宮本 武蔵 死因。 宮本武蔵が使っていた刀とは?

CD版『宮本武蔵と「五輪書」全4巻』

宮本 武蔵 死因

歴史上の数ある文献の中にある宮本武蔵のプロフィールをまとめると、じつは宮本武蔵は実に体格に恵まれた大男だったことが記されています。 それが、彼の強さの理由の一つなのでしょうか?? 数ある情報をまとめてみますと、身長は6尺あったとも言われています。 1尺がおよそ30センチなので、その身長はおよそ180センチ!宮本武蔵が生存していた江戸時代初期のころの平均的な男性の身長は、160センチもなかったとされていますので、それと比べたら当時の人間より頭一つ以上抜きんでた身長だったことがわかります。 そのほかにも、視力が現代の基準でいう4.0くらいあったとか、体重も80キロほどで握力も異常に強かったなど、もはや伝説が独り歩きしたような情報もあるようです。 木刀でもって相手を撲殺できたのも、もしかしたらかれの鍛え上げられた肉体??があったからこそのものなのかもしれません。 そんな宮本武蔵ですが、「卑怯者」だったとされる諸説があるようです。 「巌流島の戦い」について広くイメージされていることは、宮本武蔵と佐々木小次郎が戦って宮本武蔵が勝利し、対する佐々木小次郎が戦いに敗れて死んだということだと思われます。 ところがとある諸説に、宮本武蔵は実際には島に渡る際に弟子数人を引き連れていき、自分との決闘で木刀の一撃にて気を失った佐々木小次郎は、気絶から目覚めたのち弟子たちのリンチにされそれが死因となったとの説もあります。 と、ここまで書くとまだ卑怯という印象は薄いですが、決闘の始まった際から、佐々木小次郎一人に対し宮本武蔵とその弟子たちの複数人で戦ったという説もあるようです。 これがもし本当だったら「巌流島の戦い」はとても公平な決戦とは言えず、宮本武蔵のとても卑怯な手腕による作戦勝ちだったともいえます。 まあ、生死をかけた戦いともなれば、卑怯も生き残るためなら立派な作戦となりえるのでしょうか・・・ 巌流島の戦いにおいて広く知られている話で、宮本武蔵が決闘においてわざと遅刻して向かった結果、その武蔵の遅刻によってイライラした佐々木小次郎がその精神の乱れによるすきを突かれて倒されたという話は有名です。 宮本武蔵の遅刻によって精神が不安定になった佐々木小次郎は、そのせいで刀が乱れてしまい、武蔵の木刀の前に敗れたとされています。 卑怯とまでは言わないのかもしれませんが、宮本武蔵の兵法化としての一面を垣間見る話ですね。 ですが、歴史の文献は本当はそうは語っておらず、本当は宮本武蔵は遅刻をしていないようです。 この遅刻をしたという逸話は先ほど紹介した吉川栄治作の「宮本武蔵」にある描写だそうで、これが世間一般に知れられて今に至るそうですが、この「宮本武蔵」のモデルとなった文献がなんと宮本武蔵の死後130年後に書かれたものなのだそうです。 これでは、「遅刻をした」という史実はちょっと信憑性に欠けますね。 弟子を引き連れて決戦の地へ向かった挙句、最後のトドメは弟子たちの集団リンチであったり、決戦の地にわざと遅刻をして向かったという逸話があったりとわりと卑怯な面が強調される宮本武蔵ですが、それは、宮本武蔵が兵法家としての一面があったからかもしれません。 兵法家といいますと、戦のような場でいかにして勝利をつかみ取るかを深く吟味し、戦術を練ることが使命です。 当然、負ければ自分の立場どころの問題ではなく、命さえ失ってしまうほど失敗は許されないものなのです。 それに関しては宮本武蔵はかの関ヶ原の戦いに身を投じたり、自身が29歳になるまでに数々の勝負を制してきたりと、常に命のやり取りの場に身を置いていたわけで、宮本武蔵の強者たるゆえんはその「生存力」だったとも思われます。 宮本武蔵は晩年、「五輪書」というものを書き上げました。 剣の道を究めた彼が残した書物は剣術に関してのものではなく兵法に関してのことや、その心構えの在り方ののような記述のほうが強調されているようです。 その中には、武士たるものは、カッコよく死ぬことが美学ではなく、泥臭くとも勝利のみをつかまなければならないといった内容の記述もあるようです。 だとしたら、彼が佐々木小次郎相手に弟子を引き連れ多人数で挑んだりしたのも、彼なりの信念に基づく戦い方だったのしれません。 ですが、命を奪われるかもしれない決戦の場にて、真剣ではなく木刀で挑んだのはどうも解せませんね・・・ ひょっとして刀を帯刀し忘れてしまい、やむを得ず木刀・・・なんてエピソードでもあったのでしょうか? 笑.

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宮本 武蔵 死因

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宮本武蔵が使っていた刀とは?

宮本 武蔵 死因

今回は世界にその名を轟かす剣豪、宮本武蔵の名言9選をご紹介したいと思います。 宮本武蔵といえば佐々木小次郎との巌流島での決闘や、二刀を用いる二天一流兵法の開祖であること、著書である「五輪書」などが有名であると思います。 さらにはドラマやゲーム、人気コミックにも題材として扱われ、日本国内での知名度と人気共に高いですよね。 そんな宮本武蔵なのですが、数多くの名言も残していることをご存知でしたでしょうか。 その言葉はまさに武士らしいものから思わず考えさせられるもの、さらには感動してしまうものまで様々です。 それではさっそく3つのカテゴリー別に宮本武蔵の名言をみていきましょう。 宮本武蔵の武士らしい名言 宮本武蔵/wikipediaより引用 まずは宮本武蔵の武士らしい名言からご紹介したいと思います。 当時は今と違って武士が当たり前にいた時代です。 だからこそ宮本武蔵のような剣豪が誕生したわけですが、そんな武士という世界を生き抜いたからこそ生まれたであろう名言をまずは見ていきましょう。 当時の情景や心情が垣間見えるかもしれません。 何れの道にも、別れを悲しまず。 出会いがあれば必ず別れもあるものです。 別れがあるのはもはや必然のことであり悲しむことではないと宮本武蔵は説いています。 今のようにインターネットもSNSもない時代です。 今以上にきっと人と人の出会いや別れには感傷的になってしまいがちかと思いますが、剣豪の宮本武蔵は達観しています。 人として生まれた以上、確かに別れは避けて通れないものなので、悲しむよりも前向きに考えたほうがいいのかもしれません。 なかなか全ての別れまで武蔵の境地に至るのは難しいかもしれませんが、卒業式や就職などで気持ちが揺れ動いてしまった際はこの言葉を思い出してみるといいかもしれませんよ。 心、常に、道を離れず。 剣の道一筋でその道を極めた宮本武蔵です。 常にこの信条で剣術にも取り組んでいたのでしょう。 どんな道であれその世界のプロフェッショナルになりたいのであれば、心がけていたい名言です。 自分を律して集中したい何かがある時や、自分の美学を貫きたい時なども心でこの言葉を唱えてみるといいでしょう。 武士が他と異なるのは、兵法の心得があるという一点においてだけだ。 名言の全文は「武士といえば、常に死ができている者と自惚れているようだが、そんなものは出家、女、百姓とて同様だ。 武士が他と異なるのは、兵法の心得があるという一点においてだけだ。 」になります。 当時を生きる人の心構えをうかがい知れる名言です。 現代だと毎日後悔がないように生きている方はいても、なかなか死の覚悟ができている人とは出会えない気がします。 きっと当時は現代よりも平均寿命も短かったですし、死というものが身近にあったのでしょう。 さらに武蔵は死の覚悟なんて当然で武士がなんたるかは兵法の心得があるかどうかだと言います。 それだけ剣術に磨きがかけられているんだという自信が伝わってきます。 宮本武蔵の考えさせられる名言 続いては宮本武蔵の考えさせられる名言のご紹介です。 時代は違っても物事の真理や真髄は変わりません。 宮本武蔵は現代にも通じる、ものの見方や考え方を剣術に打ち込む生活の中から見出しています。 是非、言葉の深い意味を考え今の生活や考え方を見直すヒントにしてみてはいかがでしょうか。 空を道とし、道を空とみる。 ここでいう「道」という言葉は、武士としての道を表しています。 さらに「空」とは心という意味で用いられているようです。 つまりは無欲、無心が事を成すといったことをこの名言は説いています。 これは誘惑や選択肢も多い現代だからこそ当てはまる場面も多くなっているのではないでしょうか。 欲求が強すぎると目の前にある成功や進むべき道も分からなくなってしまいます。 目の前が見えなくなっている人は一度この言葉を思い出して心の中を整理してみるといいでしょう。 神仏を敬い、神仏に頼らず。 武士の世界を生きた武蔵だからこそ思えた境地であろう名言です。 結局、頼れるのは日々日々磨いてきた剣術のある自分自身しかいないという言葉です。 他力にはせず、自分自身を信じて前に進もうと自分に言い聞かせている言葉のようにも感じます。 努力を積み重ねて、いざ本番に挑もうとしている人の背中を押してくれる言葉だと思います。 千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす。 宮本武蔵の記した「五輪書」に書かれた名言です。 「鍛錬」という言葉の語源にもなっているそうです。 「鍛」には千日なので約3年を必要とし、「錬」には万日なので約30年を要するとしています。 つまりは継続的な努力の大切さを説いた言葉になります。 途方も無い年月ですが、物事を極めるには、それだけの長い鍛錬が必要になってくると言えます。 何かを極めたい方は、たとえ躓いたとしても諦めずに是非継続した努力を大切にしてみてください。 宮本武蔵の感動する名言 最後は宮本武蔵の感動する名言のご紹介になります。 宮本武蔵の名言はどれもここに響くものばかりですが、特に心が揺れ動くような言葉を集めてみました。 名言からは当時の武蔵の心境が伝わってくるようで、自分もこんな言葉を思えるような人生を送りたいときっと思えるはずです。 それでは見ていきましょう。 身を捨てても名利は捨てず。 たとえ身を捨てることはあっても、名誉心だけは捨てないという言葉です。 それだけの心構えで当時を生きていたのだなと直に感じることができます。 大きな会社などに属しているとそうはいかないことも多いですが、心の底ではこのような気持ちを忘れずにいたいものです。 一理に達すれば万法に通ず。 なんでも一つの事を突き詰めて理解すれば、それは全ての事に通じるものがあるという言葉です。 それだけ一つのことを極めるというのは困難を極める、それこそ30年もの歳月がかかるかもしれませんが、その先に開ける境地は何もにも代えがたいものなのでしょう。 このような考えに辿り着けるように頑張っていきたいですね。 我事において、後悔せず。 これは常に全力で自分の人生を生きていなければ、なかなか言えない言葉だと思います。 宮本武蔵はいろんなことが起こる人生でも、決して後悔はしないといいます。 時には失敗したり、思い通りにいかないことの方が多いのが人生だと思います。 ですが、常に覚悟を持って生きていれば、どんな事が起ころうが後悔することはないのかもしれません。 今を大切に全力で生きていきましょう。 まとめ:武蔵の言葉から生き方を学ぼう 宮本武蔵/wikipediaより引用 さて今回は宮本武蔵の名言9選をご紹介いたしましたが、いかがでしたでしょうか。 どの言葉も武士という現代人とは異なる生き方をした武蔵の言葉でしたが、今にも通じるものがあるものばかりだったのではないでしょうか。 それは職業は違えど、同じ人として限られた時間を生きていく中でどれも大切な考え方が含まれていたからではないかと思います。 是非、一つでも自分のこれからを生きる信条として宮本武蔵の言葉を参考にしてみてはいかがでしょか。 きっとスッと背筋が伸びるはずですよ。

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