があげて、怒らないかな」 相手は可愛い小動物だというのに、緊張した面持ちでじっと見据える。 それから、少しのパンくずを掌に乗せて、恐る恐る手を差し伸べた。 文太がパンくずを啄くたびに、まるで子どものようにはしゃいでいたね。 「文太は喋らないんですか?」 「どうかなぁ。 文鳥だからねぇ」 「なんだか、太宰さんに似てますね」 「あはは。 可笑しなことを言うねぇ」 目を細めて指で頭を撫でようとする。 文太はまたパタパタと羽を動かして、本棚の上へ飛んでいってしまった。 「またご飯をあげにきてもいいですか?」 「いいよ。 良かったら、あなたの部屋に連れて帰ってもいいんだよ」 「え……!」 「そんなに驚かなくても。 あなたがかまってくれたら文太も喜ぶんじゃないかな」 「でも……急に違う部屋へ連れて行ったりしたら、疲れちゃいませんか? 文太が」 「同じ屋敷の中にいるんだから、どうということはないよ。 あなたに迷惑じゃなければ、ね」 「じゃあ……お言葉に甘えて……寂しそうにしていたら、すぐに連れて来ますね。 文太、よろしくね」 寂しげな表情をしているのはあなただけど。 なんてね。 [newpage] [chapter:chapter02] 現代へ帰るまでの二週間の間、自分の部屋で文太のお世話をさせてもらうことになった私は、文鳥の飼い方を調べようと図書室に向かった。 (うーん……ここに実用書はないのかな?) 分厚い背表紙が連なる本棚には物理や哲学の本が詰まっている。 生物学の本を広げてみたけれど、よくわからない言葉で埋め尽くされていた。 そもそも、パリに文鳥は生息しているのだろうか。 アジアの鳥のイメージだけど…… 「何してんだ? 小娘」 「! レオナルドさん!」 急に声が聞こえて振り返ると、レオナルドさんはあくびをしながらどかりと椅子に座った。 だから文鳥の飼い方の本、探してるんです」 レオナルドさんはあくびを噛み殺しているのか、笑いを堪えているのか、どっちかわからない微妙な表情をする。 「そんなもん、太宰に聞きゃあいい」 「それが……」 太宰さんは適当な飼い方しか教えてくれない。 たまに籠から出してあげると喜ぶかもねぇ 生き物を飼ったことがない私は、そう言われても不安だった。 「ははっ。 太宰らしいな」 「……ですよね」 文太が部屋に来てまだ半日しか経っていないけれど、可愛らしい仕草を見ていると出来るだけ快適に過ごしてほしいと思う。 「文鳥の持ち方とか……ほら、動物によって抱っこの仕方ってあるじゃないですか」 「くっ、逃げられないように気を付けるんだな」 レオナルドさんにあしらわれて、肩を落とす。 (本当に心配なのに……) 調べることを諦めて、部屋に戻った。 すぐに小さく跳ねながら、鳥籠の入り口まで来て粟をつつき始めた。 広いところに出られて嬉しいのか、天井の近くを何周かする。 そして、ベッドの天蓋の端にとまった。 「文太? そこにいたいの?」 (しばらく出しておてもいいかな……?) 窓は締まってるし、危ないものもない。 (太宰さんの肩に乗るって言ってたけど……仲良くなったら私の肩にも乗ってくれるかな) そんなことを考えていると、扉がノックされた。 「失礼します」 カチャっと音を立てて扉が開いた。 「待って! 開けないで……!」 「……?」 「あ! 文太……っ!」 扉が開ききるよりも先に、文太は隙間から廊下へ出ていってしまう。 「おや、すみませんでした」 「セバスチャン……! どうしよう、文太が……早く追いかけなきゃ!」 「はい、私も全力で捕獲します」 二人で廊下へ飛び出し、目を凝らす。 小さな文太はあっという間にどこかへ行ってしまったのか…… 姿は見当たらなかった。 「うそ……どこに行っちゃったの」 「太宰さんの部屋でしょうか……見てきます」 「うん。 私は階段のほうを探してみるね」 高い天井に視線を走らせてから、階段を駆け下りる。 広いお屋敷の中には文太が隠れられそうな場所がいっぱいある。 飛ぶのに疲れて、壺の中かどこかで休んでいるといいんだけど…… 一階にたどり着くと、ちゅん、と声が聞えた。 「……! 文太!?」 キョロキョロと辺りを見渡すと、また近くで囀りが聞こえる。 ふと、階段の手すりを見る。 手すりの端の丸い部分を、止まり木のようにして休んでいる文太がいた。 「よかった……文太、こっちおいで。 お部屋に帰ろう」 足音を立てないよう、そっと近づく。 ポケットから紙に包んだ粟を出して見せると、文太は羽根をはばたかせて私の肩にとまった。 (わぁ……! ちゃんと来てくれた!) 「いい子だね、文太。 「待って! 扉閉めて!」 「……どうしたの?」 私の様子に驚いたフィンセントは、目をぱちくりとさせている。 「お願い! 文太が出ていっちゃうから早く! あ……!」 文太が飛び立つのを見て、テオが後ろ手で支えていた扉を急いで閉めてくれた。 「良かった……ありがとう。 ごめんね。 何で俺が入る前に閉めちゃうワケ?」 閉めた筈の扉が開き、アーサーの姿が見える。 「……文太!」 急いで外に出るけれど、飛んで行った方向も分からないほど、外は暗くなっている。 「どうしよう、急いで探さないと」 「ゴメン……文太って太宰が飼ってる小鳥だよね? 籠から逃げちゃった?」 「そうなの。 探しに行くか?」 テオが真っ暗な森を見ながらそう言ってくれた。 「うん……」 「この暗さの中、やみくもに探しても見つかる確率は低いと思うケド。 何か文太が好きな餌とか持ってる?」 「それならあるよ! これ、太宰さんに分けてもらったの」 紙の包みを見せる。 けれど、いつもあたたかい部屋で過ごしている文太が、夜の森に迷い込んでしまったと思うと、いてもたってもいられなくて。 私たちは手分けをして屋敷の周りを探し始めることにした。

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#イケメンヴァンパイア 婚前旅行

イケメン ヴァンパイア 太宰

これを記念し、クリア条件によって特別ストーリーなど様々な特典がもらえる、本編進めようキャンペーンや、太宰治のキャラクターボイスを担当する、八代 拓さんの直筆サイン色紙が抽選で2名様に当たるTwitterキャンペーンも開催します。 これを記念し、クリア条件によって特別ストーリーなど様々な特典がもらえる、本編進めようキャンペーンや、太宰治のキャラクターボイスを担当する、八代 拓さんの直筆サイン色紙が抽選で2名様に当たるTwitterキャンペーンも開催します。 本ストーリーは2019年冬より始まった禁断の第2章の2作目となります。 「太宰治」あらすじをお楽しみ頂ける、本編ダイジェストPVは絶賛公開中です。 本編ダイジェストPV: <本編あらすじ> 飄々として掴みどころのない、日本の文豪・太宰治。 けれど、笑顔の影には罪深い過去があって……。 「あなたのことを、離したくない。 悪気なく人をからかうため、一部の屋敷住人との軋轢を生んでいるが、本人は気にしていない。 本編進めようキャンペーン開催中! 太宰治本編ストーリー配信に合わせ、アプリ内では本編進めようキャンペーン「官能の一頁を綴って」を2020年4月30日(木)16:00 ~ 5月7日(木)23:00まで開催します。 テーマ:とある恋愛小説を読んだ彼から艶っぽく迫られて……。 本編を読み進めたり、期間中ログインすることでもらえる「ハート」の数に応じて、様々なアイテムをゲットでき、特別なストーリーを読むことが出来ます。 ぜひこの機会にキャンペーンへ参加してみてください。 「太宰治」の美麗彼カードが各種ダイヤガチャに登場! 対象の彼カードが確率UPしていますので、この機会に「太宰治」の彼カードを手に入れてみてください。 2019年冬からは、物語の核心に迫っていく『禁断の第2章』が始まり、新たな展開を見せて行きます。 キャラクターボイスは、島崎信長氏・豊永利行氏・木村良平氏・斉藤壮馬氏などの豪華声優陣のほか、2. 5次元舞台で活躍する俳優・荒牧慶彦氏や染谷俊之氏などが担当します。 <報道関係の方からのお問い合わせ先> 株式会社サイバード マーケティング統括部 TEL: 03 6746-3108 E-Mail: press cybird. 恐れ入りますがご連絡についてはメールにてお願いいたします。 *サイバード及び「CYBIRD」ロゴは株式会社サイバードの商標または登録商標です。 *記載されている会社名及び商品名/サービス名は、各社の商標または登録商標です。

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『イケメンヴァンパイア◆偉人たちと恋の誘惑』 太宰治(CV:八代 拓)の本編ストーリーが遂に4月30日より配信! ~新キャラクター「シャルル(CV:木島 隆一)」も本編ストーリーで活躍!~

イケメン ヴァンパイア 太宰

1~」のチケット一般発売日を、諸般の都合により延期させて頂くこととなりました。 発売をお待ち頂いていた皆まさには深くお詫び申し上げます。 なお今後の予定に関しましては準備が整い次第、公式ホームページ、公式Twitter等でお知らせさせて頂きます。 サンジェルマン伯爵のかつての友であり永遠を生きる純血種・ヴラド役に、『信長の野望・大志』シリーズや、『妖怪アパートの幽雅な』等に出演した谷 佳樹、ヴラドの手によって蘇った伝説の死刑人・シャルル=アンリ・サンソン役には、『「ツキウタ。 」ステージ』シリーズ等に出演の上仁 樹、錬金術師・ヨハン・ゲオルク・ファウスト役に、主演を務めた『ラストスマイル』や『アイ チュウ ザ・ステージ』に出演の黒 貴という実力派メンバーが新たに参加することが新たに決定いたしました。 12人の目の前に現れたのは伯爵のかつての友であり永遠を生きる純血種ヴラドと、 彼の手によって蘇った伝説の死刑人シャルルと錬金術師ファウスト。 ヴラドが掲げる野望が偉人たちの運命を捻じれ、狂わせ、そして混沌の渦に突き落としていく。 未来を守るために、ね」 あなたが彼らに出逢うまでの話は、まだまだ続いていく。 1~』ここに開幕。 12人の目の前に現れたのは伯爵のかつての友であり永遠を生きる純血種ヴラドと、彼の手によって蘇った伝説の死刑人シャルルと錬金術師ファウスト。 ヴラドが掲げる野望が偉人たちの運命を捻じれ、狂わせ、そして混沌の渦に突き落としていく。 未来を守るために、ね」 あなたが彼らに出逢うまでの話は、まだまだ続いていく。 1~』ここに開幕。

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