チェッカーズ nana。 チェッカーズ「I Love You, SAYONARA」青春の日々に刺さったセツナソング

藤井フミヤの秘密と過去 チェッカーズ時代の映像や名曲がNGの謎 恩人との確執か

チェッカーズ nana

スポンサーリンク 出典: 80年代に一時代を彩ったチェッカーズを色々な角度から掘り下げて行きます。 プロフィール• グループ名 チェッカーズ• 活動年 1983年~1992年• カテゴリー ポップスバンド 現在。 メンバーは何してる?解散理由と不仲の原因をまとめてみました。 1992年に、チェッカーズが解散して以来グループとしての復活や活動はしていません。 時よりボーカリストだった藤井フミヤがライブでチェッカーズ時代の楽曲を歌唱することがある程度です。 それよりもオリジナルメンバーが一人亡くなってしまっているため完全なる復活はあり得ません。 これは天命を全うしたので仕方がありません。 続いて現在メンバーは何をやっているのかを掘り下げて行きます。 ボーカル 藤井フミヤ 本名 藤井郁弥 チェッカーズのメインボーカル、1992年に解散後はソロボーカリストに転身。 ソロとしてもTrueLoveや女神~エロス~、タイムマシーン、AnotherOrionなどのヒット曲を持っています。 楽曲提供者としても、猿岩石に『白い雲のように』を提供しています。 また、福岡市の臓器提供カードのデザインなどミュージシャン以外の活動も活発です。 また、息子はフジテレビのアナウンサー藤井弘輝でもあります。 また、チェッカーズ在籍時ではありますがとんねるずとコントをしていた時代もあります。 今年9月よりソロツアーもスタートさせます。 以下より引用 2018. また兄である藤井フミヤとF-BLOODも結成しておりそちらの活動も行っています。 サックスプレイヤーなのでインストアルバムなのかと思いきや自らボーカルを取って歌唱も行っています。 ギター 武内亨 現在はソロミュージシャンとして活動しています。 Twitterを覗くと色々なところに出掛けているようです。 サイドボーカル 高杢禎彦 解散後はバラエティー番組の司会を熟すなどタレント活動をしていましたが、2003年にチェッカーズの内幕をばらした暴露本をリリース。 その本にはチェッカーズがオリジナルメンバーで楽曲を制作している理由等余り触れてはいけない部分に触れたもので、その当時亡くなったメンバーの一人クロベエの葬儀の席でメンバーとは違う別席座らされるなどの仕打ちを受けました。 サイドボーカル 鶴久政治 チェッカーズ解散後は、タレントやソロボーカリストに転身。 最近はチェッカーズの頃の逸話を語ることが主な仕事になっています。 また、当時の印税が相当凄い話などをしているので現在の活動がいまいち不透明です。 ベース 大土井裕二 今も音楽活動を続けており、ソロライブを各地で開催しています。 ここまではメンバーについて掘り下げてきましたが、解散理由と不仲説について書いて行きます。 解散理由はフミヤがチェッカーズを脱退したいとリーダーの武内亨に相談し、その後解散へと動いていったようです。 また、高杢とフミヤの仲は不仲であろうと推察できます。 その理由は暴露本のリリースによるもので、で恐らくそれでメンバー間でも誰がどっち側だみたいな感じで亀裂が入っていると思います。 まとめ チェッカーズはもう戻ってきませんが、当時は本当に売れておりジャニーズのアイドルよりも売れていた可能性もあります。 今後どうなっていくのか楽しみです。

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チェッカーズの現在。メンバーは何してる?解散理由と不仲の原因をまとめてみました。

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別れの春を象徴するチェッカーズのセツナソング 春、特に今の時期のヒットソングと言うと、どうしても卒業ソングがイチバンに来てしまいます。 春は旅立ちの季節… と同時に別れの季節ということを反映してという事でしょうか。 前作「NANA」に続く自分たちの手による作品 前年1986年6月の「Song for U. 」までは、シングルと言ったら売野雅勇、芹澤廣明っていう、ブレーンソングライターの曲が続いていたチェッカーズだが、その前曲「NANA」からは、シングルも自ら作詞作曲を始める。 この曲は「NANA」に続いての自分たちの手による作品。 「NANA」以前は、ブレーンのソングライターによって、バンドの性格自体作られていたという部分も否めなかったんですよね。 ごく初期は、アイドルバンドとして、そして85年頃からは GS の再来的ニオイが強いバンドに… って具合に。 いずれにしろお仕着せ的なところ感は強かったし、デビュー5年目ということで迎えようというときに、そういうお仕着せなところにもが窮屈になってきた部分も強かったのでは… と思う。 広がるチェッカーズの世界観。 これ以降、別れの曲が増えた? その辺りが端的に出てきたのが、この「I Love you, SAYANARA」ではなかったかなぁ。 というものの、歌詞が問題になり NHK では放送禁止になっちゃいましたが… でも、「これぞ、自作だ!どうだ!」っていう彼らの自信が見えたのは、この曲からだと思いますね。 だからかなぁ、ラフな音の中にも、感情が入っていた気がする、フミヤのボーカルにも。 これで味をしめたというわけでもないだろうけど、この曲以降、別れの曲が増えた印象があるチェッカーズだったりする。 たとえば、88年の「Jim&Janeの伝説」とか。 加えて同じく87年の「Blue Rain」や89年の「Room」などのブラックで重いマイナー系の曲も増えた印象が強いなぁ。 でも、そういう曲調の幅が広がったという面も含め、個人的には自作になってからのチェッカーズのほうが好きな曲が多いですね。 もっとも「NANA」の時は、初めての自作という事もあってあまりチャートにはこだわらなかったかもしれない。 それでも結果はオリコン最高2位。 同じ1987年3月16日付初登場には、少年隊「Stripe blue」がいた。 「I Love You, SAYONARA」の3月5日リリースに対して、「Stripe blue」のリリースは3月3日。 「Stripe blue」の初動売り上げ9. 9万枚に対して、「I Love You, SAYONARA」の初動売り上げは9. 6万枚。 リリース日2日のずれの差がそのままチャート初登場の順位の差になった… と言っても過言ではなかろう。 悶々と過ごした青春の日々… 心に刺さったフミヤのボーカル 自作になった以降のチェッカーズの曲が好きだったという理由に、あの当時の個人的な人生的な背景もあるな。 当時17歳。 当時はと言えば、相変わらず音楽三昧の日々ではあったものの、大学受験への不安が日に日に強くなってくる。 今のこの状況から抜け出したい。 そんなことばかり考えていたような中で刺さった1曲。 今聴くと、あのころの悶々とした日々の記憶が鮮明に甦ってくる… そんな1曲なんだよなよね、ワタシにとっては。 今から33年前の春。 青春は遠くになりけり… だなぁ。 そして、オリジナルメンバーでは永遠に聴けなくなったチェッカーズの曲が、妙に遠い時代の曲のようにも思えたりする今日この頃… ですね。

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チェッカーズ NANA 歌詞

チェッカーズ nana

第1回はオリンピックの女子マラソン金メダリスト野口みずきさんにもご来場いただき、大盛況で幕を閉じることができました。 そして、第2回目の開催が決定したわけですが、このイベントの発端は何と言っても、僕が十代の頃に恋焦がれたバンド、端的に言ってしまうと、バトル・ロッカーズ、ザ・ロッカーズ、ザ・ルースターズ、ザ・モッズの音を爆音で聴きたいというシンプルな気持ちに他なりません。 また、東京出身の僕が抱く、彼らのサウンドが培われた博多という街への郷愁のような思いもあります。 博多のバンドは、メインストリームに媚びを売ることなく、独自のアンテナでキャッチしたブリティッシュビート、グラムロック、パンクロックといったサウンドへの憧憬をそのまま自らの音で具現化しています。 さらに博多から程なく離れた街、久留米でも博多のミュージシャンと同じように、独自のアンテナでキャッチした音楽に忠実な不良少年たちがムーブメントになりつつありました。 しかし、博多と違うところは、彼らが古き良きアメリカに夢中になっていたということです。 つまり、女のコをナンパしたり、ダンスパーティに出かけるための服を身に纏ったりしながら、映画『アメリカン・グラフィティ』さながらの毎日を送っていた若者たちが多数見かけられたと言います。 そんな不良少年の中からザ・チェッカーズという国民的バンドが生まれました。 チェッカーズのメンバーがキャロル、クールスをリスペクトしていたというのは有名な話です。 ここに僕は博多のバンドと同じような揺るぎなきプライドが垣間見られ博多の先人たちと同じような匂いを感じてしまうのです。 しかし、博多のバンドとチェッカーズの大きな違いは、デビューにあたり自らのアイデンティティであったリーゼントの髪をおろし、アイドル的要素を盛り込みながらトップアーティストとしての階段を登っていったことです。 ルックス的には大衆に迎合していった彼らですが、サウンド面では自らのルーツを捨てることなく作品をアピールしていきました。 キャロル、クールスの奏でた青春の世界を十二分に理解し、楽曲に反映した作詞・売野雅勇、作曲・芹沢廣明のコンビがマイナー調の泣きのメロディを主軸に刹那の世界を描くという極めてドメスティックな楽曲で確固たる世界観を確立させました。 極めてドメスティックでありながらも、彼らの存在がポップで垢抜けた印象を持つのは、時代を先取りした髪型やファッションだけで成し得たものではなかったはずです。 温故知新とも言うべき独自の視点で掘り下げた彼らのルーツがあったからこそ、髪型もファッションもスタイルとして定着し、アイドルという価値観だけではなく、モードとして、そしてポップカルチャーとして比類なき存在感を放ち、今も語り継がれているのです。 そして、チェッカーズが86年10月15日にドロップしたシングル「NANA」で自らソングライティングを手掛けるようになると、彼らは大先輩である博多のビートグループに寄り添ってきます。 「NANA」が収録され、全編メンバーの手掛けた楽曲で彩られたアルバム『GO』はブリティッシュビートの匂いをふんだんに散りばめた硬派な仕上がりになっています。 オープニングを飾る「REVOLUTION 2007」ではザ・モッズの森山達也氏がブルースハープで参加。 彼らが博多ビートにグッと寄り添った瞬間でした。 『GO』以降のチェッカーズはブルー・アイド・ソウルを下敷きにしつつ、ザ・クラッシュの歴史的名盤『ロンドン・コーリング』に大きな影響を受けたと思われるポップでクリアーでありながらも当時のメンバーの音楽的背景を中和させたオリジナリティを保ち続けました。 それが顕著に表れていたのが、デビュー当時はベースを指弾きしていた大土井裕二氏。 彼がザ・クラッシュのポール・シムノンさながらにベースを低く構え、ダウンピッキングでグルーヴのあるベースラインを奏でていたことなどに見ることができます。 ザ・モッズも大きな影響を受けたザ・クラッシュのサウンドを、チェッカーズがどのように消化していったのかを紐解いていくのも面白いかもしれません。 2019.

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