ジョーカー ラスト 考察。 映画ジョーカーの解説!ラストシーンの意味は?

映画ジョーカーのネタバレ考察と感想!気になるラストシーンの謎。妄想はどこから?|Y's BLOG

ジョーカー ラスト 考察

なぜラストシーン以外が妄想と思われているのか? なぜ世間ではラストシーンで妄想とおもわれているかというと、一つ目のポイントはあれだけ犯罪者が街に溢れかえっているのにもかかわらずジョーカー本人だけが逮捕されているからである。 これだけ目立てばすぐに逮捕されそうだがジョーカーを崇拝するものによって守られるはずである。 逮捕後に精神病院へ送られたようだがあれだけのピエロだらけの暴動の中ジョーカーを見つけ出すのは至難の業である。 そのため映画の出来事全てがラストシーン以外妄想だという考察がされている。 二つ目は有力な仮説だがジョーカーはラストシーンの時に髪が黒色であったからである。 作中でそれを表現しているセリフは「今までの僕は存在していなかった」「だけど今は違う」という発言であり「今までの僕は存在していなかった」とは社会では肩身狭く生きるしかないコメディアンを目指すアーサーとしての自分を表している。 ラストシーンでカウンセリングを受けているときは髪は黒色なのでラストシーンからが現実の話で今までのことはジョーカーがカウンセリング中に考え付いたジョークなのでは?という考察である。 他にも妄想では?と考えられるシーンはありますが、こうしてラストシーンだけをみて考察してみると確かに今までのこと全てはジョーカーの妄想だったと考えるとこもできます。 妄想ではない理由は? 妄想ではないと言える行動はいくつかあります。 まずラストシーンのアーサーがカウンセリングを受けているシーンですがアーサーは笑いながら「面白いジョークを思いついた」と言っています。 その時担当のカウンセラーが「どんなジョーク?」と聞いていますが、「どうせわからない」とジョークの内容を話そうとしません。 しかも父親の暴力のせいで脳に後遺症が残り、発作で笑ってしまう身体になってしまった。 そのせいでみんなからも気味悪がられる。 元同僚が護身用に銃を持っておけよとプレゼントにもらったから銃を常に持ち歩くことにしたのに、元同僚はアーサー自らが銃を購入していたと職場の人間に話されて裏切られた。 親切心で銃をくれたと思っていたのに裏切られてはめられた。 しかも最終的には自分もやばくなったからと媚びてくる。 「仕事はどう?」「ネガティブになってない?」とばかり毎週聞いてくる。 自分の話をまともに聞いてくれない人なのに同じ質問ばかりしてくるしうんざりだ。 しかしラストシーン 今まで全く話を聞いてくれなかったのに凶悪犯になったとたんご機嫌伺いするようにジョークの内容を聞いてくる。 会社員に対しては防衛の結果ですが会社員にも不当に暴力を振るわれています。 アーサーもこの時に「君は優しかったから」と言って逃がしています。 もし妄想説が正解ならば監督は「純粋に」「本心で」といった回りくどいワードを使わず、「本当に笑っている」というわかりやすい表現をするのではないだろうか? まとめ ほかにもネット上ではさまざまな考察がされていますが、現状では映画の99%が妄想オチというのが有力候補になっています。 たしかに謎に包まれている部分を妄想と考察すればすべて辻褄が合いそうですが、ウェイン夫婦の回想はバットマンへ続くたくらみの伏線のようなものではないでしょうか? ジョーカーはバットマンを悩ませた宿敵としてバットマンシリーズで描かれています。 ただしDCシリーズはストーリーが複雑になりすぎて昔内容は無いものとし新しいストーリーとして制作されています。 そこで今回ジョーカーという映画を公開してバットマンの宿敵の過去の一面として制作去れたのではないでしょうか? もしこれが本当に99%が妄想というオチでしたら、ほかのDCシリーズとは独立した物語ということになるのでちょっと寂しいですね。 実際制作者側はラストシーンに関してごまかしているようなので、真相はわかりませんがDCシリーズの関連からすべて起こった出来事として描かれていたらいいなーと思います。

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映画『ジョーカー』ラストシーンを考察!<3つの解釈から徹底考察!>|深淵のサルベージ~アニメ・漫画・映画をとことん楽しむブログ~

ジョーカー ラスト 考察

映画ジョーカーのラストシーン考察 ラストシーン、、アーサーは精神病棟に入れられ、手錠をかけられたままカウンセラーの黒人女性と面談をしています。 そして両親を殺されたブルース・ウェインのことを考えながら突発的に笑います。 「何を考えているの?」とカウンセラーがアーサーに問いかけ、「ジョークを思いついた。 理解できないさ…」とアーサーは答えます。 その後、軽くステップを踏みながら真っ白な廊下を歩くアーサーの姿。 彼の歩く後には真っ赤な足跡が残っています。 アーサーは廊下の奥にたどり着くと軽やかにダンスをし、精神病棟の監視員と思われる人に追いかけられ、逃げていきます。 以上がラストシーンです。 赤い足跡が血だと思われることから、アーサーがカウンセラーを殺害して精神病院の面談室から脱走を図ったのは間違いなさそうです。 しかし精神病院に入れられていることに関しネットでは、• 結局どういうこと!?• 全部アーサーの妄想だったの!? と物議をかもしております。 そこで私なりにラストシーンを考察し、ネット上で唱えられてる主な3つの説について考えてみました。 (時系列通り説)物語の最後に逮捕され精神病院に入れられた 事件後、そのまま再逮捕され精神病院に入れられたという説です。 一番正論のように思われますが、ネット上では以下の反論があります。 ジョーカーがそう簡単に逮捕されるわけない• それじゃ面白くない 映画『ダークナイト』に出てくるジョーカーは、警察の先の先まで読む頭のキレる存在でした。 このジョーカーの印象が残っている方だと、「強敵ジョーカーがそう簡単に捕まるわけない・・」と思うかもしれませんが、 私はアーサーが変身したジョーカーが警察に再逮捕されたという可能性は十分あると思います。 精神病院を脱出した後、数々の犯罪を積み重ねて(ゆくゆくバットマンと対決する)凶悪ジョーカーが生まれる。 というのが私の説です。 ) 後にバットマンとなるブルースがまだ幼い頃の話であるため、ジョーカーが悪のカリスマとして返り咲くまでにはまだまだ伸びシロがあります。 (物語の前説) 過去にアーサーが精神病院に入れられた時の話 過去にアーサーが精神病院に入れられた際の話という説です。 この説が唱えられた理由としてネット上では以下が挙げられています。 冒頭の会話で過去にアーサーが精神病院に入っていたことがわかる。 冒頭に出てくるカウンセラーとラストに出てくるカウンセラーは同一人物!? 確かに冒頭の会話から、アーサーが過去に精神病院に入っていたことがあるのは間違いなさそうです。 しかし 冒頭のカウンセラーの女性とラストのカウンセラーはどちらも黒人女性ですが、二人は別の女性であることが確認されてます。 ラストシーンは明らかにアーサーがカウンセラーを殺したという描写であるため、後にアーサーがカウンセラーの女性と面談していることを考えるとつながりにくいです。 よって 過去の話である可能性は低いと考えます。 (アーサーの妄想説)物語全体がアーサーの妄想であるということ ネット上で最も多く唱えられた説がこちらになります。 最初から最後までこの物語全体が、精神病院で隔離されているアーサーの妄想であるという説です。 ソフィとの馴れ初めが全てアーサーの妄想であったことは本編中でも明らかになっていますが、• アーサーがマレーの番組に出演したこと• ジョーカーとして讃えられ世間に影響を与えたこと の2つに関しては、妄想かどうか明らかになってません。 ネットでは、「番組で反響がよかったからって出演オファーが来るのは話が上手過ぎる」「ジョーカーとして悪のカリスマになるというアーサーの願望」など妄想説が唱えられていました。 どこまでが妄想なのか?というのは定かではありませんが、私は以下のように考えます。 ラストのアーサーの表情・廊下を歩く際の完全にイカれた感じ・何かに酔いしれたダンスなど、一連の行動は全ては本編での事件があったからこそ生まれたものだと思います。 よって精神病院でのラストはアーサーがジョーカーとして生まれ変わったことを示しているシーンだと言えますので、全て妄想オチというの私は考えたくありません。 映画ジョーカーのラストシーン結論 以上の通り、 ラストシーンは時系列通り最後の出来事であるというのが私の説です。 監督トッド・フィリップスはこの映画のラストに関して明確な回答は述べてませんので、真相はわかりません。 しかし見た人が勘違いし易いよう、冒頭とラストに似た黒人女性のカウンセラーを配置したりしたことからも、 「解釈は観る人の判断に委ねる」というのが監督の意図・姿勢のように思われます。 DCコミックスのジョーカーをベースに、人が悪に染まる過程を描いたこの作品。 見ていない方は是非ご覧になってください。 本作品とは異なる、もう1人のジョーカーを描いた映画『 』は でご覧になれます。 見たことがない方は絶対見てください!初月無料です!.

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『ジョーカー』ラストの病院が残した4つの疑問【意味が怖い】

ジョーカー ラスト 考察

監督:トッド・フィリップス 脚本:トッド・フィリップス 制作:ヴィレッジ・ロードショー・ピクチャーズ 音楽:ヒドゥル・グドナドッティル キャスト:ホアキン・フェニックス、 ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツら 上映時間:122分 日本公開:2019年10月04日 配給:ワーナー・ブラザース 映画「ジョーカー」あらすじ 映画「ジョーカー」あらすじは以下のとおり 「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。 都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィーに密かな好意を抱いている。 ジョーカーになる前の主人公「アーサー」は皆を笑わせる・楽しませる「コメディアン」を夢見ています。 貧乏な中、母親の介護もしていますし、非常に心優しい男なんですね。 ピエロの派遣会社で働いていて、ジョークを言ってもなかなか受けないですが、小児病棟などでは笑い(笑顔)をとることはできる。 彼には「笑ってはいけない場面で、ついつい笑ってしまう」という持病があります。 それが原因で、会社の同僚には疎まれ、おそらく友人もいない。 周囲の人には気味悪がられているんですね。 で、その病気を止める(笑いを止める)には薬が必要。 アーサーが住むのは、バットマンシリーズでおなじみの町「ゴッサム・シティ」は、腐敗した町です。 町の方針で福祉にお金をかけられないということが決まり、彼は薬を得られなくなる。 そんな矢先、母親もふとしたことから入院し、仕事も首になるという不幸が重なります。 彼は会社の同僚からもらった銃を使って…という話。 アーサーは銃で証券マン3人を衝動的に殺してしまいます。 警察に追われつつも、自身の父親らしき政治家のウェインに会いに行く。 すべては母親の妄想だった。 アーサーは母親を殺害し、「ジョーカー」の格好をして、呼ばれたコメディ番組に登場。 司会者を銃殺し、警察に捕まる。 ジョーカーの行動も相まって、町中の人は暴徒化し、ゴッサムシティは火につつまれる。 そしてアーサーは精神病院に入れられる、、、という結末。 監督は「ハングオーバー! 」のトッド・フィリップス 監督はコメディ映画「ハングオーバー! 」の監督で知られるトッド・フィリップス。 コメディの名手が手掛けた結果、「笑い」と「狂気」は紙一重ということがよく分かる一作となっています。 ジョーカーのテーマ考察(ネタバレ) 以下、ネタバレですのでご注意ください。 貧困と格差がある現代社会 心優しく、慎ましく生きているアーサー。 彼を支える福祉(セーフティネット)がなくなり、富裕層(上級国民)は映画を見て笑うだけである。 これが一種の社会批判になっています。 アーサーは、母親の言葉をずっと信じて、政治家のウェインを希望の対象と思っていた。 正義の味方であり、自分を救ってくれると。 しかしウェインは、アーサーが起こした事件を見て 「貧困な人々は社会の負け組。 ピエロの仮面をかぶらないと犯罪もおかせない臆病者」と語ります。 「狂っているのは自分か、世界か」と冒頭で問いかけがあるように、この格差社会そのものが間違えている、おかしいとしたら、それって壊れていいよね? というのが視聴者の無意識に埋め込まれる仕組みです。 現代日本が今よりも不況になったとき、このテーマがより如実に浮かび上がる気がします。 自分の中にいるジョーカーを肯定してもいいんじゃないか、と。 誰の心のなかにもジョーカーはいる 誰の心のなかにもジョーカー的な存在がいるんですよね。 で、この作品の恐ろしいところは、ジョーカーについつい感情移入しそうになるところです。 ジョーカーの貧困な状況、虐げられる状況。 ゴッサムシティの腐敗と、政治不信。 それらの救いようのない状況から、ついつい弱者の側であるアーサーに自己投影してしまう作りになっています。 しかし、徐々に「アーサーのヤバさ、狂気」が見えてきて、視聴者として彼を客観的に見られるようになっていく。 とそこで、アーサーが「本当の自分はこれだったんだ」と語るところから、 自分のほんとうの気持ちはなんだろう? 自分は素直に生きているのだろうか? と心揺さぶられるんですね。 物語の最後。 アーサーがコメディーショーの司会者を殺し、捕まります。 その際の街の描写が秀逸。 暴徒がゴッサムシティを火まつりにして、暴れているのですが、映像美もあいまって、なんともいえないカタルシスになります。 アーサーはその光景を本当に「美しい」と思っていたでしょう。 そして、事故にあって気を失っていたアーサーが生き返り、周囲から大歓声を浴びるシーン。 これこそ彼が思い描いてたものであり、ずっと認められたい、誰かに自分を見て欲しいと思っていた彼の願いが、いびつながらもかなったシーンなんですよね。 ここにきてアーサーの気持ちが少しわかる。 わかってしまう。 そこにこの映画のスゴさ、そして恐ろしさがあるのだと思います。 この作品を見た後のなんともいえない感覚の正体はなにか?• アーサーがかわいそうだった• 悪に落ちるのはダメだ• 上級国民(社会の上位層)許さない! などのシンプルな感想が、いだきにくいところだと思うんですよね。 つまり、自分の中にいるジョーカーを無意識に感じる。 だからこそ、見終わった後の「言葉にならない感じ」があるのだと思います。 チャップリン「人生は近くで見ると悲劇だが、 遠くから見れば喜劇」 作中にチャップリンの映画が映っていましたね。 また、近代社会を描いた作品「モダンタイムズ」のテーマ局「Smile」も何度も作中で使われていました。 「人生はずっと悲劇だと思っていた。 でも外から見れば喜劇なんだよな」 「主観で見れば喜劇だ」 ということを語っていました。 実際、映画内では、彼がジョーカーになった瞬間から、それまでのおどろおどろしい音楽が反転。 一気に明るい音楽が流れ、お立ち台から降りる彼の姿はなんとも晴れやか。 で、これってチャップリンが 「悲劇を喜劇」に見せたのと逆。 ジョーカーという作品は 「喜劇が悲劇」に見えるんですよね。 ジョーカーからすれば 「悲劇に思えていた人生は、実は喜劇だった」という主観。 しかし、それを更に外側から見ている我々からすると、それは「悲劇」だよね、と感じてしまう。 この構造が非常に面白い。 ジョーカーの面白い部分の感想(ネタバレ) 土台がグラグラ揺れる感じ(妄想が連発する) この作品のエンターテイメントとして面白いところは、主人公アーサーの見えていた世界にトリックがあるところですね。 つまり、アーサーは妄想をしていた、ということが分かり、見えていたシーンが嘘だったと分かる。 同じマンションに住む女性とは何も関係がなかったこと。 母親とウェインの子どもかもしれない?と思いきや、妄想だったこと。 そうやって、自分を支えていた「何か確からしいもの」が音を立てて壊れていく感じを疑似体験できるんですよね。 それがあるから、• そもそも全てはアーサーの妄想だったんじゃないか?• コメディショーに呼ばれたのすら妄想だったのでは? とついつい思ってしまったり。 不穏な音楽と相まって、作品の土台がグラグラ揺れる感じが見ていて堪らなかったです。 僕らの中に潜む悪意と、消費税増税の今公開されることの意味 日本で「消費税」が増税された10月。 この作品は公開されました。 今後確実に不景気になる時代に、このゴッサムシティの「悪」と行き場のない「不満」を見ると、なんとも言えない気持ちになります。 結局、人々の暮らしは貧しく、日常には悪意が溢れ、一方で上級国民たちは良い暮らしをしている。 そんなことを無意識に思っている中で、この作品最後の「暴徒たちが町を壊す」が妙に爽快です。 ジョーカーという作品を通じて「悪はいけないことだ」ということはよく分かりつつも、いつの間にかジョーカーに心を奪われた我々は、その光景にどこかカタルシスというか、なんともいえない良さを感じるんですよね。 もちろん、理性の上では「町を壊すのはダメだし、テロもダメだ」ということはわかっている。 ただジョーカーが語るように「本当の自分はこういうものだ」という気持ちもどこかにある。 つまり、感情の奥底には自分にも「ジョーカー的なもの」があるんじゃないか、とゾッとするわけですよ。 アーサー(ジョーカー)の人生を想像する アーサーは最初、弱いものとして描かれます。 同僚には嫌がらせをされますし、上司には疎まれる。 不良少年たちにボコボコにされるし、カウンセラーは自分の話をまともに聞いてくれない。 彼は小児病院に銃を持っていったことで、仕事をクビになるわけですが、それまで何か悪いことをしていのだろうか?とつい思ってしまいます。 そもそも、小児病棟では、彼は笑いをとれていたというか仕事をできていたわけですし、母親の介護もしていた、と。 つまり、彼自信はもともと「優しい人」ということが描かれています。 一方で、同じマンションに住む女性をストーカーしたりと、狂気の面、悪い一面も確かに持っている。 一方で、直接的な告白などはできなかった(妄想だった)というところから、彼の弱さ、自信のなさが浮かび上がります。 というのも「チック症」みたいな笑いで、社会生活を送るのが大変難しかっただろうと思うんですよね。 友達はいない。 同僚にも疎まれる。 上司にもバカにされる。 彼のこれまでの人生を想像するとなかなかに悲惨です。 まともな仕事にはつけないでしょうし、まともな人間関係はつくれなかっただろう、と。 ジョーカーの分かりづらいところを解説 アーサーと母親はどこまでが妄想か問題 私の解釈ですが• 彼の希望• 自分の愛しているという発言を受け入れてくれる• 自分の「笑い」も受け入れてくれる• すべてを捨ててでも「君を息子にしたい」と言ってくれる が詰まっていたということ。 アーサーが母親を殺した理由は? 自分を騙していたというのもそうですが、アーサーが笑う病気になったのは、虐待のせいなんですよね。 過去の新聞に「頭の大怪我」というのがありましたけど、あれが直接の原因でしょう。 なぜ小人病の元同僚は許された? ここまでさんざん書いていますが、アーサー自身はもともとは心優しい人間なんですよね。 で、小人病の元同僚に対しては、優しくしてもらっていた。 これは、彼がそのネタを笑ってはいけないと考えていたということ。 つまり、もともと悪い感情は持っていなかった。 アーサーからすると彼は数少ない「友人」だったんですよね。 ウェインってそもそも誰?あの子どもは誰? これはバットマンシリーズを見ていないとわからないと思います。 政治家のウェインは、大金持ちでしたよね。 で、政治家ウェインの息子「ブルース・ウェイン」が途中に出てきましたよね。 彼は、後のバットマンです。 で、物語最後の暴動が起きた日は、ウェイン夫妻は殺されて、ブルースウェインが一人残されました。 つまりこれは、 アーサーがジョーカーとして目覚めた日でありながら、 ブルース・ウェインがバットマンになるキッカケの日でもあった… という描写ですね。 映画「ジョーカー」誕生に影響を与えたキング・オブ・コメディとタクシードライバー 映画「ジョーカー」誕生に影響を与えた映画は主に3つ。 キング・オブ・コメディ• モダンタイムズ• タクシードライバー 名作『タクシードライバー』。 主人公トラヴィスは低賃金のタクシードライバーをしつつ、世の中を憂う。 ある日、堕落した世の中をクリーンにしてあやると思ったトラヴィスは、モヒカン・サングラスにイメチェンする。 そして、大統領候補の政治家の暗殺を企てる。 この作品も、監督自身が影響を受けたと語っていますし、見終わった後の「なんともいえない感じ」が近しい。 この映画を見ると、ジョーカーがより深く楽しめるので、是非見ておきましょう。 まとめ:ジョーカーは今見るべき映画 ハッキリ言って、ジョーカーを見ても良い気持ちにはなりません。 なんとも言えない気持ちで終わるはず。 それはきっと、自分の中にあるジョーカー的なものに気づいたからだと思います。 なんとなく世界情勢が悪くなりそうな予感と、閉塞感のある日常。 そういった現代だからこそ、見る価値がある作品だなと思います。 自分でもまだ咀嚼しきれていない作品です。 見終わった後の、なんとも言えない感じを持っている方、コメント待ってます。

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