ニンフォ マニアック。 映画『ニンフォマニアック』(Vol.1とVol.2)フル動画を完全無料でみる!

【観たことある!?】ニンフォマニアックのマニアックな世界!!

ニンフォ マニアック

10月にVol. 1が公開となった、鬼才の『ック』。 先日、やっとVol. 2を観てきました。 Vol. 1だけ観たときの感想は以前書いているので、今回はVol. 2の感想と、あとは全体を通した主題について考えてみたいと思います。 - チェコ好き の日記 「『ック』って何?」という方は、ぜひ予告編を観てみてくださいね。 とってもR18なかんじの、悪趣味な映画です。 以下ネタバレをふくみますので、気になる方はご注意を。 色情狂と、性依存症の境目はどこ? まず、タイトルの『ック』の名の通り、この映画は「ック=色情狂」の女性、演じるジョーが主人公です。 ジョーの若かりし日を演じているのは、モデルのステイシー・マーティン。 Vol. 1では、このジョーの、幼い日の性の目覚めを描いたり、「今すぐヤッて服」とかいう露出の激しい服装で男性たちを誘惑した10代の頃を描いたり、父親との死別のエピソードが語られたりするんですが、Vol. 2ではさらに過激な方向へ。 たくさんの男性たちの1人であったジェとの間に愛が芽生え、結婚して息子も生まれるんですが、一般的な意味で「幸せ」になったはずのジョーはなぜかそこで不感症になってしまい、SMに走ったり、言葉の通じない黒人とのプレイに走ったりするんですね……。 ちなみに、『ック』はR18ですが、どちらかというと「ハードすぎて萎える」といったかんじの映画なので、女性が1人で映画を観に行ったりしても全然だいじょうぶ。 逆に、ドキドキを期待するカップルや夫婦で観に行くのは避けたほうが賢明でしょう(珍しく有益な情報を提供する私)。 自分の場合、Vol. 2の鞭打ちのシーンなんかは、見ていられなかったので実は薄目でした。 男漁りがひどすぎて職場の人に心配されるまでになってしまったジョーは、Vol. 2でついに、性依存症の女性たちが集まるカウンセリングに参加することになります。 予告編を見ていただけると出てきますが、大きなホールのような場所で女性たちが輪になって集まるシーンですね。 始めはカウンセラーの指示に従い、家中にある「性」を連想させるモノ、書籍などをすべて処分し治療に励もうとするジョーですが、最終的にそれを投げ出し、(ここも予告編にありますが)「 私は色情狂よ。 そんな自分が好き」と言い放ち、カウンセリングの場を後にしてしまいます。 Vol. 2を観る限りだと、実はこの後、下半身の痛みがひどくて性行動を断ったジョーに発熱や痙攣などの禁断症状が出てきてしまうシーンがあって、「それってやっぱり普通に依存症なんじゃ……」と私は思ってしまったんですが、とにかくジョーはここで「色情狂」と「性依存症」はちがう、とはっきり言い放っているんですね。 そして私はこのシーンが、本作においてジョーが最もカッコよく見える、または爽快感があるシーンであるように思いました。 救済とその不可能 ところで本作は、とある事情から路地裏で倒れていたジョーと、そのジョーを介抱した初老の男(Vol. 2において童貞であったことが明かされる)・マンとの対話という形式をとっています。 自らの性衝動のせいで愛する人たちを傷付け、自分自身も傷付いてきてしまったジョーは、ラストシーンにおいて、「 私はもう、女性としてのを排除する」みたいなことをマンにいいます。 「色情狂と性依存症はちがう!」と言い放ち、奔放で自由なジョーを4時間近くかけて描いてきたにも関わらず、「え、結局そこに着地すんの」と私はポカーンとしてしまったんですけど、そこでさらにマンが、「 もしこれが男性の物語であったなら、とても凡庸なものだっただろう」みたいなことをいうので、まぁそうなんだけどじゃあ今までの4時間は何だったんだとか思ってしまって、このラストシーンの意味が、観終わった直後はよくわからなかったんですよ。 鬼才が、そんなベタな終わらせ方をしていいのかと、納得いかなかったんですね。 で、もう一度『』を読み直しまして、このラストシーンは批評家の氏が語る「 救済とその不可能」という言葉で説明すると、すっきりするということに私のなかでなりました。 この言葉で解釈すると、前作『』や『』、さらには『』の主題とも通じます。 トリアーの作品において、登場人物たちはいかなる場合においても救済されないんです。 ジョーはそんなマンを拒否して逃げていき、紳士的だったはずのマンの「大勢の男とヤったくせに……」という情けない言葉が響くなか、映画は幕を閉じます。 ジョーはこれまでの罪(もし、それが罪なのだとしたら)を償うことなんてできない。 救済は不可能で、死ぬまで自分の「性」というものの呪縛からは解き放たれはしないんだぞと、そういうラストなのかと解釈しました。 このあたりは、ぜひ映画を観終わった人と語り合いたいところです。 まとめ:結局、ジョーは「悪い人間」だったのか? 「色情狂」のジョーは、作中でしきりに「 私は悪い人間なの」というセリフを繰り返します。 確かに、10代の頃からたくさんの男性たちを誘惑し、ついには欲望のために夫と息子を捨てるまでに至ってしまうジョーの人生は、道徳的なものだとはいえません。 でも、本当にジョーは「悪い人間」だったのでしょうか。 このあたりはもちろん正答なんてものは存在しないので、映画を観終わった人が各々考えてみればよいことだと思います。 「悪い人間」だったのか、あるいは「悪い人間」ではなかったのか。 もし「悪い人間」だったとするならば、どこが「悪」だったのか。 欲望のままに生きてしまったところか、夫と息子を捨てたところか、借金の取り立てという裏稼業の仕事をするようになってしまったところか、身寄りのない「P」という少女に騙すようなかたちで接近したところか。 私自身の答えをいうならば、「 まぁ良い人間とはいえないけど、悪い人間ではなかったんじゃないかな」と思いました。 ジョーはたまたま性欲という厄介なものに突き動かされて人生を歩んできたわけですが、人間はそれぞれ、欲望に突き動かされて生きているという点ではだれもが同じだからです。 ちがいは、ただそれが、社会的なものであるか、反社会的なものであるか、というだけです。 トリアーを「挑発者」に仕立てるのは、見る者自身の「良識」である。 『』に載っていたこの言葉で本エントリを締めくくろうかと思いますが、久々に面白い映画を観たなーと思いました。 まわりの人の評判は気になるところですが、ポイントは本当にいろいろあるので、感想をいいたくなる&聞きたくなる映画というかんじです。 トリアーさん、次回作も期待しています。 関連エントリ:.

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映画ニンフォマニアックは濡れ場が本格的!ネタバレと感想

ニンフォ マニアック

解説 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「アンチクライスト」「メランコリア」など、数々の問題作を手がける鬼才ラース・フォン・トリアーが、「ニンフォマニアック(色情狂)」を自認する女性の数奇な半生を、8つの章仕立てで描いた2部作の後編。 快楽を求めて不特定多数の男と交わる主人公の女性ジョーにシャルロット・ゲンズブールが扮し、過激なベッドシーンも体当たりで演じている。 そのほか、シャイア・ラブーフ、ユマ・サーマン、ウィレム・デフォー、クリスチャン・スレイター、ジェイミー・ベル、ジャン=マルク・バール、ステラン・スカルスガルドと実力派のキャストが集っている。 II 配給:ブロードメディア・スタジオ スタッフ・キャスト 個人評価:3. 7 抑えきれない色欲を、4時間半もの時間をかけて紐解いていく。 人間の強い感情の一つを、毎作品カタチを変えて描くラース・トリアー。 今回は色情狂というテーマを存分に味わう事が出来た。 エロスになぞらえた主人公と、そのエピソードを聞く老紳士。 まるでエロスとキリストが話している構図のように見え、最後のエロスの色情の前に、色欲の罪を見せたキリストのメタファーが、本作をさらに邪悪な作品に仕上げている。 自分の樹を見つける事で、強く生きる事ができるという父の教えが、ラストの救いの無い展開の伏線にもなっており、この世は辛く厳しい真冬の中で、あの樹の様に強く立ち続けなければならないと格言めいた印象を与えてくる。 舞台は至ってシンプルで、倒れた女が老人に拾われて身の上話をするだけ。 いわゆるストーリーで揺さぶる映画ではなく、会話や情景、描写や関係性、皮肉やメタファーで揺さぶるタイプの映画と感じます。 部屋の中のものをヒントに話を進める部分や、時折混ざる老人のキリスト的観点が、大雑把な表現ながら性というテーマを皮肉に彩っていると感じます。 ただ合わせて4時間はレビューするには長すぎますね… 性を扱う映画でこうも不快感のないものは、数少ないと思います。 アクション映画さながらの爽快感さえある。 映画の色が章ごとに変化していくのは、一貫性がないと捉えられることもあるかもしれませんが、テーマは一貫しているし、その混沌がそれはそれでニンフォらしくて私は好きでした。 いい意味で予想できる鬱展開が続き、ラストも予想できる方は多いでしょう。 ですが、予想できた方はそうあって欲しいと考えている方が多くラストとしては相応しいと感じられると思います。 メッセージ性がとか、結局こういう映画だとか、そんなのはどうでもいいと思える作品でした。 そういう視点でこの映画を見ると、なんか馬鹿馬鹿しくなります。 でも、私は好きです。

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3分で映画『ニンフォマニアック(Vol.1&Vol.2)』を語れるようになるネタバレあらすじ

ニンフォ マニアック

女性 ニンフォマニア• 男性 サチリアジス と呼ばれています。 この色情症を英語ではニンフォマニア(Nymphomania)と呼ばれ、 今回の映画では女性の物語の為ニンフォマニアック(女性)になっているわけですね。 ニンフォマニアと性依存症の違いは? 世間でもた~まに耳にする性依存症とニンフォマニアって、「じゃあ同じなの?」って思いませんか? どちらも性に対して貪欲なので、結果的に大きな違いはないですが 性依存症の方は世間でも軽い扱いのようで、いっぽうのニンフォマニアは仕事や家庭、 つまり 人生(自分だけじゃない)を破滅してしまう危険度が高いと言われています。 監督は? この過激な作品を作ったのはデンマークの映画監督で「ラース・フォン・トリアー」! 名前だけでは、どんな人物か分からん感じですが結構過激な作品ばかり作っていて、有名どころでは 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」 ではないでしょうか。 考えはさまざまですが、ハッピーエンドの終わり方がかなり少ないダークな作品が多いように思いますね・・ またラース自身も多くの精神疾患を持っていて、映画作り以外の全てが怖いと語っていて さらに何度もうつ病を発症していることから 人と違った視点で物事を感じられる人物なんです。 肝心のストーリーはどうよ? 今回の最大のテーマである、ニンフォマニアの一人の女性の誕生から50歳までの性を視点にして作られた物語。 小説のような作り 1人の半生を描いているので、主要項目を小説のように分かれているのが特徴で 全部で8章の物語として作られている。 そのため1本の作品では入らず、Vol,1とVol,2の2作品となっているんですね! この内容なら1本じゃ描き切れないw 語りべスタイル 冒頭、主人公の女性ジョーが路地裏で倒れていて、それを見つけた中年男性のセリグマンが助け自宅で介抱(かいほう)して なぜ倒れていたのかを聞くところから始まる!! ベッドで安らいでいるジョーは何でこうなったのは、これまでの自分の人生に関係していて話せば長くなるとセリグマンに言います。 それを聞きたいとセリグマンは言うとジョーは静かに自分が経験した人生を語っていく・・・ というスタイルの映画で、過去と現在を行ったり来たりしますw 数多くの経験 ニンフォマニアはただ欲求に走ってしまうこともお伝えしましたが、 本人も望んでそうなってしまった訳ではなく原因は家庭内やトラウマで目覚めてしまうのでジョーも小さなきっかけから興味が出てきてしまいます。 また二人で愛し合うにはお互いの気持ちや経緯などを女性(ジョー)目線で話しているので男目線はあまり出てこないです・・・ さて、多くの男性と経験していく中で少しずつさらに刺激を求めるようになってきて、身体にも負担がかかり家庭にも問題が生まれる なんか負のスパイラルのような中でも、ジョーは安らぎの場所を探しつつ「性の道」を歩んでいく様子は刺激は欲しいけど安らぎも欲しいって・・ ホントに普通の人と同じで人間味あふれている様子は現実味がありますね!! キャストは有名? 主要人物はさほど多くないですが、よく他でも観る有名どころの俳優さんも多数出演しているんです!• ユマ・サーマン:ミセスH• コニー・ニールセン:ジョーのお母ちゃん• ジェイミー・ベル:K• しかもVol,2のポスターは、主要キャストの絶頂顔なんでよけいに興味(いろんな展開を期待)が出ていたのですが ・・・完全なる詐欺ジャケが判明w 私が期待しすぎていたもの悪い! まぁ今やネットでググればそういった画像や動画を手に入れることは簡単になっている影響もあって、 正直 誰にでも起こるかもしれない症状なのと、 何かに依存するって事はホントに自分や周りを不幸にさせてしまうんだと感じましたね! 何事もほどほどが一番と言うことっすね!! では!! この記事を見て、少しでも参考になれば嬉しいです!.

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