ゾンビ の 中心 で 愛 を 叫ぶ。 映画『ゾンビの中心で、愛をさけぶ』フル動画を無料視聴!夫婦の愛はゾンビによって取り戻される?|Force Cinema

「ゾンビの中心で、愛をさけぶ」 感想 夫婦愛の再生すら演出できてしまう万能素材ゾンビ

ゾンビ の 中心 で 愛 を 叫ぶ

『ゾンビの中心で、愛をさけぶ』という日本タイトルは、最大のネタバレ(苦笑)。 映画自体は倦怠期の夫婦をメインに描いており、ゾンビが現れるのは中盤から。 非常にユニークなゾンビ映画) 北欧の国、タワーマンションの一室。 ジョンとカレンは、倦怠期真っただ中の夫婦です。 ジョンは大学の先生をしており、頭のなかは仕事のことばかり。 カレンはそんなジョンに不満を抱いており、今日こそは離婚を切り出そうと考えていました。 とはいうものの、ジョンとカレンは会話の数も減っていたので、なかなか離婚も切り出せません。 明日起きたら、離婚を切り出そうと思ったカレンは、そのままベッドで寝ました。 同じベッドで眠りますが、2人に接点はありません。 最上階のジョンたちの部屋の天井に、穴が開きました。 意を決したカレンが離婚を切り出しますが、ジョンは聞いていません。 外へ出たジョンは、別のマンションに飛行機が突っ込んでいるのを目撃します。 少し前から、ラジオでニュースは流れていました。 あるウイルスが世界中に流行していることや、ウイルス感染、発症のことなどが、取沙汰されてはいました。 しかしジョンは、「製薬会社が金儲けをするための陰謀」「一定程度ウイルスが拡大したら、ワクチンを作るにちがいない」と決めつけており、備えをしていませんでした。 飛行機が落ちてきたのを見たジョンは、まずいと思い、備えを考えます。 部屋に戻ったジョンはカレンを促して、家の中の備蓄食料を調べました。 トマト缶4つ、豆の缶詰2つしかありません。 困ったと思ったジョンは、カレンに食糧調達の必要性を訴えます。 カレンは「よその家から借りてくればいい(平和になってから、返せばいい)」と言いました。 ジョンもそうだと思い、マンションの部屋を出て、隣家のアンダーソン家のものを盗んできます。 ジョンとカレンの住む部屋は、マンションの最上階でした。 周囲にはまだ感染者の姿が見えません。 アンダーソン家の部屋には、食糧だけでなく40インチの大型テレビもありました。 ジョンとカレンは運んできます。

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【ゾンビの中心で愛を叫ぶ】

ゾンビ の 中心 で 愛 を 叫ぶ

ぷらすです。 アントニオ・スヴ・トゥブレンがメガホンを取り、脚本や音楽なども担当した。 (より引用) 感想 の現在 1968年公開の「 」から52年。 映画だけに留まらず、コミック、ドラマ、ゲームなどさまざまなメディアに進出し、一方で低予算で作れることから、若手映画人の登竜門的に次々世に送り出される「ゾンビもの」は、現在ではでも一大ジャンルになっています。 本作の中でのゾンビは、あくまでこの夫婦を自宅マンションから出さない為の装置であり、本質的に というよりラブストーリーなんですよね。 カレンは離婚を考えていて、今日明日にもジョンに伝えようと考えているんですね。 そんな矢先、ゾンビウィルスの蔓延によって二人はマンションから出られなくなり、自宅で救助を待つことに。 画像出典元URL: とりあえず、当面の食料を確保するためカレンは、住人のいない同じ階の部屋から飲食物を盗むことを提案するんですが、真面目なジョンは抵抗感があるんですね。 大型テレビやお気に入りのドレスなども盗み出すんですね。 また、カレンはジョンが出かけている昼間からワインを飲んでいたり、職場で押収された各種ドラッグや拳銃までパクって隠し持っている事も判明。 呆れるジョンでしたが、閉塞的な環境の中で二人は酒とドラッグとセックスに明け暮れ冷え切っていた愛が再燃。 この前半から中盤にかけては、いわゆる(ブラック?)コメディーとして進むんですが、その後、後半からクライマックスにかけて物語は予想もしない方向へと進んでいくんですねー。 邦題問題 で、本作の原題は「ZOO(動物園)」なんですが、まぁ、意図はわかるけど正直そんなに的を得たタイトルというわけではないんですよね。 そういう意味では「ゾンビの中心で、愛を叫ぶ」という、例の映画を句読点までまるっとパクった邦題に最初は如何なものかと思いましたが、少なくとも日本人的には、この邦題の方が内容に沿っていると言えなくもないというか。 低予算の地味でコレといった売りのない本作に、せめてものトをっていう配給会社の苦労も透けて見えますしね。 ラブストーリー で、本作は前述したようにゾンビのいる世界の中で進むワンシチュエーションのラブストーリーです。 の定義が「ゾンビのいる世界」を舞台に人間の醜さや美しさ、社会への風刺を描くことなので、そういう意味では本作もの定義から大きく外れているわけではないんですが、基本的に殆どゾンビが出てこないのでホラーパニックを期待して本作を観ると肩透かしを食らってしまうかもしれません。 画像出典元URL: また、ストーリー構成も上手いとは言い難く、特に中盤はかなり中弛みしていてもう少し何か展開が欲しいと思いましたねー。 95分しかない作品なのに、やけに時間が長く感じてしまったのは、やはり中盤以降の工夫が足りないと言わざるを得ないですしね。 でも、ありきたりと言えばそうなんですけど、個人的にラストシーンは結構好きでしたよ。

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『ゾンビの中心で、愛をさけぶ』まだまだ存在したゾンビ映画の新境地チェ・ブンブンのティーマ

ゾンビ の 中心 で 愛 を 叫ぶ

カレンとジョンの結婚生活は崩壊寸前。 一緒にいても刺激もなく、生ける屍のような暮らし。 ある日、人々がゾンビ化する伝染病が発生し、外では感染がみるみる拡大。 ふたりは感染しないようマンションの部屋に閉じこもり、救助を待つことに。 しかし、状況が悪化する中、ゾンビだけじゃなく、食料を狙った強盗や怪しい生存者たちがふたりに襲いかかる。 突如訪れたサバイバル生活に刺激され、ふたりの愛は再燃し始める。 人生でワースト1の映画が「タイタニック」と断言できるぐらい。 そのうえジャンルとしての「ゾンビ映画」もさほど好きではありません。 が、そんな人間でも思わずレジに持って行ってしまうこの腐れ邦題… 正直嫌いではないです。 お前のような奴がいるからこの手のクソ邦題が後を絶たないんだよ!と罵られてもしょうがないけど、だからと言ってこれを無視するわけにもいかないでしょう。 原題の「Zoo」も別に良いタイトルとは思えんし。 「いま、会いにゆきます」に対する 「いま、殺りにゆきます」、 「世界の中心で愛を叫ぶ」に対する 「ゾンビの中心で愛を叫ぶ」。 まあ 「いま、殺りにゆきます」とは違って、世界だろうとゾンビだろうと本作が夫婦の愛を描いた映画であることには変わりありません。 ゾンビというものはサメやワニなんかと違って昔からゾンビそのものが主題なのではなく、ゾンビを用いて他の何かを浮き彫りにしたり風刺したり皮肉ってみたりする演出小道具のようなものに過ぎないのです。 私がサメ映画やワニ映画ほどゾンビ映画に惹かれない理由はそこら辺にあるような気もします。 後で気づいたんですが、本作の宣伝文句は相当ひどくて、 「ゾンビ映画なのにオシャレ!?」 「ゾンビ映画なのに胸キュン!?」 などと、さぶいぼが出そうな言語センス。 先にこれを見ていたら絶対借りなかった。 オシャレで胸キュンなゾンビなんか見たくないよ。 でも最近そういうオシャンティーなのがゾンビ映画界では流行っているらしいですね。 「アナと世界の終わり」だとか 「高慢と偏見とゾンビ」だとか… そういう今風でシャレオツなゾンビ映画を好んで借りてるサブカル系人種にはオラフ・イッテンバッハの 「新ゾンビ」を見せてやりてえ。 あれDVD化されてないんですよね。 される必要もないけど。 ハナクソを飛ばすシーンが汚すぎてトラウマなんです。 ゾンビってのはさあ…ルチオ・フルチの 「サンゲリア」みたいなものであるべきなんですよ。 ああいう汚物と臓物にまみれた殺戮の終末世界で目玉を貫かれながら愛を語れるものなら語ってみるがよろしい。 それぐらいやってくれれば私にも愛の尊さの何たるかが伝わるかもしれません。 しかし、本作にはゾンビはほぼ出てきません。 出演時間1分未満。 舞台はマンションの1室だけでそこに籠っていれば安心安全、実に小綺麗な世界です。 これはもうサメが出てこないサメ映画みたいになっちゃってる。 マンションに閉じ込められた離婚寸前の夫婦が、他にやることもないから何となく愛を再燃させてるだけにしか見えない。 勝手にやってくれって感じです。 転がり込んできた隣人との嫌味バトルはちょっと面白かったけどあまり意味のないパートだったような。 原題の「Zoo」はこの夫婦を動物園のゴリラでも眺めるような感覚で観ろっていう意味なんですかね? まあ、愛とか恋とかがテーマの映画が好きな人なら楽しめるのかもしれませんが、私にはちょっと難しかったです。

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