人民 による 人民 の ため の 政治 意味。 「国民」 と 「人民」

人民の人民による人民のための政治って英語でなんて言うの?

人民 による 人民 の ため の 政治 意味

アメリカが、奴隷制などを巡って国を2つに分けて戦った南北戦争。 そのさなかの1863年11月19日、エイブラハム・リンカーン大統領が、「人民の、人民による人民のための政治」というフレーズで有名な「ゲティスバーグ演説」を行った。 以下はその全文だ。 87年前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、人はみな平等に創られているという信条にささげられた新しい国家を、この大陸に誕生させた。 今われわれは、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。 われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会している。 われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来た。 われわれがそうすることは、まことに適切であり好ましいことである。 しかし、さらに大きな意味で、われわれは、この土地をささげることはできない。 清めささげることもできない。 聖別することもできない。 足すことも引くこともできない、われわれの貧弱な力をはるかに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげているからである。 世界は、われわれがここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶にとどめることもないだろう。 しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできない。 ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。 われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろわれわれ自身なのである。 [ 在日米国大使館] この有名なゲティスバーグ演説だが、この精神は日本国憲法の前文にも生かされているという。 GHQの草稿にも、「People」という単語が頻出する。 (引用強調は編集).

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人民 による 人民 の ため の 政治 意味

日本における「人民」概念の歴史 [ ] 「人民」の語は中国から入ってきたが、中国で「人民」の概念が出現するのはかなり古く、文献上はの『』や『』に既にみられる。 『周礼』には、君主や群臣などの支配者と相対する被支配民としての「人民」の概念が述べられている。 『孟子』の「盡心下」篇によると、孟子曰く、「諸侯の宝は3つある。 土地・人民・政事である。 珠玉(真珠や宝石)を宝とする者は、殃(わざわ)い必ず身に及ぶ。 」(孟子曰、「諸侯之宝三。 土地・人民・政事。 宝珠玉者、殃必及身。 」) この古来からある「人民」の語に、が「人民主権論」において確立した近代西洋の「people」の概念、すなわち被支配民であると同時に政治的主体にもなりうる存在を指し示す政治的用語としての「people」の概念が付与されるのは、日本の近代以後のことになる。 リンカーン大統領の『』には、政治の権力は人民に由来し、人民自身によってこれが行使されるという、近代的な意味での「人民」の概念が述べられている。 『リンカーン演説集』(・の共訳)の「ゲティスバーグ演説」によると、リンカーン曰く、「人民の、人民による、人民のための、政治」(「government of the people, by the people, for the people」) 古代 [ ] 「人民」の語は、日本語の文献においては、古く8世紀の『』、『』の中に現れる。 当時は、「おおみたから(大御宝)=天皇の宝」・「みたから」、「ひとくさ(人草)」という和訓が当てられていた。 「おおみたから」の訓をあてる語は、他に「黎元」や「庶民」もあり、「ひとくさ」は語義のまま青人草(あおひとくさ)と書く例がある。 同じ意味で使われる言葉には、「衆人」「世人」「百姓」「諸人」「万民」などがある。 「人民」は『古事記』に少なく、『日本書紀』とにおいて一般的な語であった。 「人民」は特別な用語ではなく、君主の統治対象という以外の限定を付けない幅広い概念であった。 たとえば「庶人」・「庶民」は無位か低いの人々を指し 、「」は・・を含めない身分的な概念だが 、「人民」にそのような線引きはない。 また「人民」は、統治の良否や自然災害・事件の影響で富んだり悩まされたりする文脈で記され、「人民反乱」のような使用例は古代にない。 権利や行動の主体にはならず、もっぱら受け身の文脈で用いられた。 中世 [ ] 中世の日本でも、「人民」の語は、被害を受けるにせよ安寧に暮らすにせよ、受動的な文脈で、かつ君主と対置して使われた。 「兆民」のような「民」を付けた言葉が他に複数用いられることも同じであった。 中世からは、集団的な要求を掲げて行動する人民が史料に現れる。 その場合、平安時代から「土民」という言葉がよく用いられた。 土民は、のような反乱・事件のときだけでなく、地元の権利の主体としても記された。 近世 [ ] 江戸時代には「」の語が「土民」にとってかわり、これが法規の用語ともなり、集団的要求の際の自称ともなった。 百姓は身分的概念だが、のような集団要求で用いられるときにどの範囲の人々まで含まれるかは時代と状況で変わっている。 近世にも「人民」は一般的な幅広い意味を変えることなく、他の類義語とともに使われた。 儒学者の中には、「人民」の「人」は士君子、「民」は農工商、との身分制で語義を解く人もいたが 、実際の用例で身分が意識されたわけではないようである。 この時代には天皇だけでなく・も領主として人民に対置された。 中期以降になると、・が民間に広まり、様々な身分の出身者が政治や社会のあり方を論じるようになった。 その中で、天下・国家が君のためではなく民のためにあるという考えを説く者が現れた。 君主の統治を否定して人民に替えようというのではなく、君主による統治のあり方を論じたものである。 こうした思想状況の中で、被治者の立場でありながら政治的活動に携わろうとする人もでてきた。 彼らは自らの行動を「人民」のものとは考えず、人民の中から出てきた少数の「」と自認した。 明治時代 [ ] の政策を実施した明治国家は、憲法制定の前まで、様々な公文書で「人民」という語を多く用いた。 官吏と軍人を除く一般人を指す法律・政治用語である。 また「人民」は英語の「people」の翻訳語として広く使用された。 とりわけが、人民の権利と議会開設を求めたことから、「人民」は政治議論の中心概念になった。 民権運動の思想は、の権威を拠り所にする政府に容れられなかった。 政府側が起草してに発布されたは、かわりに「」という語を持ち込み、ただの人ではなく、臣下の人に対して権利を与える形式をとった。 こうして法文上の用語から外された「人民」は、権力者に支配される状態は不当だという語感をまとうようになった。 に発行され、ベストセラーとなったの『人民讀本』には、当時のそうした「人民」の含意が反映されている。 英語では日本語の「国民」についてはpeopleとnationの区別がなされるが、「人々」「人民」「民衆」は「people」か同義の単語にのみ対応する。 日本の敗戦後、主導で大日本帝国憲法が改正されることになったがGHQの改憲案では、「臣民」に代わり"people""person"が使われ、日本語訳は「人民」「」の語が充てられた。 この場合の「人民」は、「日本に住む全ての人」を指した。 しかし、日本側の反対に譲歩し、施行されたでは、に変更された。 こうした経緯から、日本国憲法に規定された権利や義務は、国民、つまり日本を持つ者だけを対象とし、それ以外(や者)は含まないという主張が生まれた。 「人民」と「国民」 [ ] 「人民」と「国民」は、意味が区別される。 国籍と無関係な概念が「人民」、ある国の国籍を持つ者が「国民」である。 が1863年に行った「ゲティスバーグ演説」に民主主義の本質を語ったものとして世界的に知られる「 government of the people, by the people, for the people)」という有名な一節があるように、本来「人民」の語は民主主義の主体を示す用語として用いられた。 20世紀前半以降、運動や共産諸国家では、国際共産主義の立場から「」(nation)よりも「人民」(people)を好んで用い、そのため本来の語義を離れて「人民」という言葉に、共産主義のイメージが感じ取られる場合が多くなった。 特に毛沢東時代の中国共産党において人民とは、国民からや反革命分子を除いたを指すやや狭い概念であった。 そこには黒五類や臭九類などと呼ばれた、反革命階級出身者(成分)への敵視があった。 日本の勢力は、戦前から「人民」の語を用いていたが、おおむね1930年代前半まではさほど頻繁にではなかった。 しかし、1930年代、特に後半となると、それぞれ・の含みもある「臣民」・「国民」の概念を脱却するべく「人民」の呼称を積極的に用いた。 また、終戦後にそれまで弾圧されていた左翼勢力が解放されると、「人民共和政府」「人民大衆」「人民闘争」など左翼的・階級的な「人民」を含む表現が多用されるようになった。 しかし暴力闘争路線が市民多数派に敬遠されるようになると、議会主義路線の左翼政党は的な印象を避けるべく人民という言葉の使用を控えるようになった。 上の経緯から現代日本では通常は「人民」という言い方は避けられ、「国民」という言葉が用いられる。 日本の・で、少なくともに議席を有するものでは、人民を党名にかぶせたり、に人民という語を使うことはほとんど無い(、が議席を獲得した希少な例である。 ただし、は政党であり、二重の意味で希有と言える)。 また、の英語名称はThe People's New Partyであり、直訳すれば「人民新党」となる。 しかし、日本語名称で「人民」は使っていない。 名称に人民と付く国家・組織・集団 [ ] 正式名称• 日本語訳が「人民」 主に共産主義国やその組織に、漢字の「人民」の訳語があてはめられている。 しかしバングラデシュのように、議院内閣制国家でもその例がある。 芳賀登『民衆概念の歴史的変遷』、156 - 159頁。 芳賀登『民衆概念の歴史的変遷』、157 - 158頁。 芳賀登『民衆概念の歴史的変遷』、160 - 162頁。 芳賀登『民衆概念の歴史的変遷』、159頁。 芳賀登『民衆概念の歴史的変遷』、163 - 164頁。 芳賀登『民衆概念の歴史的変遷』、244頁。 芳賀登『民衆概念の歴史的変遷』(233頁)がの例を挙げる。 芳賀登『民衆概念の歴史的変遷』、252頁。 『民衆概念の歴史的変遷』、231-235頁。 芳賀登『民衆概念の歴史的変遷』、231-235頁。 参考文献 [ ]• 『民衆概念の歴史的変遷』、、1984年。 関連項目 [ ].

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「人民の人民による人民のための政治」リンカーン演説から151年。その真髄は日本国憲法にも

人民 による 人民 の ため の 政治 意味

筆者の拓殖大学藤岡信勝教授は、 ・実は〈government of the people〉を「人民の政府」と訳すのは完全な誤訳なのである。 ・なぜなら、これは「人民を『対象』として統治する政府」という意味だからである。 ・「人民の政府」という日本語の語句をいくらひねくり回してもそういう意味は絶対に出てこない。 と言い切っていますが、本当なんでしょうか?文法的な解説も記述されていましたが、英語に弱いためよくわかりませんでした。 どなたか分かりやすく解説していただけないでしょうか? 「人民の、人民による、人民のための政府」という有名な訳が誤訳だったなんて、ちょっとショックです。 以下は、『ニホン語、話せますか?』(マーク・ピーターセン 著)からの抜粋です。 (藤岡教授と同様な主張が日本にあることについて) 「英語圏で141年以上も続いてきた常識的受け止め方が引っ繰り返される、リンカーンも驚くにちがいない、突拍子もない文法的解釈だが、(中略) リンカーンの言葉について簡単に言えば、government which is of the people and is by the people and is for the people(ちなみに、中国ではこれは「民有、民治、民享的政府」と訳されているようだが)の of the people は、いわば、「人民の合意の上で出来た」や、「人民の間から生まれた」などのような意味を表している。 」 アメリカに38年住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 この質問があったのですね。 これは、はっきり言ってリンカーンしか分からないことです。 (そのいい例として、That's one small step for a man, one giant leap for mankindなのかThat's one small step for man, one giant leap for mankind. そして、アームストルング氏が何をいおうとし何を言おうと地上で練習したのか、告白しなければ誰もこの「本当」の文章を理解できなかったのです) しかし、前後する文章から、また、リンカーンの主張したいことから、またアメリカ合衆国の代表としての建前から、時代的背景から見たら、文章があいまいなフィーリングを持つ、言い換えればいろいろなフィーリングを出せる、ofと言う単語からは、of the peopleは「全ての人民を人民として扱える」政治、と言う解釈が妥当となるわけです。 この解釈は「人民に由来する」「人民を対象とする」と言うフィーリングもあるでしょう、「人民と言う単語の持つ意味の平等」を出したかった表現でも在ると私は思います また、of the people, by the people and for the peopleと言うようにandが入っていないところかも、of the people; by the people,,, and for the peopleと言う言い方をしたのかもしれません。 口調が分からないのです。 人民の政治、つまり人民による人民の為の政治、と極端な解釈する人がいてもおかしくはない、と言うのもあり、なのではないか、と言うことです。 ある有名人の言葉が実際には何を意味しているのかは、有名英語学者でも結局は100%分からないと言う事なのです。 つまり、誰が言っても結局はその人の「自説」に過ぎなくそれがたとえ世界の過半数の人がひとつの解釈をしてもそれが正しいと言えるものではないのです。 ただ過半数の人がそう思う、と言う事なのです。 それを、絶対に大統領はこういう意味で言ったのだ、と言う人が出てきたら、ofの理解が足りなく違う解釈の余地があることを認められない、と言う批判があってもおかしくはないということでもあります。 それが言葉と言うものなのです。 上に書いたアームストロングの短い言葉ですらa manなのかmanなのか、NASAだけでなく彼自身のコメントですらしばらくの間どっちを言っている・言ったのか分からなかったのです。 なお、私もof the peopleを、人民を統治する、と言うフィーリングは上に書いた状況から考えると、存在しないはずだと思います。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 WikipediaにあるGettysburg Addressに接し、NPRのA Reading of the Gettysburg Addressにあるリンカーンの演説を聞いての、英語の解釈というよりも感想です。 それ以外の何物でもない)また、人民を統治というイメージをリンカーン自身は持っていなかったような気がします( 3 参照)。 this nation, under Godという語句を先行させていることでもそのように思います( 1 参照)。 1 It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us - (略)- that this nation, under God, shall have a new birth of freedom - and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth. 2 リンカーンの時代に接近しているonlineのWebster's 1828 ictionary とWebster's Revised Unabridged, 1913 Edition の語義の優先順も参考にすると政治が良いような気がします。 3 WikipediaにあるGettysburg Addressによると演説は、リンカーンよりも前の政治家のDaniel Websterの"This government, Sir, is the independent offspring of the popular will. It is not the creature of State legislatures; ・・・"の影響を受けているとのことです。 他にも演説に関係する人の記載があります。 4 NPR(National Public Radio)のA Reading of the Gettysburg Addressにある演説を聞いていると、リンカーンは「新大陸へ移ってきたのは、戦争をするためでも(、奴隷を雇ってまで生活するためでも)ない。 戦いの犠牲者の死を無駄にしない為にも、これからは人民の人民による人民のための政治がくるようにつとめ、またそれが消えることがないようにするのが我々の勤めである」と言っているように思えます。 ご回答ありがとうございます。 これまでのご回答を参考にして、この場合の訳は「(そして、)人民に由来する、人民による、人民のための政府(をこの地上から絶やさないことこそが、私たちが身を捧げるべき大いなる責務なのです。 )」が正解と思います。 つまり「of」を「起源、根源」で解釈するのです。 その方が、演説全文から合います。 この演説は戦没者に対する追悼ですので、その趣旨にかんがみると、人民が統治の対象であることは、貴族支配であれ民主政治であれ、昔から同じですから、戦没者に対し、こんな分かりきったことを誓う必要はないと思うからです。 いずれにせよ、「人民の」は間違いとはいわないまでも、不明瞭な不適切な訳だと思いました。 かなり論理を補足した訳というか近い文章が日本国憲法前文にあり ます。 「その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれ を行使し、その福利は国民がこれを享受する。 」起草はマッカー サー元帥。 ゲティスバーグほどシンプルではありませんが、ofが出 自・起源を表すとすれば、とてもきれいに対応しています。 国民は 参加させてもらうのではなく、自ら政府を造り上げるだというアメ リカ独立宣言に連なる思想が表現されていると思いませんか。 また、あの演説は「~の政府」で終わっているわけではありませ ん。 「~の政府が地上から滅びないように~」と続きます。 誤訳派 はリンカーンが人民「を」統治する政府の存続が重要だと言おうと したんだと主張するわけです。 プロジェクト玄白の山形さんあたり は「王侯貴族が王侯貴族のために人民を統治する」政府との対比で 考えると言っていますが、だったら人民を統治する部分は全然変化 してないわけで、演説に盛り込む意味がありませんね。 結論としては、従来の訳は十分ではないかもしれないが、藤岡さん の主張は曲解だろうと思います。 ご回答ありがとうございます。 」 ・まさにNo. 9様の「起源、根源」ですね。 なるほど、身近にありましたね(笑)。 「~の政府が地上から滅びないように~」と続きます。 ・No. 9様への「お礼」で述べたように、原文全体を見るとNo. 6様のご回答に説得力を感じましたが、原文はまだ続いていたんですね。 ・No. 5様への「お礼」の最後の部分に述べたことは、まさに私もそう感じたからです。 ただ、原文の順番では「人民のための」がラストなので、リンカーンが強調したかったのは「人民のための」なのかな?「人民を統治」は大前提であり、変化はないよね、と思いました。 ありがとうございました。 前置詞ofには以下のように、[起源,根源]、[行為者]、[所属,所有]の意味があり、日本語の「の」はこれらの意味を内含できます。 リンカーンの意図と文脈を汲めば、おそらく[所属,所有]のofとして使っていると考えられます(、、、によるはbyがあるため。 ただし、[起源,根源]、[行為者]の意味合いも否定できないでしょう)。 人民に「属する」(「の」、「のものである」)政府という可能性が高いと思います。 藤岡さんの解釈は誤解でしょう。 センチュリー英和 [起源,根源]12.. から(の ,.. から出た;.. による[よって]. The pianist was born of a good family. そのピアニストは名門の生まれだった. 14[行為者].. による,.. が行った[作った,など]. the plays of Shakespeare シェークスピア作の戯曲 [所属,所有]17.. に属する,.. のものである. Do you remember the name of the store? ご回答ありがとうございます。 藤岡教授の掲載文を読むと、英文学者は「客体説」、政治学者は「主体説」で分かれた、とあります。 政治的な意図は別として、純粋に英語を解釈すると「客体」と解釈すべきなんだな、と思っていました。 ・起源、根源:「人民を起源とした、人民による、人民のための政府」 ・行為者 :「人民が行う、人民による、人民のための政府」 ・所属、所有:「人民に属する、人民による、人民のための政府」 「of」だけを考えれば、ga111様の解釈もアリなのでしょうが、No. 6様のご回答のように、governmentが無冠詞なので「政府」ではなく「統治」である~、など「of」以外の原文全体を考えた方が、リンカーンが本当に言いたかったことが分かる気がしました。 でも、とっても参考になりました。 どうもありがとうございました。 誤訳とは言えません.日本語は本来あいまいな表現になりがちです.単純な直訳ですから.完全な誤訳というのは言い過ぎです.短い英文を短い日本文に換える場合にはよくあることです.字ずらだけを云々するのでなく,背景の意味を考えれば誤解はありません. 「人民の」と言った場合,従来は,「人民」が主人公,すなわち主体と見る傾向がありました.しかし,of the people の人民を,英語の構成上,統治の客体 govern the people と解釈することもできると思います. しかし,この教授は,人民を「お上」の下に置きたいようです.「人民の」の「の」を別解釈することによって,なんらかの混乱を意図しているように見えます. 百歩譲って,統治の客体,すなわち「人民を統治する」であっても,by the people によって「人民の手による」がありますから,「人民が人民を統治する」で問題ないと思います.現実に,現在の日本の社会は ,「人民が人民を統治する」形態になっています.「人民が統治する」でも問題ありません. たしかに,日本語で「~の」というと意味合いが種々あります.だからといって,何らかの意図をもって拡大解釈したり,捻じ曲げたりする動きには注意が必要です. 実はこの文言はリンカーンのオリジナルではなく,14 世紀にイギリス人の John Wycliffeが, それまで存在しなかった英語版聖書を翻訳で作った際に序文に書いた文とされています.時代々々に引用され,リンカーンはさらにそれを引用したということです.もちろん,これ以外の彼の演説は彼のオリジナルでしょう. ご回答ありがとうございます。 藤岡教授が言いたいことは、私の想像ですが、 『民主主義において「お上」とは当然「人民」のことである。 ただ、いわゆる「進歩派」と呼ばれる方々は、人民「が」統治することばかり主張するが、人民は統治「される」側でもあるのだ。 それが民主主義の本質である。 この部分を忘れているから、「進歩派」は権利(受益、自由)ばかり主張して、義務(負担、責任)を忘れるのだ。 「of」を主体と解釈すると、次の「人民による」と意味がかぶってしまう。 この「of」は客体、つまり「人民を統治」に解釈しないと民主主義の本質が理解できない。 』 というようなことだと思います。 問題ないというか、「人民を統治する」の部分が忘れられがちではないの?ということがいいたいのではないでしょうか。 まあかなり保守的な論調の方なので、誤解されやすいですけれど。 いずれにせよ、正しい訳文、というか、リンカーンが本当に言いたかったことが知りたかったのです。 ご回答ありがとうございました。 government には「政治・統治」と「政府」という二つの意味があります。 govern は「統治する」で,その名詞形は「統治すること」,さらに統治するための組織である「政府」という意味を持つわけです。 ここで,「統治すること」であれば意味の上では動詞に近く,「政府」であれば完全に名詞であると思ってください。 さて,この場合,「統治」か「政府」と言うことですが,原文では government は無冠詞です。 組織である政府であれば必ず冠詞がつきますが,抽象的な「統治すること」であれば無冠詞も可能です。 したがって,ここでは政府ではなく,統治の意味です。 先ほど,意味の上では動詞に近いと申し上げました。 動詞であれば主語だの動詞だのが必要です。 つけてみましょう。 まず完全な動詞の govern であれば, The people govern the people for the people. これでは文法的ではないので,ちょっと変えますと, The people govern themseleves for themselves. 「人民が自分自身を自分自身のために統治する」 The people is governed by the people for the people. 「人民は人民によって人民のために統治される」 これをそのまま名詞化してみましょう。 the people's government of themselves for themselves government of the people by the people for the people ここでの of は動詞の目的語であることを表します。 He loves nature. 「彼は自然を愛している」 his love of nature 「彼が自然を愛していること」 The farmer discovered oil. 「その農民は石油を発見した」 dicovery of oil by the farmer 「その農民による石油の発見」 choice of an occupation 「職業の選択」「職業を選ぶこと」 care of the house 「家の手入れ」「家を手入れすること」 上の例で分かるとおり,日本語でも目的関係の名詞を「の」で表すことができます。 というわけで,藤岡信勝も誤訳です。 (王様や貴族ではなく)人民が自分自身を自分自身のために統治すること, 人民の人民による人民のための統治(政治) であるとすれば,誤訳でも何でもない。 まともな辞書なら,政府ではなく,政治とでているはずです。 A ベストアンサー 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義 右派リバタリアン で、それ以後を新保守主義 ネオコン といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン 左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法 戦争など過激な改革を許容する を執ると言う主義 です。 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで 高福祉政策 」などが有ります。 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。 そして変える方向 変えない方向 が自由か統制かで分類できます。 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。 自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共... A ベストアンサー 「以」がつけば、以上でも以降でもその時も含みます。 しかし!間違えている人もいるので、きちんと確認したほうがいいです。 これって小学校の時に習い以後の教育で多々使われているんすが、小学校以後の勉強をちゃんとしていない人がそのまま勘違いしている場合があります。 あ、今の「以後」も当然小学校の時のことも含まれています。 私もにた様な経験があります。 美容師さんに「木曜以降でしたらいつでも」といわれたので、じゃあ木曜に。 といったら「だから、木曜以降って! 聞いてました? 木曜は駄目なんですよぉ 怒。 と言われたことがあります。 しつこく言いますが、念のため、確認したほうがいいですよ。 「以上以下」と「以外」の説明について他の方が質問していたので、ご覧ください。 goo. php3? …にくい。 goo. php? キーワードを変更して再度検索をしてみてください。 goo. php? goo. php? …にくい。 goo. php? キーワードを変更して再度検索をしてみてください。 goo. php? A ベストアンサー めどはやまと言葉ではないでしょうか。 もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。 広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく 不親切です。 朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。 解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、 ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。 目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です) A ベストアンサー イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、 狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。 つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の 体系です。 一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を イデオロギ-と言うんです。 例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。 だから賛成や反対といった意見が出てきますね。 しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。 イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。 例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに 組織されています。 つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。 しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して 公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。 ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。 一応これは一つの例ですけど。 というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。 こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。 この説明で理解してくれると思いますけどね。 イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、 狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。 つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の 体系です。 一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を イデオロギ-と言うんです。 例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。 だから賛成や反対といった意見が出てきますね。 しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。 イデオ... Q 皆様、こんにちは。 最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。 他にも『解任』などもあったりして どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。 gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。 『更迭』は他の人に変える事とでてきます。 これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか? なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。 よろしくお願い致します。 A ベストアンサー 中傷だけで終わるのも何なので補足します。 Nagatosさんは、英米人なら絶対しないような間違いと、する間違いの区別ができてないようです。 質問者さんは、「Can you celebrate? 」はどっちですか?と聞いているみたいですが、それを理解されてないので、議論が平行線になってるみたいですね。 例えば日本の黒板消しの商品名で「Clean Elaser」というのがありました。 これは明らかに米英人はしない間違いです。 意味不明です(「きれいに消せる黒板消し」と言いたいのだろうが、「黒板消し自体がきれい」という意味にしか聞こえない)。 こんな間違いは英語の歌詞にもないでしょう。 結論を言うと、「Can you celebrate? 」は微妙なところだと思います。 「Clean Elaser」ほどひどくはないけど、英米人は言わないでしょう。 でも、歌詞になら使ってもおかしくはない・・かな??という感じです。 聞くひとも、意味はかろうじて推測できるかなという程度だと思います。 賢いひとなら、こんな詩は書かないでしょうね。 慣用だからとあきらめずに、正しい英語を使おうと努力する姿勢を評価したいですね。 中傷だけで終わるのも何なので補足します。 Nagatosさんは、英米人なら絶対しないような間違いと、する間違いの区別ができてないようです。 質問者さんは、「Can you celebrate? 」はどっちですか?と聞いているみたいですが、それを理解されてないので、議論が平行線になってるみたいですね。 例えば日本の黒板消しの商品名で「Clean Elaser」というのがありました。 これは明らかに米英人はしない間違いです。 意味不明です(「きれいに消せる黒板消し」と言いたいのだろうが、「黒板消し自体がきれい」という...

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