モロゾフ 香港 田中。 香港問題は中国共産党統治の「終わりの始まり」になるか

香港問題は中国共産党統治の「終わりの始まり」になるか

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デモ武闘派を「テロリスト」呼ばわり 香港ニュースメディア「癲狗日報(マドッグ・マイレイディオ)」は、モロゾフの香港法人40代日本人社長、田中幸一郎氏(5月12日付で更迭)が、個人のSNSアカウントに2019年に吹き荒れた香港民主化運動のデモ隊を愚弄する投稿を重ねていたことを伝え、問題視した。 モロゾフは、ロシア革命を逃れて日本に亡命した白系ロシア人、モロゾフ一家が1931年に開いたチョコレート菓子店が起源。 「ユーハイム」と並ぶ神戸2大菓子ブランドの一角だ。 店舗数は2020年1月31日現在1239店。 海外は1984年の香港を皮切りに、94年台湾、2008年中国・上海、14年アラブ首長国連邦(UAE)・ドバイ、17年シンガポール、18年タイ、マカオ、19年カンボジアに進出。 現在計20店舗を運営している。 香港では、銅鑼湾(コーズウェイベイ)の崇光百貨(香港そごう)、旺角(モンコック)の朗豪坊(ランガムプレイス)、屯門(テュンムン)の屯門市広場(TMTプラザ)に店舗を開設。 現地で日本ブランド菓子の輸入販売を行っていた代理店・ビジュアルホンコンを16年11月、子会社化し、田中氏はこのビジュアルホンコン(モロゾフ香港)の総経理(社長)を務めていた。 田中氏は英文名をアンドリュー・タナカと自称しており、ツイッターの個人アカウント「安德魯住喺香港@全球加油(香港在住アンドリュー、世界よ頑張れ)」( AndrewLivesInHK)などで「浅黄(穏当な民主派支持者)」と自称し、自身の身分は明かさず日本語と中国語(広東語表記)で投稿していた。 (現在、5月16日以前のツイートは削除されている。 ) その内容は正直、悪口や批判というより、面白おかしくといった感じで、デモの長期化によって香港在住者の生活に支障が出ている現状を愚痴る程度のものだが、デモの最前線で暴力行為を働く「勇武派(武闘派)」を「テロリスト」「犯罪者」呼ばわりし「チャイナマネーが欲しい」などと投稿した。 それらは、日本語を解する民主派の香港市民や民主派シンパの日本人たちが「香港人を侮蔑した」と激昂し、「安德魯住喺香港@全球加油」の個人を特定し、個人情報を拡散するととともに、田中氏の解雇を要求するキャンペーンまで展開したのだ。

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#87 香港で「洋菓子のモロゾフ」不買運動! 民主派市民の容赦なき“正義と独善”

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田中 均 [日本総合研究所国際戦略研究所理事長] 1969年外務省入省。 オックスフォード大学修士課程修了。 北米局審議官、在サンフランシスコ日本国総領事、経済局長、アジア大洋州局長を経て、2002年より政務担当外務審議官を務め、2005年8月退官。 小泉政権では2002年に首相訪朝を実現させる。 05年9月より日本国際交流センターシニア・フェロー、2010年10月に(株)日本総合研究所 国際戦略研究所理事長に就任。 著書に『見えない戦争』(中公新書ラクレ、2019年11月刊行)、『日本外交の挑戦』(角川新書)、『プロフェショナルの交渉力』(講談社)など。 田中均の「世界を見る眼」 西側先進国の衰退や新興国の台頭など、従来とは異なるフェーズに入った世界情勢。 とりわけ中国が発言力を増すアジアにおいて、日本は新たな外交・安全保障の枠組み作りを迫られている。 自民党政権で、長らく北米やアジア・太平洋地域との外交に携わり、「外務省きっての政策通」として知られた田中 均・日本総研国際戦略研究所理事長が、来るべき国際社会のあり方と日本が進むべき道について提言する。 10月1日、中国建国70周年に当たり、香港島で行われた大規模な抗議デモ Photo:JIJI 香港のデモは暴力化し、一向に収拾に向かう兆しがない。 10年前の中国であれば、おそらく人民解放軍を投入し、強権で事態を収拾していたかもしれない。 だが今、どんなにデモが長引こうとも、その気配はない。 一方で中国政府は、NBAのヒューストン・ロケッツの幹部の香港デモを支持する発言に対し強い反発を示し、NBA関連企業のボイコットに走るなど異様な反応を示している。 香港の民主化運動が香港内にとどまっている限り、その処理は香港政府に任せるが、中国本土に少しでも波及するのは許さないという決意表明なのだろう。 香港情勢についてのハンドリングを間違えば、これまでの中国の飛躍的台頭の陰に隠されてきた大きな矛盾が露呈し共産党統治の危機を迎える。 このことは中国政府も認識しているはずだ。 共産党体制の抱える矛盾 成長と自由の抑圧が両立するか 中国の共産党体制が抱える最大の矛盾は、共産党の統治の正統性に関することだ。

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香港問題は中国共産党統治の「終わりの始まり」になるか

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死刑執行後の田中久一の遺体 出身。 田中八作の養子となる。 5月、(22期)を卒業し、同年12月、に任官、付となる。 で学び、戸山学校教官、付などを経て、11月、(30期)を卒業した。 付勤務、参謀本部員、アメリカ出張、参謀本部員、付、陸大専攻学生、陸大教官、課員、教官、長、陸大教官などを歴任し、12月、陸軍に進級。 、参謀長、戸山学校長などを経て、8月、陸軍中将となった。 同年9月、長に親補され、を転戦。 司令官兼として終戦を迎えた。 3月に指名を受け、同年10月9日にの米軍事法廷により死刑判決が出されたが 、翌年3月に中国の軍事法廷により再び戦犯として起訴され、でに処せられた。 辞世の句 [ ] 永年の 終りの歩み さわやかに 恵みの途を 辿りゆく吾 家族 [ ]• 長男 田中義信(陸軍・戦死) 脚注 [ ]• 裁判2号。 裁判資料はに納められている。 関連項目 [ ]• 参考文献 [ ]• 編『日本陸海軍総合事典』第2版、、2005年。 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。 先代: - 次代: (殖民地臨時首長).

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