昭和 同人道。 国内における難民の受け入れ|外務省

【関門トンネル人道】アクセス・営業時間・料金情報

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なので、破滅の前に同人を始めることにした。 ・忘れもしない3/21 初のイベントに挑戦。 あいにくの雨、しかもゲームショウが重なり、客足は鈍鈍。 いっこも売れなかった(泣)。 ソフト一種、見本もなしでは誰も買わんか……と気付いたのは、5月のパソケット前 であった。 ・5/5 GWのパソケで、CG集2を出す。 交通費と参加費と原価をなんとか回収した。 でも他のサークルの買ってきたから赤。 ばぶぅ。 ここからサポート用のサイトを立ち上げる。 表サイトの裏ページという形で設立。 完全に独立させる。 なんか楽しい。 ・6月某日 月末のサンクリに当たったが……いかん! ちっとも進んでない! とりあえずお題はベターマンで決まりだったのだが、どーゆー方向で進めるべきか、6月に入っても一向に決まらない。 ラフを描く。 どんどん描く。 やがて、ラフが一番多く出たヒノキでいくことに。 使わなかったのは次にやるとしよう。 ・6/27 サンクリ当日。 ……不覚! いやもう、誰かと組んでたら切腹よ。 寝過ごす。 起きたら始まっている。 徹夜だったので、2時間ほど仮眠を取ろうなどと思ったのがいけなかった。 結局、到着は12時過ぎ。 なんと、チェックしていたらしい人物現る。 「準備中ですんでちょっと待ってください」と言ったら、また後で来る、と他へ行ってしまった。 あーなんてこったい。 結局、最初2時間というゴールデンタイムを逃し、ショックのパーで終わる。 一応、少しは出たのだが、参加費をペイするにも至らなかった。 やはり遅刻はダメだ。 ・7月 毎日がドキドキもんである。 いや、予言を信じている訳ではないが、時として集団がそれを信じた場合、ちょっとしたことで一方向へみんな行動してしまう場合がある。 つまり集団ヒステリーね。 そうなった場合、日本は下手すると結構なパニックに陥る可能性があるのだ。 海外ではこんな予言はまるで信じられてなくて、落ち着いたものであるし、アメリカではシェルターなどが結構準備されているので、もし何かあってもどうということはない、と思っているらしい。 さすが終末の備えが世界一行き届いた国よ。 とかなんとか思っているうちに、一気に7月は過ぎていく。 だんだんテレビも「ノストラ特集」が多くなる。 研究家は稼ぎ時と大忙しだ。 ま、あんな予言の和訳なんて、論理的に考えれば嘘だらけなんだけどね。 ・8/13〜15 コミケである。 でも落ちた。 はぐう。 仕方なく、友人のところに寄生して、コピー本を出す。 今はサイトで公開している「現代魔法概論」である。 現在、人体のエネルギー理論にちょっと新しい発見があり、これと多少差異が生じたので、書き直さねばならんと思っている。 でも「創作少年」であったので、客足はそんなに多くはない。 結局、知り合いに売りつけただけに近かった。 しかし、創作少年と言いつつ、男性向創作と内容の変わらぬサークルが多いのはいかがなものか、と「怪獣ロボット漫画(エロなし)」を潔しとする我が友は嘆いておった。 言いたいことは重々承知しているが、人間、目の前の金と本能刺激物体には弱いのだ。 それも学習しよう。 ・9/23 サンクリ5。 同人ソフトで出る。 前回は大遅刻であったが、今回はそうは参らぬぞうははは。 前作のラフを混ぜて「A-minor」を出す。 パソケ前に完成したので、三日後は楽だ。 しかし、ここらでそろそろ気がつく。 サンクリって、どうもソフトってやつはあんまり見回り対象になってないような気が。 そういえば、ソフト回りって、最初どっと人が集まることってないよな。 どっちかっつーと、間断なくまばらにやってくる、というとこ。 もしかしたら、俺が気付いてなかっただけで、他も同じようなものなのでは……と、レヴォやコミケには同人ソフトですでに申し込んでいたことに思い至る。 しかし、それらは今更変更も利かない。 そうではないことを祈ろう。 ・9/26 パソケ26。 サンクリに続き、今月は連チャン。 三日前のサンクリの上がりが「今いつつ」ぐらいだったので、ちとこっちは気合入れて……と思ったが、何やらサークル数も少ないような。 おまけに客は全部本の方が目当てらしく、そっちに固まってしまう。 三日前といい、つくづく本とソフトの「手に取り易さ」の差を感じる。 いや、コミケ後のパソケはだいたいこんなもんだったな……仕方ないのか。 しかし今日は、隣であった赤爆氏との出会いがあった。 売りモノを交換。 色々話が弾んだが、帰り際だったのであんまり長話にはならなかった。 ・10月初頭 サンクリのときにもらったチラシに、さくらインターネット(ここ)のが。 レンタルスペースのみ、100M、CGIもOK。 しばし考えて買い。 下旬までちまちま手を加えたりあちこち登録したりトップページのイラスト描いたりして、なかなか正式公開に辿り着けなかった。 ついでに昔のCGを引っ張り出す。 ううーむ、公開できないようなのもあるからなあ……とりあえず、よさげなのだけ公開。 ・11/3 コミックレヴォリューションである。 俺的には、コミケと並ぶイベントである。 新作「麗泉学園文化祭」を出す。 ついでに全部まとめたMO版を出してみる。 ……悪い予感が的中。 開場当初から1時間、ほとんど人は来ない。 ここに至り、「やはり本でないとダメかも」思想が生まれる。 1時間を経過する頃から、多少客が現れる。 MO版が思いのほか出る。 周囲もCDが増えているのだ。 バックアップ用にも欲しいのだが、現状金がない。 来年に向けて同人誌を創り始める、ということで。 本来ソフトは同人誌を出すための足がかり、イベント慣れのため、と考えて始めたものである。 また、個人で始めるには、ソフトの方が自分で一貫生産でき、都合がいいのである。 そりゃまあ、少しは売れたらよかちんちん、などと甘い考えを抱いていたのは確かであるが、今でさえ上を向いたら遠く離れて地球に一人、萌える待ちにあと僅か状態なので、ソフトは足が出なければよし、と思うようになる。 ここまでやったんだから、止める気はないし。 最初はコピー本である。 何しろ、どこの印刷所がどーゆー風にいいとかどーとかという情報がまるでない。 少しずつ、そこらへんを収集しつつ、まずはコピーで進める。 しかし、ブランクというのは恐い。 *年前にはそこそこ使えていたはずのペンが、レベルダウンしているではないか。 ランスのスタート時の「ぐえ」がよく解る。 しかしここで立ち止まっていてはどうしようもない。 再出発だ。 幸いにも、エンピツ画だけは続けていたので、ペンレベルのダウンをデッサンで補う。 補えるのか? 何しろ、年末には初めてコミケに出るのだ。 何とかそれまでにどーにかこーにかしておかねばならん。 ・12/12 コミケ前に、ちと完成を見たコピー誌を出す為、初めての系統のイベントに出る。 ユウユウ主催のイベント「ウインタープレゼントコミケ」。 1000sp前後の規模はあるが、カタログを見て唸る。 どうやらここは、健全系主流のイベントのようだ。 18kの一群は、隅っこの島一つ、20spもない。 ましてや同人ソフトなど、花も虹も風もない、涙も頬を流れないようである。 仕方なく、コミケ用の部材を買って帰る。 この時の思い付きが、後のコピー誌企画の原形となる。 ・12/24 待ちに待ったコミケでR。 しかし三日開催、しかも初日(平日)。 ミレニアムなんて嫌いだ。 時代はVooDooかRivaだよ。 後で、年末にビッグサイトでやるはずだったミレニアムイベントが中止になったというのを聞いて、思わずふんがーと叫ぶ。 こやつらのせいで三日になったと言うのに! がっでむ。 まあ、さすがにコミケの規模はデカい。 最初から人が多い。 途中、赤爆氏のところへ挨拶に出向く。 今日は他に知り合いは出展していないので、一回りして戻る。 すると、前にいた会社の後輩がやってきた。 声をかける間もなく、急いで通り過ぎてしまう。 目的は他にあるようだ。 単純に人数は100倍ぐらいいるのだが、売れ行きはパソケの倍ぐらいか。 いや、単純に人数比で増えるわけではない。 選択肢も多いのだから、それはそれでよしとすべきであろう。 が、隣がバカバカ売れていくのが羨ましくもあり腹立たしくもある。 ここらになると、チェックして来てくれた人も数人現れる。 全国の同人野郎が全員集合するコミケだからな。 とはいえ、こーゆー人たちの声が活力になるのは確かである。

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イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法

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飢餓地獄の歴史 昭和恐慌とあいつぐ凶作で被害を受けた村の実態を「凶作地帯をゆく」(昭和9(1934)年10月26日付け秋田魁新聞)と題する現地レポートには次のように記されている。 「秋晴れの鳥海は清らかな山姿を、紺碧の空にクッキリ浮かせている。 しかし、山裾にある町村は、 未曾有の凶作に悩み、 木の実・草の根、 人間の食べられるものは 全部刈り取り掘り尽くし、 米の一粒だに咽喉を通すことのできぬ 飢餓地獄にのたうつ惨状、 秋田県由利郡直根村百宅部落 のごときは、空飛ぶ鳥類さえ 斃死したかと思われ、 400名の部落民からは生色がほとんど奪われ、 天に号泣し地に哀訴の術も空しく飢え迫る日を待つのみの状態である。 同部落は戸数100戸、作付け反別80町歩、これは冷害のためほとんど全滅だ。 同分教場には90名の児童を収容しているが、欠食児童は3割に当たる30名、 欠席者は非常に多く、1日平均20名、また早引きするものもかなり多い。 これは家人の働きに出た後の留守居や、 でなければ山に入って栗・トチ・山ぶどうなどの木の実、 山ゆり・山ごぼう・フキなどの草の根・木の葉を集めるために欠席する。 糧食なくして何の教育ぞやの感を深くさせられる。 垢に汚れたヨレヨレのボロ着にまとった赤児をおんぶして、 授業を受ける児童の多いこと、 一人泣き出せば又一人、 背の赤児はまだしも自分でもママ末に負えなくなって泣き叫ぶ子守りもいる。 こうした名目ばかりの義務教育を終えて、 やっと15,6になると、 雀の涙ほどの前借金で丁稚とか 酌婦に売り出される。 生まれ落ちて布団もろくろくないワラの中に育ち、 食うや食わずにやっと6年を終えたら、 知らぬ他国に涙の生活、 彼ら山間奥地の住民は、 永劫に光を持たぬ運命を約束されてきた。 」 売られゆく娘たち 凶作が決定的となった昭和9年、県保安課がまとめた娘の身売りの実態によると 「父母を兄弟を飢餓線より救うべく、悲しい犠牲となって他国に嫁ぐ悲しき彼女たち」の数は、 1万1,182人、前年の4,417人に比べて実に2. 7倍にも増加している。 身売り娘が多かったのは、 秋田の米どころと言われる雄勝・平鹿・仙北三郡であった。 娘の身売りは人道上のこととして、大きな社会的関心を呼び、 これを防止しようと身売り防止のポスターを作って広く呼びかけた。 しかし、小作農民の貧しさの根本的解決がない限り、 娘の身売りの根絶は困難であった。 昭和の初め頃は、ひどい不景気が続き、都市では会社や銀行が倒産し、失業者に食料の配給が行われた。 農村では農産物価格が下がったうえに凶作に見舞われ、飢餓地獄と言われた。 写真は落穂や刈穂についたわずかなモミを集める小学生たち。 また村から男たちが出て行く。 顔で笑って、心で泣いて(鷹巣駅前) 昭和20年3月21日、本土南方海上で戦死した本荘市出身植村正次郎(26歳)さんが、妻にあてた遺言の一部 「今まで苦労かけた。 俺ばかり我がままして、お前には楽させることなく、何処へも連れて行かず、何時も何時も貧乏ばかり、良くやってくれた感謝す。 この度は生還できないと思うが芳行を頼む。 暴れん坊だけどそれだけ頼りにもなる。 義姉さんと仲良く相談してうまくやってくれ。 俺の気持ちはお前が良く知っていることと思う。 見たら焼け。 口で云えば涙が出る」 右の写真は、土木作業をする食糧増産隊(昭和19年) 左:地方へ集団疎開。 右:配給制になった食料を求めて並ぶ人々。 当時国民学校6年生だった女性の疎開の思い出「一年生も親元をはなれて」には、次のように記されている。 「暗やみのなかからすすりなく声がもれてきます。 やみに慣れた目を声のする方向へそそぐと、かすかにふとんが動いています。 かんだ全身で泣いているのです。 両親とはなれたこと、あまりにも遠すぎること、孤独な日々を、日中みなに涙を見せることをがまんしていたのが、せきを切って流れ出したのです。 さびしくとも、悲しくとも、苦しくとも、「がんばりましょう」の時代ですから、幼い生徒まで気を使い、おおやけに人前で涙を見せることができなかったのです。 疎開は、少年少女たちの戦場だったと思います」 戦後、戦災孤児…戦争で親や兄弟を失ったたくさんの戦災孤児は、新聞を売ったりたばこを売ったりして働き、その日その日を過ごした。 戦争終結によって、復員兵、戦災者の帰村、海外移民の引き揚げがあいつぎ、人口が増加し、深刻な食糧危機に見舞われた。 都市の人々は、満員電車に乗って農村に買出しに出かけたりした。 昭和22(1947)年、学校給食は、みそ汁だけだったが、それでも嬉しそうに喜ぶ子供たち。 何とか食料不足を解消させたい。 その思いが、戦後の食料増産運動の大きな原動力となった。 昭和21(1946)年5月19日、食料不足の危機を解決してほしいと、25万人もの人々が皇居前に集まった。 土地改良事業と食料増産は、国民的な課題を背負って、新たなスタートを切ったのである。

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関門トンネル人道下関側 巌流島の決闘 関門海峡を行く

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・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。 プロフィールに情報。 ・ ・ {・・百姓の次男・栗山正博}・ 、達、軍部、が、・人難民や中国人飢餓民を助けたのは「八紘」の精神・の志からである。 ・ ・ ・ 戦前の日本は如何なるをしても、世界で認められず報われないどころか、国際世論や各国のメディア・報道機関から非難囂々の罵声を浴び、諸外国によって窮地に追いやられ、そして必ず負けると分かっている絶望的戦争に追い込まれるという悲惨な運命を強いられた。 ・ ・ ・ 戦前の日本は、国際社会から一等国として認められ信用と信頼を勝ち取りたいという一心から、如何なる国よりもを厳格に遵守し、そしての名誉とと自国民の生命財産を守るべく行動していた。 ・ ・ ・ 世界は、日本の敵であった。 日本と日本国には、助けてくれる友好国も、支援してくれる同盟国もない。 日本軍は、世界を敵に回し、孤独に、一ヵ国のみで戦争をしていた。 ・ ・ ・ 世界を動かしているのは、西洋文明が創りだした宗教的人種差別主義であり、日本を追い詰めていたのは黄禍論を根拠とする日本人排斥であった。 ・ ・ ・ 中華文明圏(中国や朝鮮)における日本排斥は、によるのであった。 とは、中国は上位・中央・中心核であり、朝鮮は中位・中間・中で、日本は下位・地方・外れであった。 中国や朝鮮における意識はここから生まれている為に、日本が中国や朝鮮と対等関係にあると信じる・考えるを捨てない限り消えない。 つまり、意識は、人の感情ではなく正義をうち立てるである。 日本には、中国のや朝鮮の・事大主義はない。 日本には、哲学や思想はあっても、主義主張のは生まれなかった。 ・ ・ ・ の御稜威・大御心・御聖慮。 皇室の国際・運動。 ~No. 2No. 3No. 4No. 5・ @ ・ ・ ・ 日本の中国ヘの救援・支援。 中国は西原借款の善意を踏み倒した。 〜No. 6No. 7No. 8No. 9・ ・ ・ ・。 ~No. 10No. 11No. 12No. 13・ ・ ・ ・。 世界ゼロ次世界大戦。 ~No. 14No. 15No. 16No. ~No. 18No. 19No. 20No. ~No. 18No. 19No. 20No. 21 朝鮮、 、 、 台湾、。 ・ ・ ・ 2020年6月27日号 「 の講座 名著、再び 会に蘇った、『コロナ禍』の背景にある『黄禍論』の正体を知れ …… 池上氏は、このようなアジア人に対する差別を過去、欧米で深刻だった『黄禍論』とのアナロ(類比)で解釈する。 〈これで私が思い出したのが、『黄禍論』というに対する人種差別です。 19世紀から20世紀にかけて、欧米で中国人や日本人などのに対する差別が燃え盛りました。 やでの日本の勝利を見た白人たちが、『の脅威』を訴え、差別が広がったのです。 パニックでまた黄禍論が復活したような格好です。 〉(1904~05年)のときにロシアが日本の脅威を訴えるために『黄禍論』を宣伝した。 その影響はにも及んだ。 後、日本が急速に国力をつけるとカで急速に『黄禍論』が拡大し、日系カ人が不当な差別を受けた。 コロナ禍との文脈での白人至上主義者が『黄禍論』を蘇らせたのだ。 」 ・ ・ ・ シベリア出兵。 ~No. 22No. 23No. 24No. ~No. 26No. 27No. 28No. ~No. 30No. 31No. 32No. ~No. 34No. 35No. 36No. 37・ ・ ・ ・。 ~No. 38No. 39No. 40No. ドイツ兵士の坂東俘虜収容所。 丸亀・松山・久留米。 ~No. 42No. 43No. 44No. 日本欧州派遣艦隊は地中海の守護神である。 ~No. 46No. 47No. 48No. 49・ ・ ・ ・ 日本軍の敵軍捕虜に対する扱い。 ~No. 50No. 51No. 52No. 53No. 54No. 55・ @ ・ ・ ・ 日本人の。 ~No. 56No. 57No. 58No. 59No. 60No. 61・ @ ・ ・ ・ 小灘利春「特攻は愛するものを守りたいとの強い思いから生まれたのです」 ・ ・ ・ 日本の農業技術が中国の食糧不足を救った。 1935年。 〜No. 62No. 63No. 64No. 65No. 66No. 67・ ・ ・ ・。 溺死100万人以上。 日本軍は中国人10万人以上を助けた。 1938年〜No. 68No. 69No. 70No. 日本軍は戦争をしながら飢餓民約1,000万人を助けた。 日本軍の敵兵虐殺事件。 1940年No. 72No. 73No. 74No. 泰緬鉄道。 日本軍兵士の餓死・病死。 1944年〜No. 76No. 77No. 78No. 79・ ・ ・ ・ 防疫部隊が中国人を救った。 〜No. 80No. 81No. 82No. 83・ ・ ・ ・ の非人道行為。 〜No. 84No. 85No. 86No. 87・ ・ ・ ・ の日本に対する宗教侵略。 〜No. 88No. 89No. 90No. 91No. 92No. 93・ ・ ・ ・ と民族との違い。 は、南方系海洋の民を原初とするの子孫であり、発想・思考は空気を読む遠洋航海用の手漕ぎ舟であった。 民族は、が自らお姿に似せて土や芥から創りだした大陸系砂漠の民の子孫で、発想・思考はダやロバ・羊を伴って移動する我を押し通す牧歌的隊商・キャラバンであった。 2020年7月号 WiLL「清潔を好む日本人だからこそ死亡者数が少ない エリ・コーヘン …… 日本の現状について批判もあるが、私は『日本型』の素晴らしい対応をしていると思う。 官邸と東京や大阪などの大都会の知事、或いは地方の過疎地域の知事の対応策が異なり対立が生じるのは、ごく通常のことだ。 などは『狩猟民族型』で、逃げる獲物をいくつもの作戦や罠で捕獲するのに強い、作戦を瞬時に実行しなければ、獲物は逃げていく。 『状況支配型』の戦略を実行するのに長(た)けている。 一方、日本は『農耕民族型』だ。 田んぼは逃げていかないので、ゆっくりと話し合って、長老の意見なども聞いて結論を取りまとめる。 状況を支配しようというよりは、状況を窺(うかが)いながら、それに合わせる『状況対応型』だ。 時に、そうした姿は『』や『場当たり的』にも見える。 欧米各国や独裁国と、日本の状況への対応の仕方には、確かに伝統文化の違いもある。 には、緊急事態条項がないので、国家が権力を行使して都市封鎖ができないという問題は、ここでは紙幅がないので立ち入らない。 」 ・ ・ ・ ・人。 軍国日本と・人難民達。 上海の系サッスーン財閥。 1932年〜No. 94No. 95No. 96No. 97No. 98・ ・ ・ ・ ・人。 1940年〜No. 99No. 100No. 101No. 102・ ・ ・ ・ カ・人。 人共同配給委員会。 イェドヴァブネ事件。 1940年〜No. ブルメンソール元財務長官。 〜No. 104No. 105No. 106・ ・ ・ ・ 日本租界内の上海ゲットー。 とはの人虐殺を阻止した。 1942年〜No. 107No. 108No. 109No. 110・ ・ ・ ・ 連合軍は人の救出より戦争の勝利を優先した。 友の会と国際稀金融資本。 1942年〜No. 111No. 112No. 113No. 114・ ・ ・ ・ の陰謀。 〜No. 115No. 116No. 117No. 118・ ・ ・ ・ 人道貢献を人々の悲惨な末路。 2016年〜No. 119No. 120No. 121No. 122・ ・ ・ ・ 人を助けた諸外国の外交官。 中立国の強力な軍隊と武器輸出産業。 〜No. 123No. 124No. 125No. 126・ ・ ・ ・ の親派弾圧。 〜No. 127No. 128No. 129No. 130・ ・ ・ ・ カの宗教的人種差別。 〜No. 131No. 132No. 133No. 〜No. 135No. 136No. 137No. 138・ ・ ・ ・ 日本の中国支援・ODA。 〜No. 143No. 144No. 145No. 〜No. 147No. 148No. 149No. 150 終わり。 ・ ・ ・ 、、、フィリピン、。 マレーシア、インド、。 ・ ・ ・ 日本人であれば、無条件で、皇后両陛下、皇室に対して涙を流しながら「万歳」を三唱する。 ・ ・ ・ 歴代は、戦争被災者、戦争捕虜、敵軍兵士捕虜の保護・治療・看護を求めていた。 ・ ・ ・ いい日本人が2割、悪い日本人が3割、いい事もしなければ悪い事もしない無関心・無興味の日本人が5割。 ・ ・ ・ 日本には、祈り拝み崇拝する醒めた宗教はあったが、恩寵や奇跡を信じ命を捨ててまで守る信仰の宗教はなかった。 ・ ・ ・ 日本には、哲学や思想はあっても主義主張のはなかった。 ・ ・ ・ 現代の日本人と昔の日本人とは別人的な日本人である。 人道貢献や平和貢献など世界貢献をしたのは、昔の日本人であって現代の日本人ではない。 や達を否定する反的日本人には、自慢できる自己犠牲的な世界貢献はない。 ・ ・ ・ 日本や諸外国のは、軍国日本が行った人道貢献や平和貢献を認めず、歴史の闇に葬り、自己犠牲で行動した勇気ある日本人を者・・者そして者として人としての人権や人格を完全否定し廃棄している。 その象徴が、問題である。 を否定・批判する人には、歴史的な人道貢献や平和貢献は無関係である。 ・ ・ ・ 日本軍はの下で、歴史的な平和貢献や人道貢献を行われていた。 ・ ・ ・ 日本には、による「菊の御威光」、による「政治権力」、死生を司る「宗教権威」のが別個の存在し、が三竦(すく)みとして均衡を保ち、国家と社会そして日常生活に安定・安全・安心をもたらしていた。 ・ ・ ・ の人道貢献は、神話に基づく八紘、皇道、御稜威、大御心での行為であって、普遍宗教の奉仕の精神・ボランティアや哲学・思想・主義主張の倫理ではなかった。 「見捨てられない」という、理屈抜き、金銭度外視、損得抜き、利害抜きの、已むに已まれず行う行為である。 つまり「」ある。 日本は、ローカルであってグローバルではない。 つまり、日本は地方であり田舎であり辺境であり、世界の果て、大地のヘリ、キワ、終わる所、陸と海の渚である。 ・ ・ ・ 日本が、気を許してはならない相手はであり、警戒すべきは中国軍()である。 日本人は、国内外の敵から・皇族・皇室を守らなければならない。 提供 にこやかに微笑まれる両陛下(写真・JMPA) 淡い若草色の生地に、白や橙、桃色の花が咲いた着物に身を包まれた(55才)。 5月のトランプ夫妻、6月の仏大統領夫妻を迎えられた時は、キャリアウーマンを彷彿とさせるスーツ姿だったので、7月1日、皇居・宮殿(東京・)にトルコの大統領夫妻を迎えられたの和装に、驚いた人も多いのではないだろうか。 「大統領は主義を大切にする立場です。 エミネ夫人は、いつも伝統のヘッドスカーフを被っています。 も、日本の伝統的な装いである着物を着られていました。 元外交官であり、中東情勢に明るいとされるらしい、おもてなしの工夫だったようにも感じられました」(官邸関係者) 5月、令和初のとしてトランプ夫妻を接遇された際、流暢な英語でコミュニケーションをとられた皇后両陛下のお姿は記憶に新しい。 海外メディアもこぞって、が名門米を優秀な成績で卒業され、外務省で活躍されたキャリアウーマンであったことを報じた。 それからというもの、「皇后両陛下に謁見したい」という各国首脳からの申し出が後を絶たないという。 実際、6月27日には大統領、7月1日には大統領、翌2日にはの皇太子と会見し、来春には中国のの接遇の調整が進んでいる。 元職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは次のように言う。 「昨今のグローバル社会において、皇室の国際親善はますます重要度を増しています。 だからこそ、諸外国との関係が政治的に複雑化する国際社会の中にあっても、各国首脳と個人対個人の友人関係が築きやすいのです。 各国首脳もそれがわかっているからこそ、両陛下との会見を望むのだと思います。 2017年、カに勤務する職員を、政府転覆の疑いでトルコ側が逮捕したことなどで、カとの関係が悪化。 また、に対する人権侵害問題を巡って、中国との関係も穏やかではない。 とはいえ、安倍首相など有力政治家と関係を強化すれば、そこに政治的な思惑や駆け引きが発生しかねない。 そこで、まずは日本の皇室との関係を深めることで、両国の距離を縮めたいという狙いがあるのではないでしょうか」(政治ジャーナリスト) 今回の会見では、陛下が2009年、皇太子時代にトルコを訪問されたことにも話が及び、大統領は「次はぜひ両陛下でトルコをご訪問いただきたい」と述べたという。 国際情勢には対立や紛争の火種が多いが、日本の皇室の国際親善には、それを穏やかにしたり、防いだりする力があるということだ。 「が外交官ご出身であり、各国情勢に通じられていることは世界的に話題になっているので、各国の首脳たちだけでなく日本政府としても国際親善の場でのご活躍に大きな期待を寄せています。 特に、トランプ夫妻の接遇が大成功して以来、各国からの多くの申し出を容認し始めているそうです。 の父・(ひさし)さんが、オランダ・ハーグのの裁判所長を務めたことのある、世界的に著名な外交官だということも大きいでしょう」(前出・政治ジャーナリスト) が国際的に活躍されることは、もちろん日本にとってもいい影響がある。 「が外国の元首夫妻に対して堂々と対応されるお姿に、誇らしく思っている国民は多いでしょう。 特に、令和の時代の働く日本人女性にとって、尊敬の対象であり、励まされるご存在になるのではないでしょうか。 国際親善で本領を発揮され、自信を積み重ねることで、国内のご公務やなどにも繋がっていくと思います」(前出・山下さん) 皇室の国際親善は、によって、新しいステージに入っているようだ。 中国人は日本人を虐殺し、はや皇族を惨殺しようとした。 ・ ・ ・ 日本は、普遍宗教のや人民の()を排除し、正統派中華を歪曲・改竄して受け入れた。 ・ ・ ・ 日本人は、無節操に乱婚を繰り返して生まれた混血の雑種民族である。 日本は、仏が神を従える仏教国である。 日本の、は正統な中華ではなく異端の日本であり、仏教は正統な大陸仏教ではなく異端の島仏教である。 ・ ・ ・ 日本人は、庶民(百姓や町人)であって武士・サムライではなかった。 よって、日本の風土には武士道は存在しない。 武士が庶民(百姓や町人)になり、庶民(百姓や町人)が大金を出して武士になった。 ・ ・ ・ 日本人、人、人の共通の祖先は、である。 の祖先は、南方系海洋民(釣り鉤文化)、流域民()、北方山野民(縫い針文化)、西方の草原の民()の混血である。 は、日本列島を中心に、南は沖縄、北は4島、千島列島、南部、西は南部に広く住み、小さな舟で・を主要航路として往来していた。 後に、流域にいた弥生系住民が、流域の漢族に攻められ、・南部を経て日本に逃げてきた。 日本には、中国大陸やでの政権闘争や戦争で敗れた敗者・弱者が難民として逃げて来た。 弥生系渡来人が増える事で、日本で弥生の大乱が起き殺し合いが繰り広げられた。 的宿命として、日本の平和、安定と発展は、は中国大陸やと縁を切る事でしか得られない。 ・ ・ ・ 南方系海洋民の「貝文化・貝殻文化」は、の移動によって、沖縄から日本列島に渡り、4島・千島列島や南部に広がっていった。 ・ ・ ・ 漢族系中国人やは、系海洋民の日本人・人・人とは違う別系統のアジア人である。 ・ ・ ・ 日本人は、弱者であり、ひ弱で、脆弱、気弱であり、勇ましくもないし、尚武の民ではなかった。 ・ ・ ・ 日本人は、敵に打ち勝った勝者・強者ではなく、敵に敗れて逃げ出した敗者・弱者である。 敗者・弱者であるがゆえに、辛抱・忍耐・我慢を口にし、根性やに頼り声高に叫ぶ。 ・ ・ ・ 熱烈な勤皇派・尊皇派・主義者は、下級武士、貧しい庶民(百姓や町人)、身分卑しい芸能の民(歌舞伎役者など)、賤民(非人・穢多・乞食など)、(山の民・川の民・海の民など)、や修験者などの異能の民・異形の民であった。 下層民こそ、不利を承知で・皇族に味方し、命を捨てても皇室を守った。 それが、を中心とした国體の真の姿、実態である。 それ故に、は祭祀王として庶民・万人の幸せと息災を祈るのである。 ・ ・ ・ 日本の庶民は、世界の人民・大衆・民衆とは違う。 ・ ・ ・ するから、ローカルな古き良き昔の日本が消え始めている。 それが、問題であり、問題であり、皇族のアイドル化と皇室の軽視である。 その傾向は、高学歴出身知的エリートに濃い。 その証拠が、政治家や官僚や学者の発言であり、新聞、雑誌、書籍、テレビ、ラジオ、インターネットなどでの報道である。 特に、一部のメディアによる皇室報道は悪意に満ちている。 ・ ・ ・ と、、、ら(の祭神)は、反派の人種差別主義者ではなく人種・民族の多様性を守り実践しようとした親派であった。 カ・などの連合軍=国連軍には、是が非でも、達をリンチ的縛り首で処刑し、を戦争責任とで縛りつける必要があった。 系人難民を助けた日本人の多くは、殺された。 神戸、大坂、横浜、東京そしての市民達は、浮浪者のようになって辿り着いた系人難民達を無償で助けたが、市民の多くは無差別縦断爆撃で生きたまま焼き殺された。 世界は、日本の人道貢献を認めなず、日本人を殺す事で答えた。 それは、人でも同様である。 ・ ・ ・ の主流派(多数派)は親派・反派で、親ドイツ派・親ナチ派・信奉者派は非主流派(少数派)である。 ・ ・ ・ 反的日本人、日本人、日本人、良心的日本人、平和市民団体などの日本人は、国際的派勢力と繋がっている。 それは、左翼・左派・ネットサハも右翼・右派・クも同様で、ある意味、同じ穴の狢である。 ・ ・ ・ 現代の日本史は、神話の物語の抹消であると同時に日本皇室史と史の否定である。 日本の歴史は、敗戦後の占領期における価値観の原罪史観と価値観の史観などによる史観、昭和55年以降の日本人極悪非道の凶悪犯史観によるで、悍ましい姿に変えられた。 つまり、神話史観、、は、、の元凶として完全否定され、教育はおろか生活からも追放された。 ・ ・ ・ 日本人は、祖先崇拝の観念が強く、命を捨てても、祖先が信じものを信じ、祖先が守ったものを守り、祖先が残したものを子孫に伝えた。 祖先あっての自分、それが家・家族・家庭を大事にする日本のである。 日本人は、普遍宗教の、全知全能のが土塊やゴミを集めて自分に似せて人を創ったとか、人は生まれながらにして原罪を背負った罪人であるとか、が理解できなかった。 ・ ・ ・ 日本には度はなかったが、日本人は奴隷として海外に売られていた。 日本人を奴隷として売ったのは、同じ日本人である。 奴隷を集めた方法は、・雑兵によるであった。 武士は、何をしでかすか分からない百姓の・雑兵を怖れ、庶民(百姓や町人)を信用していなかった。 庶民は、合戦があると、山の上など見晴らしの大場に陣取り酒を飲み弁当を食べて観戦し、戦いが終われば戦場に降りて金目の物を死体から奪っていた。 百姓は、落ち武者狩りを行っていた。 日本には、戦争捕虜、敵軍兵士捕虜などいなかった。 ・ ・ ・ 西洋文明から見れば、日本の国化と日本人の徒化は善意であり、その善意を踏みにじった日本と日本人は滅ぼすべき邪悪・悪魔であった。 中世会と白人徒商人は、非白人異教徒の日本人をアフリカ人同様に奴隷として売って金を稼いでいた。 は、徒日本人を奴隷にする事を禁じたが、異教徒日本人を奴隷にする事は黙認した。 敬虔な宣教師らは、奴隷として売られる哀れな日本人を救う為に洗礼を与えて改宗させ、日本を国にする為に布教活動を行った。 会は、宗教弾圧で処刑されたをと讃え、禁教やを弾圧した日本と日本人、そして異教徒の祭祀王であるを非難している。 の「隣人愛」とは、同士であってでない者は排除されていた。 ・ ・ ・ 系テロリストと日本人テロリストは、と皇族を殺すべくつけ狙っていた。 は、歴代の中で日本人や外国人から幾度も命を狙われていた。 ・ ・ ・ なぜ、日本軍は「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」を『戦陣訓』として兵士に強制したのか、それはやでの中国人兵士の捕虜に対する猟奇的虐殺、と、日本の合戦史における百姓による「落ち武者狩り」と・雑兵による「」である。 ・ ・ ・ 日本を軍事占領したカ、GHQは、を滞りなく進める為にと制度を残して利用したが、将来的に制度を廃絶し、・皇室を消滅させる為の方策を幾つも日本に仕掛けた。 それが、と改正であり、直宮以外の11宮家の剥奪、皇室財産の没収などであり、反的日本人の育成である。 これらの陰に、・・・日本人などの勢力がいた。 国連=は、反としてを採択した。 ・ ・ ・ 反的日本人は、制度打倒、追放、皇室廃絶の為に、歴代が行った人道貢献を無意味・無価値として否定し捨てた。 ・ ・ ・ は、と同様に、平和を望み、戦争を回避する為に外交的解決を求めていた。 ・ ・ ・ には、の男系の皇族が、男性・女性に関係なく即位した。 ・ ・ ・ の正統性は、政府や議会が民主主義的手法で議論して決定したでもなく法律でもない。 日本・日本・日本仏教によって、の正統は守られている。 の神聖な菊の権威とは、俗世俗欲に塗れた陰険な政治権力や悍ましい宗教権威ではない。 ・ ・ ・ ・皇室の血筋・血統は、日本のである女・の直系子孫である。 制度の皇統は、初代の直系子孫である。 ・ ・ ・ の正統性とは、初代からの即位番号の皇統ではなく、日本におけるである女・からの血筋・血統である。 それ故に、とは、特殊な血筋・血統による特別な家系のみが独占する。 ・ ・ ・ 皇統や血統・血筋の正統性は、が2000年以上にわたってによって信じ、守り、受け継いできた、伝統的な皇室神話・民族中話・神話によって証明されている。 それは、伝統であり、文化・芸能であり、宗教であり、風習・習慣であり、日本国語であった。 日本のを否定する事とは、民族所縁の全てを破壊し、を消滅・根絶やしにする事である。 ・ ・ ・ 日本人は、神の子孫ではなく、神によって創られた人間ではなく、神に愛された民族ではなく、自分の祖先を神として祀り崇める民族である。 日本人にとって大事なのは、神でもなく、自分でもなく、祖先であり、家族であった。 祖先あっての自分であって、自分あっての祖先ではない。 其処に、先祖代々の意味がある。 ・ ・ ・ 日本の建国精神は、人為的作為的な近代的や法律ではなく、からの自然発生的な神話である。 ・ ・ ・ 弥生の大乱を終わらせ争いのない平和な世を築く為に、諸王・諸豪族達は話し合いでを作り、まとめ役として・日本を置いた。 大王・を巡った権力闘争を起こさない為に、正統性の為に神話を創り、神話に連なる特殊な血筋・血統の家系に大王・を委託し、血の正統性を持たない他家はその位を望まない事をお互いに誓い合った。 ・日本とは、争いを起こさない為、争いがあっても早期にさせる為、争いによる犠牲者をできるだけ少なくする為、その為に創られた存在である。 ・日本の存在ゆえに、日本では中国や朝鮮の様な悍ましい虐殺は起きなかった。 それができるのは、ののみで・女系宮家では不可能である。 争いを治めたいと願った昔の日本人は、・女系宮家は争いの元になるとして認めなかったが、男系のは認めた。 ・ ・ ・ に求められた資質は、カリスマであってリーダーシップではなかった。 誰も、に政治・軍事・宗教など多方面での強力なリーダーシップを求めてはいなかったし、むしろない方が好ましいと信じていた。 それ故に、・皇族・皇室は政治・軍事・宗教などの表舞台から排除されていた。 は、無私無欲で、他利他愛である事が求められた。 ・ ・ ・ 日本人は、自分たちが欲得・金銭欲で動きやすい事を知っていた為に、政治・外交・司法から宗教に至るまでを自分が動かしても、その根本の大権はに預けていた。 それ故に、に軍事のも預けていた。 そして、全ての大権を持つは神聖不可侵で守られていた。 ・ ・ ・ 最終決定権者のとは、最終判断を委ねるという「下駄を預かる」的な下駄であり、虐殺者・独裁者・暴君を出さない為の「出る杭は叩かれる」的な蓋(ふた)である。 神社の、、お守り、護符、おみくじ、、縁起物などである。 ・ ・ ・ 日本は、血筋・血統から女・の子孫であっても、生き神様でもなく、現人神でもない。 日本は、神の末裔である事を認めたが、自分は神であると宣言した事はない。 ・ ・ ・ 祖先神・の人神崇拝とは、遺伝子・DNA、命・魂・霊魂、血・身体、心・精神、志・気概を祖先から受け継ぎ子孫に伝える事である。 日本における永遠の命とは、自分だけの命ではなく、家族における命である。 ・ ・ ・ 日本人には、死後、自分だけが天国・神の王国で永遠の命を与えられて永遠に生きると言う事が理解できなかった。 「自分だけが救われも祖先は救われない」という教えは、信じられないし、忌避すべきであった。 ・ ・ ・ が定めるとは、国内外に対する独立宣言、建国精神、国家方針である。 一世一元制におけるとは、されたの諡(おくりな)・諱(いみな)・(しごう)である。 睦仁(むつひと)=。 嘉仁(よしひと)=。 (ひろひと)=。 を否定するという事は、されたに死後贈られる諡・諱・を廃止する事である。 つまり、の尊号ではなく、即位する前の名で葬り、歴にの尊号を記載しないと言う事である。 ・ ・ ・ 日本が独立を宣言した相手は、である 日本が独自にを制定したのは、中華皇帝のとは違う時間軸で自立する事を宣言する為であった。 日本はに、統治理念と治世方針を祈願してし、発布した。 ・ ・ ・ nisikiyama2-14.

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