檜原 村 そば。 「檜原村ランチ」ドウガネブイブイのブログ | ドウガネブイブイの秘湯ドライブ

ポツンと一軒家を振り返る 東京檜原村2 ~そば処 みちこ編~

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日本の滝百選の一つ、払沢の滝の駐車場を過ぎると、道は一気につづら折りになります。 数軒ある時坂の集落を通り抜け、林道を上がりきると視界が急に開けます。 向こうの山肌に見えるのは湯久保の集落。 そこから少し下り、深い森の中に一軒、ひっそりと佇む古い家屋が「そば処みちこ」です。 鳥のさえずりと水車の音が響く静かな場所ですが、週末になると大勢の人がそばを食べに訪れます。 お邪魔した日、手打ち二八そば(1000円)と石臼ひきそば(800円)は既に売り切れで、山芋そば(600円)に天ぷらを付けてもらいました(+200円)。 店を切り盛りする濱田美知子さん(66)とご主人が日の出町の自宅で打ったそばを、薪で焚いた店のかまどで茹でています。 天ぷらはその時期に収穫できるもので、この日はワサビの葉や山ウド、カンゾウの花。 シロウトには分かりません。 美知子さんが店に上がってくる途中で見つけた山菜などもあり、日によっていつも違います。 そばは喉越しが良くて、スルスルっと進みます。 サクサクした天ぷら塩でいただくのがおすすめです。 季節の小鉢2品もついています。 日を変えて、美知子さんと、美知子さんの母の弟であるこの家の14代目、髙橋季博(すえひろ)さん(85)にお話を聞きました。 ここは瀬戸沢(せどざわ)といい、以前から髙橋家一軒のみがあったそうです。 この家は、村の東西を貫く浅間(せんげん)尾根が村人の生活道路だったこの地域の歴史に大きく関わっているのです。 森のなかに佇む古い家屋 檜原村では、今は北と南の秋川沿いに舗装道路が通っていますが、昭和初期までは、アップダウンの少ない尾根伝いを人が通り物を運び、炭焼きの盛んだった頃には、焼いた炭を背に積んだ馬が五日市方面へ向かっていたそうです。 尾根道沿いに位置する瀬戸沢の髙橋家は馬方や馬の休憩所となり、物資の取次所として仲買人なども出入りし、賑わったとのこと。 三頭山一帯にあった幕府直営の山林の巡検に来たお代官様一行も瀬戸沢で休憩したと伝えられています。 尾根から見える山向こうの湯久保集落 1649年には木炭の中継所・炭問屋として、1756年には雑貨問屋としても幕府に認められました。 以後3世紀の時をへて、1929年(昭和4年)生まれの季博さんが幼い頃、家の前に馬をつなぎ、馬方たちが馬方専用の囲炉裏を囲んで温まりながら休憩していたのを覚えています。 今は静かなこの場所も、かつては人馬が行き交った賑やかな場所だったのです。 この家を巡る歴史は、入ったところに貼られた横長の板にも書かれています。 季博さんを含む8人のきょうだいはこの家で育ち、山を下ったところにある小沢の学校に通いました。 行きは50分ほど、帰りは1時間半はかかったそうです。 季博さんのころは尋常小学校で、同級生は50人ほど(2014年度の檜原小学校の児童数は、全校合わせて60人です)。 小沢には祖父母の家があり、下校中に荷物を置いて近くの川で山女魚を捕まえるなど、夢中に遊び続けていました。 気がつくと空は真っ暗になっていて、祖父に「いつまで遊んでるんだ!」と怒られたことも。 瀬戸沢の家の周りには畑のほか、田んぼが3枚棚田状にあり、家の前の水車で精米もしていました。 父の金季(かねとし)さんは山仕事と畑仕事。 ほぼ自給自足でした。 季博さんは登校前に父の炭焼きや焼いた炭を運ぶ仕事を手伝っていたそうです。 美知子さんは村内の神戸(かのと)で生まれ、小沢で育ちました。 母の生家である瀬戸沢に時々遊びに来ると、祖母が大きな瓶に入った甘酒を「飲むか」と言って振る舞ってくれました。 おやつなどは手に入りにくかった当時のこと、「きっと、孫が来たから甘いものをとすすめてくれたんだろうな」と振り返ります。 梅干しや野菜の漬け物が入っていた樽が、自分の背丈を超えるほど大きかったことを思い出します。 暖房などなかった当時は、囲炉裏の四隅に靴ごと足を入れて体を温めました。 金季さんからは、囲炉裏の灰に火箸で字を書いて漢字を教えてもらったこともありました。 その金季さんは、周囲から「仙人」や「翁(おきな)」と呼ばれ、子ども達は次々に山を下りましたが、「ここで過ごすのが一番」と1990年に88歳で亡くなるまでこの家で一人で暮らしました。 電気も電話もテレビもなく、明かりはランプ。 ラジオの音だけが鳴っていたそうです。 当時使われていたランプ その後10年ほどは空き家でしたが、「このままだと廃れるばかり」と季博さんが美知子さんにそば屋の開業を薦めました。 美知子さんはもともと調理師で、給食センターや飲食店、老人ホームなどの厨房に長く勤務していたのです。 高校進学と同時に村を離れた美知子さんにとって、檜原村は楽しい思い出の詰まった場所。 しょっちゅう遊びにきていましたが、「いつも恋しかった」ので引き受けることに。 とはいえ、古い家屋でそば屋を始めるとなると大がかりな準備が必要です。 電気や水道を引き、畳を入れ替え、一家総出で大掃除。 厨房を新設し冷蔵庫を置いて、2000年春、「そば処みちこ」が開店しました。 美知子さんは52歳でした。 キレイになった店内 営業は、春から秋までの土曜日曜祝日のみ。 「空気もいいし、水も冷たいからキュッとしまる」そうです。 以来14年が過ぎました。 来客は全国各地から訪れ、新緑や紅葉の季節には開店前から行列ができます。 繰り返し来てくれる人も多く、「お客さんが色んなことを教えてくれる。 勉強になるし、楽しい」 定年退職した夫も近くのそば打ち道場に通ってそば打ちの技術を身につけ、今では一緒に店を切り盛りしています。 建物は築400年以上と伝えられるだけあって、その維持管理は容易ではありません。 屋根はトタンをかぶせていますが、風の強い日などは屋根裏の茅(かや)が部屋に落ちてくるので掃き掃除は欠かせません。 茅の中の虫除けのため、真夏でも定期的に囲炉裏に火を入れて茅を燻します。 趣きのある囲炉裏 毎年3月半ばを過ぎ、お彼岸を控えてぼた餅を作るころ、開店準備のために山に向かいます。 まだ雪の残る瀬戸沢の周りで、かまどの火をおこすのに使う1シーズン分の杉の葉を拾い集めるのが最初の作業です。 かまどに火を入れるみちこさん 夏が終わると、「悲しくなるほど一気に」秋がやってきます。 お昼を終えて一息つくとあっという間に真っ暗になり、向こうの山から鳥や虫の悲しい声が響きます。 「外灯のない道を帰るのは心細い」そうです。 この場所じゃなければ、しなくてもいい苦労もたくさんあります。 それでも美知子さんは「空気も水も美味しくて、のびのびとしていられる。 日の出町の家にいても『山に行きたい』と思うし、瀬戸沢に上がってくるたびに『わー、山に戻ってきた』と思う。 やっぱりここにいるのが好き」と言います。 落ち着く縁側 5月に67歳になった美知子さん。 70歳になったら区切りをつけ、店の仕事は誰かに譲りたいと思っています。 「ここでそばを出すのもあと数年かもしれない。 大変だけれど楽しいこともたくさん体験させてもらえた。

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深山 (檜原村) 最新のレストランの口コミ(2020年)

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広告 そば処 みちこ このお店の口コミは? 昨日は檜原村の山奥のそば処みちこへ行った。 山菜の天ぷらつきざるそばが1000円くらい。 おばあちゃんの家の匂いがする良い空間。 でも今年の11月でやめてしまうらしい。 残念すぎる😢大好きだったのに。 帰りは豆腐を買う。 — banetsu180 banetsu180 そば処みちこ — hf(ハル) lupus625 春になって今年も開店した、檜原村の「天空の蕎麦屋さん」、そば処みちこにて。 今回は石臼挽き蕎麦(天ぷら付き)でした。 新緑と澄んだ空気のなかで味わう蕎麦は美味でした。 刺身こんにゃくは鉄板。 まるで水を食べてるみたいですよ。 駐車場が増えてました。 28横浜マラソン youky4663 檜原村 そば処みちこさん・・・ 石うすびきそば 天ぷら付き・・・ 1000円・・・ メチャメチャ 美味しいです・・・ リッチな ツユ・・・ ツルツルの そば・・・ 天ぷらは 揚げたて・・・ 都内一の 奥座敷・・・ また訪れたい 名店・・・ — テイラー taylorsuifuto 季節限定のよもぎ蕎麦 そば処みちこ — higgpy higgpy ポツンと一軒家 2018年10月28日 予告 ポツンと一軒家 2018年10月28日 予告は以下の通りです。 衛星写真で発見! 衛星写真で確認してみると、かなり立派な一軒家の様相。 しかし、道中は崖を車幅ギリギリで突き進む、想像を絶する山道だった! 捜索隊も「こんなところに住んでるの!? 」と半信半疑。 だが、峠の道の先には、さらに予想外の展開が。

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瀬戸沢の一軒屋 そば処 みちこ(閉店)@東京・檜原村が『ポツンと一軒家』で紹介

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今回は10月28日放送の ポツンと一軒家 を振り返ってみます。 衛星写真を拡大すると見えてくる、 山奥にポツンと建つ一軒家に スポットを当てる番組で今回は 東京都の檜原村の立派な ポツンと一軒家。 赤い四角い屋根で 道路は確認できる 場所にある。 前回分は Sponsored Links 峠の茶屋も昔、この家の 叔父が うどん屋をやっていたそうなので、 目的だった家も、 おそば屋さんも 3軒全て ミチコさんの 親戚が 所有していたものだった。 ミチコさんが おそば屋さんを 始めた築400年の古民家。 建てられたのは1603年、 徳川家康が 江戸幕府を開いたはじめと伝えられ、 14代に渡り先祖代々継承された。 元々は茅葺き屋根だったが、 今は雨漏りを防ぐため、 トタンを被せて補修してある。 山奥でおそば屋を始めた理由 ミチコさんの 母の実家で、 おじいさん・ おばあさんが 居るので小さい頃から 母に 連れられて、実家に行こうって 一緒に付いて来ていた。 平成2年に ミチコさんの 祖父が 亡くなり、ずっと空き家に。 締め切ると、ボロボロだから、 どんどん悪くなっちゃうと思った ミチコさん。 この場所は空気がいいし、 水も美味しいので、冷たいおそばが 出せるかなと19年前から、 そば屋をここで始めたという。 平成11年 「そば処 みちこ」開店。 平日だとそんなに お客さんが いらっしゃらない事から 今は、 土・ 日・ 祝日のみ営業。 営業時間は、午前11時~午後3時半迄。 昔、 祖父母が暮らしていた部屋を そのまま客席にしている。 多い日には100人もの お客さんが訪れるそうです。 一番人気メニューは、 手打ちのニハそばと 山菜の天ぷらセット 税込1,200円。 そばを打つのは ミチコさんの ご 主人で退職した6年前から お店を手伝っているそうです。 竈は、コンクリートと 粘土質の土を混ぜて、 石を入れて固めた手作り。 水は、ポンプで汲み上げた 沢の水を使用。 水道水より冷たい水にする事で 蕎麦に独特のコシがうまれるという。 山菜は敷地内の山で ミチコさんが金曜日に 山に入り収穫したもの。 Sponsored Links 江戸時代の役割 昔、この場所は お代官様が山から 下まで行く時に休んでいく場所 だったそうです。 一軒家の目の前を通る登山道は、 戦国時代以前からこの地を 通っていた古甲州道 甲州裏街道。 府中と甲斐国を結ぶ旧街道で 江戸時代、物資流通の要路であった。 家の周りに幕府管轄の山が5つあり、 頻繁に訪れる代官が休憩所として 使えるように、江戸幕府の命を 受けていたのだという。 当時は屋根裏で沢山の蚕を飼い、 繭から作る生糸を売って生計を 立てていたという。 さらに、江戸時代から炭焼きが盛んで、 この家も養蚕業の傍ら、炭焼き問屋も 行っていたそうです。 長年続けてきた 「そば処みちこ」は、 今年の11月で閉店するという。 暖簾はおろしても、愛着のある この家を守り、歴史をつないで いきたいという。 Sponsored Links.

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