節穴 ボクシング。 フシ穴の眼 〜スポーツ疾風怒濤編〜

どう見ても山中慎介は判定負けだと思うのですが。

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えー、11月3日、第8回詩のボクシング全国大会に、ジャッジとして出ました。 審査する立場として大変緊張しました。 全力でぶつかってくる言葉たちを、こちらも全力で受けとめさせて頂きました。 僕は最初から最後まで、手に汗を握っていました。 今回から会場が新しくなりましたが、あのホールの一体感、対戦形式が生み出す言葉と言葉のうねりといった、詩のボクシングの魅力は健在でした。 さて、今回の大会について、駆け足ですが書きます。 ジャッジ側からの感想も、詩のボクシングに興味がある人には需要があると思うので。 今回優勝した川原真弓選手の朗読は、言葉は決して多くないけれども、その一つ一つが確実に滴り落ちる雫のように聴き手の心に落ちていき、その波紋の広がりが独特のメルヘンチックな世界観を作り上げる力を持っていました。 声質、テンポ、方言、表情がうまく融和していたのが良かったと思います。 即興の「マネキン」も、やや展開の広がりがこぢんまりとしていたものの、とにかく一つのイメージを繰り返し追いかけていくことで、彼女自身の持つ世界観を崩すこと無く読み切りました。 その揺るぎなさは素朴ながら、大変に力強かった。 準優勝の土屋智行選手は大変惜しかった。 僕は昨年の全国大会で彼と対戦しましたが、その時から彼の実力は折り紙付きでした。 今回も原稿をちぎりながら読むというスタイルで観客を魅了していました。 作品構成は、全体的に着想から後半の展開への繋がりへの強引さも見えましたが、確実に感動のツボを押さえていました。 決勝戦の第1ラウンドの時点では、会場にいたほとんどの人が彼の優勝を確信していたはずですが、「年金」がお題になった即興で、難しい入口から入ってしまったためにゴールに辿りつかなった。 本人が最も悔しかったことでしょう。 もし「晴居彗星賞」を選定出来るとすればそれは間違いなく、くりこ選手です。 第1回戦の作品の、かつての正月へのノスタルジーは圧倒的な切実さを持って聴き手の心に訴えかけてくる力を持ち、第2回戦の望郷の念を心に泳ぐクジラに喩えた作品は、今大会すべての朗読の中のベストだったと思います。 くりこ選手の朗読は聴いていて鳥肌が立ちました。 また次の機会に期待したいです。 海堀賢太郎選手の第1回戦の朗読は、力強さの中に「世界で最も美しい場所から生まれた」や「泣きながら生まれるのは笑って死ぬため」と言ったハッとさせられるフレーズを組み込むことでそのダイレクトさを武器にしていました。 力久夏実選手の、嫌いだった故郷がいつまでも気になるという第1回戦の朗読は「些細ながらも一人の人間の中では非常に大きなこと」を描き出した秀逸な作品でした。 惜しくも負けてしまいましたが、時間切れが決してマイナスではなかったということは記しておきたいと思います。 岩崎圭司選手は詩ボクの常連で、僕も朗読会で競演したことがあります。 第1回戦と第2回戦でバリエーションの多さを見せつけました。 特に第1回戦の人生を競馬に喩えた作品は、フィールドであるべき人生が人生内にあるはずの要素と同列で競争しているという違和感もあったものの、エンターテイメントとしては随一で大いに観客を沸かせていました。 作品としては札を挙げることはしなかったけれども、モチーフは優れていると思えた作品もありました。 例えば橋口久美選手の「心を落としてしまった」という切り口や、中村師選手の「地球も人間も70%は水である」という着眼点は、僕の個人的嗜好としてはストライクでした。 しかしジャッジは好き嫌いでは挙げられません。 橋口選手が自分のこととしてではなく扮装をして語った意味や、中村選手が水や地球と一体になることへの渇望の衝動などが、あと一歩深みを見せてくれたなら、モチーフが圧倒的な力を持ったことでしょう。 鋭い感覚を持っていただけに惜しかった。 以上、駆け足(と言いながらだいぶ長く書いちゃいましたけど)で僕が印象に残ったことについて書いていきました。 今回、ジャッジとして、この大会において勝敗を決める役割を担いました。 しかし、主催者である楠かつのり氏が常に言うように、詩のボクシングにおける勝敗はあくまでエンターテイメント的要素、読み手のモチベーションを高めるためのものであって、付加的なものです。 実際、僕はどの詩からも必ず一つは受けとめる価値のある言葉を得られました。 そこであえてどちらがより届いたか、伝わる言葉を紡いだかを考えてジャッジすることで、より一層、両者から放たれた言葉を反芻し、深く受けとめることが出来ました。 観客の方々もきっと全員が心の中でジャッジをし、「確かにこれは凄かった」とか「なんだよ、全然こっちじゃねえか、晴居の目は節穴だな」とか感じたことでしょう。 そのように判断するということは、どちらの詩もちゃんと受けとめたということです。 それこそが詩のボクシングという形式の持つ意味であり、醍醐味であると思います。 今大会に立ち会えて、とても刺激を受けました。 改めて、すべての朗読ボクサーの健闘を称えたいと思います。 楽しかったです。 ありがとうございました。

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第8回詩のボクシング全国大会ジャッジしました: ジオットに恋して

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軽量級のボクサーが上の階級を目指す第一の理由は 「減量の限界」です。 日本で大きな期待をかけられる軽量級ボクサーを中心に、このトレンドはしばらく続くでしょう。 オスカル・バルデスとエマヌエル・ナバレッテのクラスアップは、徐々に体重を作るのが厳しくなった結果で、井上のケースとは微妙に違いますが大筋は変わりません。 そして、第二の理由は 「より陽の当たる場所への脱出」です。 現在、PFPファイターを複数抱えるジュニアバンタム級は非常にレベルの高いクラスですが、報酬は非常に低く、ファン・フランシスコ・エストラーダは「中量級との格差は狂ってる。 小さな体で生まれることはボクサーにとって最大の不幸」と不満をあらわにし、カリド・ヤファイは「ミドル級で同じことをやっていたら住む家も乗る車も全く違っていた」と嘆きます。 井上尚弥や井岡一翔に代表される日本の世界王者は、世界的には特別に恵まれた軽量級です。 野球選手やサッカー選手がMLBや欧州トップリーグを目指すのは「カッコいいから」もありますが、そこによりレベルが高くて報酬も破格の世界が待っているからです。 しかし、井上やかつての西岡利晃らの日本の軽量級が米国を目指すのは「カッコいいから」だけです。 一方で、少ないファイトマネーを日本のスポンサーから補填してもらうことを「カッコ悪い」という発想は、なぜかそこにはありません。 兎にも角にも、10万ドル以上の報酬を手にした経験がキャリアで2度しかないエストラーダと、日本のエースでは、そもそもの住む世界が違うのです。 軽量級が米国で全く人気がなく、一方で日本では〝伝統のフライ〟〝黄金のバンタム〟と支持されているのは歴史、文化の違いで、最初から決まっていたことです。 それだけに、エストラーダやヤファイの不平不満は、見苦しく映ってしまいます。 中量級との格差は狂ってる?じゃあ、中量級で戦え。 ミドル級なら家も車も変わってた?どうそ、ミドル級で戦いなさい。 それって、今さっき気付いたわけじゃないでしょうが。 ボクシングの人気はヘビー級を例外に、ウェルター級を頂点としたピラミッド型が基本です。 ミドル級にスーパースターが出現したり、ウェルター級の人気選手が主戦場をミドルに移した場合はその限りではありませんが、基本的にウェルター頂点です。 その稜線は、重量級への方向は緩やかで、ミドルが頂点になることも珍しくありません。 しかし、軽量級の谷に向かう稜線は鋭く深く暗く、沈み込んでいます。 つまり、軽量級から見上げると、ウェルター級の山頂まで、クラスを上げれば上げるほど、人気も報酬も付いてくることになるのです。 井岡や井上のクラスは世界的には谷底ですが、日本ではメジャー…というより軽量級でしか世界に通用しないから日本でメジャーになったと言った方が正確でしょう。 日本は、軽量級がメジャーといいつつも、心の底ではウェルター級やミドル級、ヘビー級の「本当に世界で認められるボクサーの出現」を待ち焦がれているという、少し歪んだダブルスタンダードを持っています。 現実に、村田諒太は「日本の4番打者」(ボクシングマガジン7月号)で、その報酬はPFPファイター井上の比ではありません。 村田のような突然変異の登場でしか、日本のボクシングファンは心の底に秘めた期待を賭けることができないのでしょうか? しかし、もしかしたら…実際は違う現実もあったかもしれません。 井上が最初からバンタムスタートなら? そう考えると、イチローもアリもパッキャオも「タイムリミット」に間に合った天才なのかもしれません。 しかし、一方で彼らほどの才能の火が〝時間切れ〟で吹き消されることはあり得なかったようにも思えてきます。 アリのリストン戦は、美しすぎる圧勝でした。 再戦でもリストン有利だったという構図は「ホリフィールドvsタイソン」にも似ていました。 メディアもファンも自分たちが「勝ち方が派手な選手を無条件に過大評価する」という間違いを何度も繰り返す愚か者であることを思い知らされてきましたが、これからも同じ過ちを犯し続けるでしょう。 何かに取り憑かれたかのような軽妙なトラッシュトーク。 果てはアメリカ合衆国を敵に回して勝利するという、もはやアスリートを超越した離れ業まで見せたアリでしたが、その偉大さの本質に世界が気づくには10年以上の歳月を要しました。 イチローの規格外の〝デビュー〟をフロックと見る専門家も多く存在しましたが、実力の3分、大きく見積もっても5分増しでタマタマ好成績を残すのがフロックです。 あの年、20歳のイチローは3割8分5厘を残しました。 フロックだとしてもベースの実力が頭抜けていることを一部のファンはとっくに気付いていました。 そして、当時は今以上に首位打者に付き物だった「打率減を恐れた調整欠場」を1試合もせずに全130試合を駆け抜けたイチローが紛うことなき本物であること、記者から「プロ1年目、後半戦のスタミナは大丈夫?」と聞かれて「今、シーズン130試合って知ったわけじゃないですよ。 130試合出場するための準備をしないプロ野球選手はいません」と睨み返した若者が打ち方だけの異端者でないことは、それこそ火を見るよりも明らかでした。 パッキャオがデラホーヤを切り崩した、あのラスベガスの夜からボクシングの常識は変わりました。 「パッキャオがいなかったら階級飛ばしなんて簡単に考えられなかった」(長谷川穂積)。 「ラスベガスに憧れるのはパッキャオが見た風景を見てみたいから」(井上尚弥)。 フェザー級時代でもうすでに「一発殿堂確実」と高い評価を得ていたパッキャオでしたが、米国では認められない軽量級という十字架を打ち砕き、本当のスーパースターの座を掴んだのはデラホーヤ戦でした。 現在まで、フライ級はおろか、フェザー級からでもウェルター級を制したボクサーは存在しません。 フライ級からウェルター級。 これは、ボブ・フィッツモンズやロイ・ジョーンズJr. がやってのけたミドル級からヘビー級よりも、はるかに難易度が高く、革命的な偉業です。 私たちは、イチローの出現のあと、MLBに新たな選手カテゴリー「Two Way(二刀流)」を設けさせた大谷翔平という異端がどこまで突き抜けるのかを目撃出来る幸運に浴しています。 ボクシングでも井上と村田諒太という、日本人という色眼鏡を通してみると「異端」が戦い続けています。 ベスト8に進出したのは、この8人。 「史上最高のアイスホッケー選手」ウェイン・グレツキーvs「野球の神様」ベーブ・ルース。 「ナイキエアで翔んだ」マイケル・ジョーダンvs「Patriots Dynasty"(ペイトリオッツ王朝)」の名手トム・ブレイディ。 「The Greatest」モハメド・アリvs「水中最速」マイケル・フェルプス。 そして準決勝、ベスト4は…日本人の感覚からは掛け離れた大番狂わせが、二つも起きました。 コメント数:• カテゴリ:• by フシ穴の眼.

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全勝のホープ、エフェ・アジャバが慎重なボクシングで9RTKO勝ち VSラズバン・コジャヌ(ヘビー級10回戦)

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貴方は年齢はいくつですか。 反抗期のようですね。 失礼ではありますが、かなり未熟な人のようですが。 貴方が言いたいのは「ボクシングファンは亀田家の様なキャラクターが好きな筈だから、亀田家が何をやろうと皆が批判するのおかしい、そういう態度は亀田家にとっては冷た過ぎ可哀想だ」という事でしょう。 しかしレスリング行為のような反則は重傷を負わせたり、生命に関わるような反則です。 それなのに「たいしたものではなかった」のですか。 だから貴方の目は節穴だと言われるのです。 貴方は親友はいますか。 親友と喧嘩 口喧嘩でも)することはあるでしょう。 そんな時親友を批判するのはいけないのですか、冷たい態度でしょうか。 結局お互いを確認するということになるでしょう。 亀田家は子離れできない親と、親離れ出来ない子の典型的な家庭だと思います。 こういう家庭の子供は社会に出たら問題を起こします。 ですから亀田息子達は今後も問題行為を起こすかも知れません。 回答を頂きました 残念ながら、もう49歳です、かなり未熟ですが >しかしレスリング行為のような反則は重傷を負わせたり、生命に関わ るような反則です 「反則といっても、たいしたものではなかったのではないのですか ボクシング素人ですから良く分かりませんが、」 と質問で書いているではないですか、そのため >亀田家が何をやろうと皆が批判するのおかしい と思っただけです、しかし何をやろうと、までは書いてません 反則の重大さが分かった批判されて当然だと思ってます 他の人のお礼の欄にそのような意味のことは書いたつもりですが。 私は質問文にもかいてますように、ボクシングは嫌いですし、亀田家の人は嫌いです でも、ボクシングファンの人がいることは人それぞれで、私が とやかく言うことではありません お願いですから、質問文や他の人の回答、お礼などよく読んでから 回答をしてください、成熟されたあなたへのお願いです。 反則云々に関しては様々な意見があちこちに出てますからそちらを参考にしていただくとして・・・ どんな格闘技にもルールは存在します。 ルールをなくしてしまったらそれはただの喧嘩であり、単なる殴り合いであり、はたまた殺し合いになってしまいます。 デスマッチにだってルールはあるのですよ厳密には。 それはさておき亀田家ですがある意味マスコミに作られたヒール(悪玉)ですね。 特に格闘技においてはヒールの存在は貴重なんですよ。 敵役というか。 やってはいけないことをしたのですから亀田家を擁護するつもりはありません。 ただ日本人はヒールをベビーフェース(善玉)が倒すというシチュエーションが好きなんですよ昔から。 ヒールは強ければ強いほどいいんですよ。 ルールが存在するからには勝てば何をしてもいいということにはなりませんが。 まあ視聴率が良かったってことは善玉が悪玉を倒すシーンが見たかったってことでしょ。 私の考えですが、第一、ボクシングなんてあんなのがスポーツということがおかしい。 人を殴ったりけっとばしたり(ボクシングは蹴らないが)して、相手に少なからずけがをさせる。 当たり所が悪ければ深刻な事態になりうる、暴力の何ものでもありません。 あの程度の処分では甘すぎます。 いくつものマスコミの調査で90%以上があの処分では甘いといっているのに、「反則がたいしたことはない」とか「一回の試合で批判ばかりして」という貴方の考え方が分かりません。 いろいろと報じられている(全てが真実とは思いませんが)、亀田家の謝罪は史郎の著書を見てもごまかしです。 反則指示をしている場面が映っているのに、本人は「していない。 」と嘘を言う。 セコンド資格しかない者がジムも開いている。 それを認めてきた協会もおかしい。 (看護士資格しかない人が手術をしたり病院を開いたりできますか?…全くおかしいです)それにどう見ても言葉はきついですが、亀田一家はまるでヤクザです。 よく見てもボクシングはガッツ石松さんのあの頃で終了、どう見たって暴力化へどんどん傾いていっているいるようでなりません。 私もボクシングの経験はありません。 あんな身体や顔を殴りあうスポーツをやりたいとも思いません。 練習もきついし体重管理も大変だと思います。 だから、そんな厳しいトレーニングをしてプロとして試合に臨む選手はただただ凄いと思います。 今回は世界チャンピオンに対戦する試合です。 どのようなスポーツや武道であれ、歴然としたスポーツルールがあります。 空手の試合は空手のルール、テニスの試合はテニスのルールがあるのです。 ボクシングはボクシングのルールがあるのです。 キックあり、背負い投げありではもはやボクシングではありません。 それをやりたければ、プロレスのデスマッチでもやれば良いのです。 今回問題視されているのは、ルール違反とマナー違反です。 背負って投げたのはルール違反、冒涜、侮辱したのはマナー違反です。 其処をはき違えています。 スポーツの世界では重大な違反なのですよ。 ボクシングは亀田家のよう人がやる格闘技と貴方はおっしゃってますが、チャンピオンの内藤さんは亀田家のような人ですか? 元世界チャンピオンの具志堅さん、輪島さんを知っていますか。 同じように思いますか? 多くのボクシングを習っている練習生、選手はそれこそ血のにじむトレーニングをしているのです。 ボクシングは一般の人たちから見たら、確かにめずらしいしマイナーなスポーツかと思います。 高校でもサッカー、野球、陸上に比べたらボクシング部は少ないですよね。 だから、多くの人が知らないから亀田家のような人たちが出てくるとマスコミは騒ぐし、一部の人々は熱中するのです。 勝てば官軍、負ければ賊軍になってしまうのです。 今回のことを教訓に、良いトレーナの元で亀田選手はトレーニングして欲しいですね。

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